スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
坂井 遼(さかい はる、2006年5月8日 - )は、千葉県… 坂井 遼(さかい はる、2006年5月8日 - )は、千葉県富里市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 富里市立富里小学校5年生から『富里リトルスターズ』で野球を始め、富里市立富里中学校時代は硬式野球の『江戸川南ボーイズ』でプレーし、外野手であった。 投手を志願して関東第一高校へ入学すると、1年秋からベンチ入りし、2年夏の東東京大会では背番号10で3試合に登板。2年秋は、東京大会では背番号10を付け、創価との決勝では1失点完投勝利でチームを8年ぶり5度目の優勝に導いた。明治神宮大会では背番号1を付け、チームは同大会5度目の出場で初勝利を挙げるなど、ベスト4。坂井は東京大会と明治神宮大会で計11試合・50回を投げて防御率2.88を記録した。
井坪 陽生(いつぼ ひなせ、2005年3月17日 - )は、… 井坪 陽生(いつぼ ひなせ、2005年3月17日 - )は、東京都八王子市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 八王子市立七国中学校在学時は硬式野球のクラブチームである八王子シニアでプレーし、3年時にU-15アジアチャレンジマッチの日本代表に選出された。 関東第一高等学校に進学し、1年秋には4番を務めたが、その後監督の米澤貴光から「考え方や取り組みが甘い」とされて2年春、夏はベンチを外され、同年秋から復帰した。3年春は東京都大会で優勝し、関東大会でも準優勝した。同年夏は東東京都大会準々決勝で都立城東に敗れた。3年間で甲子園大会出場はなし。高校通算32本塁打。 2022年9月5日にプロ志望届を提出した。
佐藤 奨真(さとう しょうま、1998年6月2日 - )は、… 佐藤 奨真(さとう しょうま、1998年6月2日 - )は、東京都墨田区出身の社会人野球選手、元プロ野球選手(投手)。左投左打。ロキテクノ富山所属。 中川小学校1年生の時に、墨田スターズで野球を始める。小学6年生のときに東京ヤクルトスワローズジュニアに入り、その時のチームメイトに五十幡亮汰や山本賢太がいる。立花中学校時代は墨田ポニーでプレーした。 関東第一高校では、2年秋の都大会よりベンチ入り。3年春の第88回選抜高等学校野球大会ではリリーフ投手として登板する。3年夏は第98回全国高等学校野球選手権大会にエースとして出場。初戦で広島新庄の堀瑞輝と投げ合い、9回1/3を1失点と力投したものの、延長12回に勝ち越されて敗退した。
オコエ 瑠偉(オコエ るい、Louis Okoye、1997… オコエ 瑠偉(オコエ るい、Louis Okoye、1997年7月21日 - )は、東京都東村山市出身のプロ野球選手(外野手)。メキシカン・リーグのモンテレイ・サルタンズ所属。右投右打。 実妹はプロバスケットボール選手のオコエ桃仁花。2022年に実施された現役ドラフトで選ばれた初の選手の1人でもある。 ナイジェリア人の父と、日本人の母との間に出生。生後7か月で歩けるようになり、6歳の時に近所の住人に誘われ野球を始める。 秋津東小では1年から軟式の東村山ドリームに所属。6年生の時に「3番・捕手」として都大会優勝、関東大会3位。読売ジャイアンツジュニアのコーチの勧めで外野手に転向しNPB12球団ジュニアトーナメントに出場。
中村 祐太(なかむら ゆうた、1995年8月31日 - )は… 中村 祐太(なかむら ゆうた、1995年8月31日 - )は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校1年生のときに一南スピリッツで野球を始め、江戸川区立小岩第五中学校時代は硬式野球の江戸川中央シニアでプレーした。 関東第一高校へ進学し、1年秋からベンチ入りすると、いきなりチームのエース格となり、東京大会のマウンドは同期の醍醐駿平と2人で投げ、帝京との決勝では中村が先発。投げては1安打完封、打っては先制適時二塁打を放つ活躍で、チームを同大会4年ぶり2度目の優勝に導いた。その後は明治神宮大会に出場し、愛工大名電との1回戦でも8回2失点と好投。ただ、打線の援護がなく、チームは敗退した。
山下 幸輝(やました こうき、1993年1月31日 - )は… 山下 幸輝(やました こうき、1993年1月31日 - )は、千葉県君津市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。右投左打。 小学生時代に野球を始め、中学校在学中にシニアリーグでプレー。シニアリーグ時代のチームメイトには眞下貴之がいた。 関東第一高等学校進学後は1年秋から1番セカンドでレギュラーに定着。3年時の夏に東東京大会で準決勝で板山祐太郎ら擁する成立学園高校、決勝で三ツ俣大樹擁する修徳高校に勝利し、第92回全国高等学校野球選手権大会へ出場。初戦の佐野日大高校戦では4打数3安打、2回戦の遊学館高校には1本塁打含む5打数2安打2打点、重信慎之介ら擁する早稲田実業高校との試合でも2試合連続本塁打を放ち、ベスト8進出に大きく貢献した。
武田 勝(たけだ まさる、1978年7月10日 - )は、愛… 武田 勝(たけだ まさる、1978年7月10日 - )は、愛知県名古屋市西区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。左投左打。 現役時代はNPBの北海道日本ハムファイターズに所属した。引退後は独立リーグやファーム参加球団でコーチ・監督を歴任している。 名古屋市立上名古屋小学校4年生の時から野球部に所属。名古屋市立浄心中学校に進学後、関東第一高等学校の小倉全由監督(当時)に知られるほど軟式野球で名を馳せた。 中学3年の時に、小倉が中京高校との練習試合で名古屋へ来た際に小倉の前で投球を披露。1球だけ投げたところ、小倉から関東一高への進学を勧められた。 関東一高に進学後は、1年生の夏に控え投手として第76回全国高等学校野球選手権大会に出場。
米澤 貴光(よねざわ たかみつ、1975年8月17日 - )… 米澤 貴光(よねざわ たかみつ、1975年8月17日 - )は、日本の高校野球指導者。関東第一高等学校硬式野球部監督。 関東第一高校時代は硬式野球部に所属し、小倉全由(米澤の代が最上級生になった1992年12月に監督復帰)の指導を受けた。高校時代は東京屈指の好打者として修徳高等学校の左エース高橋尚成としのぎをけずった。夏の甲子園出場をめざし東東京大会決勝に臨んだが、高橋擁する修徳に一歩及ばず敗れた。 卒業後は中央大学へ進むも在学中は東都大学野球2部リーグ所属。4年時は主将を務め、阿部慎之助は3年後輩。その後カラオケ事業・給食事業を展開していた企業・シダックスに就職した。1年目には都市対抗野球大会に出場するが、主力にはキューバからの選手もいて出番はなし。
山﨑 健(やまさき けん、1972年10月21日 - )は、… 山﨑 健(やまさき けん、1972年10月21日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。 調布リトル時代に全国優勝。関東一高では1年夏に都大会でノーヒットノーランを記録。3年夏は甲子園に出場し、打者としても活躍した。 1990年のドラフト4位で広島東洋カープに入団。 斎藤雅樹のフォームを参考にしたサイドスロー投手として、特に阪神戦では勝負強さを発揮し、「虎キラー」と呼ばれた。 1993年から一軍登板を果たしたが伸び悩みオーバースローからサイドスローに転向。 1996年シーズンには4完封を記録し、奇しくも引き合いに出される巨人の斎藤雅と並びセリーグの最多完封を記録する。
山﨑 健(やまさき けん、1972年10月21日 - )は、… 山﨑 健(やまさき けん、1972年10月21日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。
山本 保司(やまもと やすし、1972年4月9日 - )は、… 山本 保司(やまもと やすし、1972年4月9日 - )は、神奈川県厚木市出身の元プロ野球選手(内野手)。 関東一高時代は「西の内之倉、東の山本」と言われる逸材であった。3年夏の甲子園に3番でエース山﨑健に続く4番打者として出場した。 1990年度プロ野球ドラフト会議にて中日ドラゴンズから3巡目指名を受け、入団。この中日入団により、以前より中日に在籍していた投手の山本昌広はスコアボードでの表示が「山本昌」となった(山本保司は「山本保」)。山本昌はこれ以降活躍するようになったことから、山本姓が一人になった1996年以降も登録名を「山本昌」としている。 プロ2年目の1992年シーズンに一軍初出場を果たす。
酒井 弘樹(さかい ひろき、1971年9月22日 - )は、… 酒井 弘樹(さかい ひろき、1971年9月22日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は市邨高校教員。 小学1年の時に野球を始める。関東第一高等学校時代には2年時の1988年夏にエースピッチャーになるが、3年時の1989年夏は急性肝炎で入院したためベンチ入りすらできなかった。1990年に高校卒業後、國學院大學文学部に進学し、当時東都大学野球連盟2部リーグ所属の同大学野球部に在籍。3年時の1992年春に東農大戦で投げて15奪三振を記録すると2部リーグで優勝し、2部最優秀投手に選出される。続く入替戦でも初戦完封から2回戦も救援するなど1部昇格の原動力となった。4年時の1993年春の1部リーグ開幕戦で駒大を相手に延長15回を投げ切って引分けたが、このシーズンは最下位となる。
鈴木 浩文(すずき ひろふみ、1970年4月12日 - )は… 鈴木 浩文(すずき ひろふみ、1970年4月12日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。 調布リトル・シニア両主将を務め、リトル時代の小学校6年、シニアでの中学2、3年の時に全国優勝。関東一高では1年夏にレギュラーとして東東京大会準優勝、2年春に三輪隆らと選抜高校野球準優勝、夏は準々決勝で酒井忠晴がエースの修徳高に敗れ、3年夏も同じく準々決勝で2年生エースの吉岡雄二を擁する帝京高に敗退。父の母校でもある早稲田大学へ進み、2年春に主将の水口栄二、1年生の大越基らの活躍で優勝。その後、1学年下の仁志敏久と二遊間を組む。4年次は主将を務めた。リーグ通算87試合に出場、318打数93安打、打率.292、5本塁打、36打点、ベストナイン1回、3年秋に首位打者。
三輪 隆(みわ たかし、1969年12月1日 - )は、千葉… 三輪 隆(みわ たかし、1969年12月1日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、コーチ。 2004年のプロ野球再編問題では、オリックス・ブルーウェーブ最後の選手会長として労使交渉に奔走した。バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。 関東一高では、控え捕手として1986年春の第58回選抜大会に出場するが、1回戦で中村良二らのいた天理高に敗退。夏は正捕手として東東京大会準優勝。秋は東京都大会決勝で芝草宇宙がエースの帝京高に惜敗。翌1987年春の第59回選抜大会に正捕手として連続出場。エース平子浩之(東洋大-日本通運)の好投もあって勝ち進み、準決勝で池田高を降し決勝に進出。
古賀 道人(こが みちひと、1967年8月7日 - )は、福… 古賀 道人(こが みちひと、1967年8月7日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 関東一高時代は、1985年の夏の甲子園に出場。同年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5位指名を受けて入団。 一軍出場がないまま、1991年限りで現役を引退した。
田村 藤夫(たむら ふじお、1959年10月24日 - )は… 田村 藤夫(たむら ふじお、1959年10月24日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者・評論家。 習志野市立大久保小学校5年生の時に近所の少年野球チームに入り、その時から捕手を務める。習志野市立第二中学校野球部監督から、家の近くの習志野高校よりも関東一高を薦められて同校に進学。 関東第一高校では、エースとして2年次の1976年に秋季東京大会で準決勝に進むが、弓田鋭彦(早大 - 日本石油)・谷田部和彦(早大 - 拓銀)・川又米利らを擁する早実に敗れる。3年次の1977年には捕手へ転向し、夏の全国選手権東東京大会でも準々決勝へ進出するが、またも早実に大敗したため甲子園出場には届かなかった。