スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
新井 唯斗(あらい ゆいと、2007年11月11日 - )は… 新井 唯斗(あらい ゆいと、2007年11月11日 - )は、埼玉県所沢市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校2年生から硬式野球を始め、柳瀬小(新座リトル)→柳瀬中(東京神宮シニア)と進む。高校では1年生の夏から中堅手(外野)として公式戦に出場。2年生の冬、チーム事情により遊撃手(ショート)へコンバート。春には遊撃としての守備もこなす。 2025年度のドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから育成ドラフト1位で指名された。
羽田 慎之介(はだ しんのすけ、2003年12月25日 - … 羽田 慎之介(はだ しんのすけ、2003年12月25日 - )は、埼玉県所沢市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 荒幡小学校2年から荒幡ライオンズで野球を始め、小学校6年生の泉ホワイトイーグルス在籍時に埼玉西武ライオンズジュニアチーム入りを果たした。山口中学校時代に東練馬シニアでG杯準優勝。 八王子学園八王子高等学校では1年からベンチ入り。2年の秋季大会中に左肘の骨膜炎を発症、その年の冬をほぼ体力トレーニングに当て、2021年3月より投球を再開した。3年生の春季大会は「20球以内、変化球も制限」という条件で登板、149km/hを記録した。 3年の夏は左肘の骨髄浮腫によりマウンドに立つことなく終わる。
桝澤 怜(ますざわ りょう、1993年8月1日 - )は、神… 桝澤 怜(ますざわ りょう、1993年8月1日 - )は、神奈川県相模原市出身の元社会人野球選手。右投右打。 8歳の時に野球を始め、相模原市立淵野辺東小学校時代は中渕少年野球部に所属し、相模原市立共和中学校に進学後は硬式野球(シニアリーグ)の海老名リトルシニアに所属した。 高校は東京都八王子市の八王子学園八王子高校に進学。秋春ともにベスト4進出し、春は関東大会出場。夏は東日本大震災の影響で予選中止となったことから、全校ノーシードとなる。抽選の結果、東海大菅生と初戦で激突し、コールド負け。甲子園出場経験はない。 高校卒業後は亜細亜大学に進学。3年秋に初めて大学日本代表に召集され、4年時の2015年7月には第28回夏季ユニバーシアードに出場し優勝を果たした。
平田 ブルーノ マサキ(Masaki Bruno Hirat… 平田 ブルーノ マサキ(Masaki Bruno Hirata, 1988年3月13日 - )は、ブラジルのサンパウロ州サンパウロ出身の、元野球選手(捕手)。東芝野球部に所属していた。 日系ブラジル人3世。6歳で野球を始め、14歳でボーイズリーグ世界大会にブラジル代表として出場。高校から日本に留学し、八王子高校(現在の八王子学園八王子高校)から亜細亜大学を経て東芝に入社、同社野球部に所属。パンチ力のある打撃が売り物で、入社2年目の2012年に行われた第83回都市対抗野球大会の西関東予選では7回表に代打で登場して同点ホームランを打つなどの活躍を見せている。 2012年に第3回WBCのブラジル代表に選ばれた。
佐藤 一誠(さとう いっせい、1945年1月5日 - )は、… 佐藤 一誠(さとう いっせい、1945年1月5日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。 八王子学園八王子高等学校から、神奈川大学へ入学。神奈川五大学野球リーグでは、1年生ながら左翼手、四番打者として1963年春季リーグに優勝。同年の全日本大学野球選手権大会に出場し、準決勝まで勝ち進むが慶大に敗退。同大会は8打数4安打、打率.500を記録し、巨人、大洋、中日など各球団から勧誘をうけていた。百メートル12秒の俊足でもあった。 同年に神奈川大学を中退し、国鉄スワローズに入団。1964年には左翼手として2試合に先発出場。しかしその後は出場機会が減少、自由契約となり、テストを受け1967年に大洋ホエールズに移籍した。
古谷 倉之助(ふるや くらのすけ、1911年5月4日 - 1… 古谷 倉之助(ふるや くらのすけ、1911年5月4日 - 1961年)は、東京都出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手、一塁手、外野手、二塁手。 史上初の打点王を獲得し、史上初タイとなる本塁打王も獲得している。 八王子中学から八王子実業団を経て1936年に名古屋金鯱軍へ入団。金鯱軍では主将を務めたほか、投手としては先発陣の一角を占め、打っては時には4番に座るなど、主力選手として活躍した。 1年目の1936年秋季リーグでは、山下実、藤村富美男と並んで本塁打王を獲得。さらに打点王も獲得。打率は中根之に及ばず2番目の成績だったためプロ初の3冠王とはならなかったが、見事2冠王となった。この年の秋季リーグは投手兼任だったが全試合出場を記録している。