スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
桑田 真樹(くわた まさき、1992年8月10日 - )は、… 桑田 真樹(くわた まさき、1992年8月10日 - )は、独立リーグの球団に所属していた元プロ野球選手(外野手)。 父は読売ジャイアンツなどで投手として活躍した桑田真澄、叔父はプロゴルファーの桑田泉。弟はブライダルモデルでミュージシャンのMatt。 小学校4年生から軟式野球を始め、小学5年生で硬式野球に転向。中学時代はボーイズリーグに所属し、2年夏には外野手、遊撃手として全国大会でベスト16入りした実績を持つ。 桜美林高校時代は甲子園出場はなく、桜美林大4年から外野のレギュラーとして定着。 2014年10月7日にプロ志望届を提出したが、NPBのドラフト会議でどの球団からも指名されなかったことから、BCリーグの合同トライアウトを受験。
足立 祐一(あだち ゆういち、1989年9月22日 - )は… 足立 祐一(あだち ゆういち、1989年9月22日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスでスカウトを務める。 小山田小3年生から「町田ライオンズ」で投手として野球を始めた。小山田中軟式野球部時代から捕手に転向した。 中学時代は小山田中軟式野球部の他、軟式野球チーム「北斗クラブ」でも正捕手を務め、3年秋には町田市少年野球連盟秋季大会中学生の部決勝にて決勝適時打をレフトに放ち優勝に貢献した。 桜美林高では2年生から「4番・捕手」として活躍し、キャプテンも務めた。2年秋には都大会で準優勝したものの甲子園への出場経験はない。 神奈川大では2年次からレギュラーとなり、4年次ではキャプテンを務めた。
荻野 忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日 - )は… 荻野 忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(投手)、指導者。右投右打。現役時代は千葉ロッテマリーンズに所属し、リリーフとして活躍。退団後は社会人野球の日立製作所硬式野球部に所属していた。 現役時代のニックネームは、自身の背番号と、リリーフとして無失点に抑える投球から「ミスターゼロ」。 東京都町田市出身。四人兄弟の次男。小学2年生の時に野球を始める。桜美林高等学校を経て神奈川大学に進学、2年上に加藤大輔がいた。3年秋には明治神宮大会で初戦から先発し、準決勝では青学大の高市俊と投げ合って完投、決勝でも救援登板したが降板後にサヨナラ負けで準優勝。4年時の2004年には大学選手権に出場して初戦完投勝利し、2回戦で完投も那須野巧(日大)の前に敗戦。
野田 正義(のだ まさよし、1979年3月5日 - )は、日… 野田 正義(のだ まさよし、1979年3月5日 - )は、日本の社会人野球の元選手(投手、右投右打)である。 東京都出身。桜美林高時代は外野手であり、3年夏には西東京大会ベスト8まで進出したが、甲子園には出場できなかった。 1997年、高校を卒業するとセレクションを経てTDKに入社。肩の強さを買われ、入部と同時に投手に転向。その年の都市対抗野球大会出場に大きく貢献する。20歳前後まではスピード重視のピッチング(3年目に146km/hを計時した)が、その後緩急を利用した技巧派投手にモデルチェンジ。TDKは都市対抗に出たり出なかったりという状態が続いたが、野田はNTT東北、JR東日本東北、JTなどの強豪チームの補強選手として東京ドームに出場し続けた。