スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
内山 雄介(うちやま ゆうすけ、1984年8月21日 - )… 内山 雄介(うちやま ゆうすけ、1984年8月21日 - )は、神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校3年生の時に神奈川県の足柄リトルに入団し、野球人生への第一歩を踏み出す。相洋高校では3年の夏大会で県大会準々決勝まで進むも、甲子園出場はなし。 その後北海道学生野球連盟に加盟する旭川大学に進み、1年の大学選手権で救援登板したが早大に7回コールド敗退、2年時は初戦先発も敗退。2年春にリーグ最優秀投手。4年春に1試合19奪三振という新記録を達成。 2006年の大学生・社会人ドラフトで北海道日本ハムファイターズに8巡目指名され、入団。1968年創立の旭川大野球部から初のプロ野球選手である。
渡邉 恒樹(わたなべ こうき、1978年5月17日 - )は… 渡邉 恒樹(わたなべ こうき、1978年5月17日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ時代の登録名は「渡辺 恒樹」(読み同じ)だった。2013年よりヤクルトの打撃投手を務める。 幼稚園の時に熱烈な読売ジャイアンツファンだった父親の影響で野球(キャッチボール)を始める。所沢市立若松小学校2年生では少年野球チーム「若松サンダズ」に入団し、所沢市立中央中学校では市の運営する硬式中学野球クラブ「所沢ボーイズ」に入部して2番手投手となる。卒業後は相洋高等学校に進学し、投手として3年春に県大会で準優勝を果たす。東京農業大学では、4年秋に東都大学リーグ2部で優勝し、最優秀投手賞。
後藤 雄一(ごとう ゆういち、1959年6月25日 - )は… 後藤 雄一(ごとう ゆういち、1959年6月25日 - )は、神奈川県高座郡出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 神奈川・相洋高から1977年のドラフト3位でヤクルト入団。1984年現役引退。本格派で、武器はスライダーとカーブ。 引退後は神奈川県藤沢市で焼鳥匠を経営している。
青木 惇(あおき つとむ、1936年5月29日 - )は、神… 青木 惇(あおき つとむ、1936年5月29日 - )は、神奈川県足柄下郡真鶴町出身 の元プロ野球選手(捕手)。 小学校の頃から野球を始めるが、母子家庭であり経済的な事情でグラブを買ってもらえなかったため、学校の備品にあったキャッチャーミットを使っている内に、捕手を務めるようになった。 相洋高校在学中に同校野球部部長に勧められて、1954年8月に川崎球場で行われた高橋ユニオンズの入団テストを受ける。500人近い参加者の中で、走塁・遠投はトップを記録して一次試験に合格。9月に千葉で合宿をしながら行われた二次試験にも合格し、契約金なし、月給15,000円で高橋に入団した。1955年は新人ながら33試合に捕手として出場すると、1956年には筒井敬三に次ぐ第二捕手となって86試合にマスクを被った。