スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
飯田 琉斗(いいだ りゅうと、1999年6月24日 - )は… 飯田 琉斗(いいだ りゅうと、1999年6月24日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学2年生の時に野球を始める。中学校時代は横浜都筑ボーイズに所属していた。 向上高等学校では1年夏からベンチ入りし、2年秋からエースとなるが、最速は140km/hにとどまっていた。3年夏の大会は5回戦で東海大相模高等学校相手に延長11回の末1-2で敗れ、甲子園出場とはならなかった。 横浜商科大学ではトレーニングに着手。1年秋には150km/hに到達し、2年春には自己最速の154km/hを記録して、注目を集めた。3年春には好調を維持していたが、新型コロナウイルスの拡大の影響で春のリーグ戦が中止になり、調子を落とす。
鈴木 翔天(すずき そら、1996年8月19日 - )は、神… 鈴木 翔天(すずき そら、1996年8月19日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 地元のクラブチーム、アローズ少年ソフトで小学校3年生からソフトボールを始め、6年生で瀬谷リトルで野球を始めた。横浜市立万騎が原中学校では瀬谷シニアに所属した。シニアでは藤井聖とチームメイトだった。 向上高校進学後、レフト兼ピッチャーとして、2年夏にベンチ入りし、3年春には神奈川県大会準優勝。準決勝の小笠原慎之介、吉田凌ら擁する東海大相模高校戦では9回からリリーフし、2回を無失点に抑え勝利に貢献。第66回春季関東大会でも準優勝に輝いた。3年の夏の神奈川県大会でも決勝まで進み、再び東海大相模高校と対戦。
安斉 雄虎(あんざい たけとら、1991年10月28日 - … 安斉 雄虎(あんざい たけとら、1991年10月28日 - )は、神奈川県座間市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。2011年の登録名は「雄虎」。 会社に勤務しながら草野球の選手として大洋ホエールズの入団テストを受験したほど野球の好きな実父の影響で、座間市立座間小学校では、実父がコーチを務める少年野球チームの「座間パイレーツ」へ1年生から参加。座間市立西中学校から、向上高校に進学した。中学の同級生には真野恵里菜がいる。 高校1年生から投手に専念したが、2年生までは無名の控え投手だった。3年時の神奈川県春季大会4回戦で、東海大相模高校を8回1失点に抑えるとともに、2対1でチームをベスト8入りに導いたことで一躍脚光を浴びた。
三橋 直樹(みつはし なおき、1980年12月2日 - )は… 三橋 直樹(みつはし なおき、1980年12月2日 - )は、神奈川県厚木市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生の頃に同じクラスで仲の良かった館山昌平らとともに軟式野球を始め、中学校でも軟式野球部に所属する。向上高校から関東学院大学へ進み4年時は大学選手権ベスト4、日産自動車に入社。2003年に、後輩の押本健彦と共に日本選手権で優勝、2005年には同期の梵英心と共に都市対抗野球では準優勝を果たし自身も2勝をあげて優秀選手となる。 2005年の大学・社会人ドラフト4巡目指名で横浜ベイスターズに入団。 2006年5月30日に初めて一軍登録されると、対福岡ソフトバンクホークス戦(静岡草薙球場)でプロ初登板。
鶴見 信彦(つるみ のぶひこ、1966年7月19日 - )… 鶴見 信彦(つるみ のぶひこ、1966年7月19日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 向上高時代は、3年次の夏にチームメイトの高橋智、大塚義樹らとともに神奈川県大会決勝に進出するが、桐蔭学園高に敗れ甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は、1985年に社会人野球の三菱自動車川崎に入団。1986年 - 1988年と3年連続で都市対抗野球に出場(1988年は補強選手として出場したが試合出場なし)。 1988年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受け入団。同僚の清水雅治、四條稔と野手が指名され、会社からプロ入りを拒否されたため交渉は難航し、年末になってようやく合意に至ったため1人だけの入団発表となった。
大塚 義樹(おおつか よしき、1966年4月6日 - )は… 大塚 義樹(おおつか よしき、1966年4月6日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(捕手)。 向上高では同期の高橋智とバッテリーを組む。同期に鶴見信彦がいた。 1984年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから3位指名を受け入団。 プロ2年目の1986年に一軍初出場を果たす。 1990年はマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に野球留学した。ホークスでは香川伸行や吉田博之などがいたため7年間で25試合しか出場できず、1991年オフに新浦壽夫との交換トレードで横浜大洋ホエールズへ移籍した。 横浜では1994年シーズン終盤に代打で2打席連続本塁打を記録している。 1995年に34試合に出場し、秋元宏作や谷繁元信との正捕手争いに加わった。
中川 明仁(なかがわ あきひと、1963年10月24日 - … 中川 明仁(なかがわ あきひと、1963年10月24日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。 向上高から、1981年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから3位指名を受け入団。上手からカーブ、シュートを武器とした。プロ4年目の1985年に一軍初登板するも、それ以降一軍登板はなく1987年に現役を引退。 その後はレンタルビデオ店の経営などを経て栃木県のスポーツDEPOにてアドバイザリースタッフを務めた。
瓜生 秀文(うりゅう ひでふみ、1952年2月28日 - )… 瓜生 秀文(うりゅう ひでふみ、1952年2月28日 - )は、神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 向上高校では、エースとして1968年秋季関東大会神奈川県予選決勝に進むが、鎌倉学園に大敗。翌1969年夏の甲子園県予選も、準々決勝で桜丘高に惜敗し甲子園には出場できなかった。 1969年ドラフト会議で東映フライヤーズから7位指名を受け入団。1970年には12試合に登板、4月には初先発を果たすが結果を残せず、1971年限りで引退。
河村 和茂(かわむら かずしげ、1950年7月13日 - )… 河村 和茂(かわむら かずしげ、1950年7月13日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(捕手)。 向上高時代、神奈川県では評判の大型捕手と言われていた。1968年の神奈川県予選では4回戦で横浜商に負けたが、4番を打ち、3試合で13打数6安打の.462をマークしている。 大洋ホエールズのテストに合格し、1968年にドラフト外で入団。 1972年に、一軍公式戦に出場がないまま引退。