スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
梅田 尚通(うめだ なおみち、1989年6月28日 - )は… 梅田 尚通(うめだ なおみち、1989年6月28日 - )は、福井県鯖江市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。 河和田小1年時に河和田スポーツ少年団で野球を始め、東陽中では鯖江ボーイズ(硬式)に所属。中学時代から注目され、県外からの誘いも受けたが、野球名門校ではなく地元で文武両道の県立高校である鯖江高に進学。 鯖江高時代は甲子園出場はなく、3年の夏は県大会2回戦で早々と敗退し、全国的にはほとんど無名の存在であった。投手・一塁手・遊撃手を兼任し、ドラフト指名は内野手としてだった。高校通算15本塁打。 2007年8月に北信越地区高校選抜としてハワイに遠征し、ハワイ島選抜、オアフ島選抜と5試合を戦った。
牧田 明久(まきだ あきひさ、1982年6月3日 - )は、… 牧田 明久(まきだ あきひさ、1982年6月3日 - )は、福井県越前市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)。コーチ。 大阪近鉄バファローズの最終年(2004年)に同球団へ所属していた選手の1人で、東北楽天ゴールデンイーグルスには創設1年目の2005年から在籍。現役引退後の2017年からは楽天の球団職員として「楽天イーグルスアカデミー」ジュニア部門のコーチを務める傍ら、野球解説者としても活動している。 1982年に福井県越前市に産まれる。北日野小学校に通いつつ、地元の少年野球チーム「北日野マウンテンズ」で小学2年生から野球を始める。ポジションは主に投手。部活動で野球を続けながら越前市立万葉中学校から高校は鯖江市にある鯖江高校に進学した。
後藤 光貴(ごとう みつたか、1974年8月27日 - )は… 後藤 光貴(ごとう みつたか、1974年8月27日 - )は、福井県南条郡今庄町(現:南越前町)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は埼玉西武ライオンズのスカウト。 鯖江高では捕手。2年秋には福井県大会で優勝し、北信越大会に進むが初戦となる準々決勝で星稜高校と対戦して松井秀喜の本塁打などで6回コールド負け。当時のエースとバッテリーで新日本製鐵堺に入社したが、足を活かして内野手へ転向。1994年にチームが休部となるもまだ実績がなく、多くの選手のように同社の他チームへは移籍できなかった。当時の監督が動き、大和銀行へ転籍。チーム事情から強肩を買われて投手に転向した。1998年はNTT関西の補強選手として都市対抗野球で登板、秋の日本選手権へはチーム初出場。
杉永 政信(すぎなが まさのぶ、1961年5月5日 - )は… 杉永 政信(すぎなが まさのぶ、1961年5月5日 - )は、福井県武生市(現:越前市)出身の元プロ野球選手(投手)、元プロ野球審判員。審判員袖番号は16。 中学時代から県内でも注目される投手だったが、高校は当時野球部員が十数人しか居なかった(本人曰く、「3年生になればレギュラーになれるようなところ」)鯖江高に進学した。1978年秋季北信越大会準々決勝に進むが、森隆峰のいた高岡第一高に延長13回サヨナラ負けを喫する。 1979年のプロ野球ドラフト会議で、木田勇の外れ1位で横浜大洋ホエールズから指名を受け入団。高校球界では無名ながら、巨体から繰り出す速球は150キロ近いと言われ、本人も入団会見の際に、「400勝する」と宣言していた。