スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
伊藤 剛(いとう たけし、1976年12月17日 - )は、… 伊藤 剛(いとう たけし、1976年12月17日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。現在は北海道日本ハムファイターズのファーム投手コーチを務める。 中学時代は相模原市立上溝中学校に通いボーイズリーグの相模原ホワイトイーグルスに所属した。 山梨県の日大明誠高校では3年春に県大会3位で関東大会へ出場し、初戦で東海大菅生高の中野渡進と投げ合うも敗戦。夏の県大会はベスト4。社会人野球のNTT関東に進み、1998年の日本選手権準決勝で先発勝利して優勝に貢献した。 1998年のドラフト会議にて日本ハムファイターズから6位指名を受け、入団。ドラフト下位入団だが球威の良さは早くから注目されていた。
遠藤 政隆(えんどう まさたか、1972年9月20日 - )… 遠藤 政隆(えんどう まさたか、1972年9月20日 - )は、東京都八王子市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 福島県西白河郡西郷村生まれ。幼い頃に東京都八王子市に移る。小学4年でリトルリーグ入りし、中学3年の時には「八王子リトルシニア」でプレーし、全国大会で3位になった。アンジャッシュの渡部建とリトルリーグでチームメイトだった。 山梨県の日本大学明誠高等学校を卒業後、社会人野球の熊谷組へ入社。チームの休部が決まっていた1993年度のNPBドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け、同年11月29日に契約金5000万円、年俸720万円の契約条件で仮契約した。 1994年は1試合に先発した以外は全て中継ぎでの登板でこの年は全体でも13試合に登板し防御率4.56を記録した。
木田 優夫(きだ まさお、1968年9月12日 - )は、東… 木田 優夫(きだ まさお、1968年9月12日 - )は、東京都国分寺市出身の元プロ野球選手(投手)及び野球指導者。右投右打 現在、北海道日本ハムファイターズチーム統括本部ゼネラルマネジャー(GM)代行を務めている。 現役時代はNPBの読売ジャイアンツ(巨人)で4度のセントラル・リーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献し、北海道日本ハムファイターズ時代にも1度のパシフィック・リーグ優勝を、MLBのロサンゼルス・ドジャース時代にも1度の地区優勝を経験している。個人ではNPBで巨人時代の1990年にリーグ最多奪三振を記録している(当時は連盟表彰なし)。 高校球児だった父親の影響で野球を始め、地元の少年野球チーム「スネークス」に入る。
木内 九二生(きうち くにお、1966年11月14日 - )… 木内 九二生(きうち くにお、1966年11月14日 - )は、日本のプロ野球審判員。中華職業棒球大聯盟(CPBL)所属。 日本大学明誠高等学校、拓殖大学、大昭和製紙北海道を経て、1998年にセントラル・リーグ審判部に入局。審判員袖番号は15(2010年までは30)。クロスプレーの際のアウトをジャッジする際は左手で行っている。(また投手にボールを投げる際も左利きである)。2013年に日本シリーズに初出場を果たし、第2戦で球審を務めている。 2014年現在、全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟傘下の連帯労組プロ野球審判支部長。 2016年5月3日、埼玉西武ライオンズ対オリックス・バファローズ7回戦(西武プリンスドーム)で球審を務め、史上122人目となる通算1000試合出場を達成した。