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石橋 直季(いしばし なおき、1985年〈昭和60年〉 6月… 石橋 直季(いしばし なおき、1985年〈昭和60年〉 6月20日 - )は、日本の政治家。愛知県東郷町長(1期)。東郷町議会議長、東郷町議会議員(3期)を歴任。 名古屋中学校・高等学校を経て、横浜国立大学経営学部経営学科を卒業。大学卒業後は土壌改良会社に入社した。 2015年4月、東郷町議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。以降3期連続当選し、2023年5月には議長に選出された。町議時代は自由民主党愛知県連の青年部長を務めた。 町職員に対するハラスメントにより辞職した現職の井俣憲治の後任を決める、2024年6月9日投開票の東郷町長選挙に無所属新人として立候補。これにより、議長と議員を自動失職。
仙田 晃宏(せんだ あきひろ、1982年10月11日 - )… 仙田 晃宏(せんだ あきひろ、1982年10月11日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、国民民主党国会対策副委員長を歴任。 愛知県丹羽郡大口町出身。名古屋市東区の名古屋中学校・高等学校後、2005年に明治大学政治経済学部を卒業。祖父が大口町議であったことから、大学時代から政治家を志した。卒業後はNTTデータグループに就職し、2023年から国会議員秘書として勤務。 2024年3月16日に国民民主党岐阜県第3区総支部長に就任。 2024年10月27日実施の第50回衆議院議員総選挙に岐阜県第3区から立候補し、小選挙区では落選するものの、比例復活にて初当選した。 2026年2月8日に実施の第51回衆議院議員総選挙に前回と同じく国民民主党の公認候補として岐阜県第3区から立候補したが、小選挙区での落選に加えて比例復活もできずに落選となった。
黒川 慶一(くろかわ けいいち、1953年7月15日 - )… 黒川 慶一(くろかわ けいいち、1953年7月15日 - )は、日本の俳優、タレント、政治家。 愛知県名古屋市出身。名古屋学院高等学校(現・名古屋高等学校)卒業、愛知工業大学建築学科中退。地元の放送局でリポーター、俳優、司会者、フリーアナウンサーとして活動。 2011年3月13日に投開票が行われた名古屋市議会議員選挙に減税日本から出馬し、当選した。 2013年10月4日、政務調査費として事務所家賃を請求する際、自分で偽造した領収書を使用していたことと、政調費を充てたガソリン代53件のうち、7件が他人のガソリン代だったことが発覚した。 その後、減税日本を除名され生活の党と山本太郎となかまたちに入党。
丹羽 兵助(にわ ひょうすけ、1911年5月15日 - 19… 丹羽 兵助(にわ ひょうすけ、1911年5月15日 - 1990年11月2日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(12期)。愛知県議会議員(2期)。名古屋市内の陸上自衛隊駐屯地で、統合失調症で入院から一時退院中だった男に首を刺され、翌月に亡くなった。弟は丹羽久章元衆議院議員。孫に丹羽秀樹衆議院議員がいる。 愛知県東春日井郡守山町(現・名古屋市守山区)出身。名古屋中学校(現・名古屋中学校・高等学校)卒業後、牧師を目指して関西学院神学部に進むも父である丹羽兵助(先代)の急逝にあう。長男として家業の土建業の丹羽建設を継いだ。 1941年4月、守山町議会議員に初当選。 1947年、愛知県議会議員選挙に東春日井郡選挙区から民主党公認で立候補し、初当選。
永江 一夫(ながえ かずお、1902年(明治35年)2月1日… 永江 一夫(ながえ かずお、1902年(明治35年)2月1日 - 1980年(昭和55年)4月23日)は、日本の政治家。位階は従三位。 農林大臣(第9代)、民社党副書記長を務めた。長男の永江一仁は民社党衆議院議員・神戸市会議員の永江一之は孫(一仁の長男)。 岐阜県恵那郡陶村(陶町を経て現瑞浪市)で生まれた。苦学して1924年(大正13年)関西学院高等商業学部(現在の関西学院大学)を卒業。在学中、1921年(大正10年)神戸の川崎造船所・三菱造船所争議に参加。卒業後、福徳生命に入社し、同時に社会運動に参加し日本労農党、日本大衆党に属した。 1929年、神戸市会議員となる。1937年、第20回衆議院議員総選挙に立候補し当選。
杉戸 清(すぎと きよし、1901年(明治34年)10月10… 杉戸 清(すぎと きよし、1901年(明治34年)10月10日 - 2002年(平成14年)4月24日)は、日本の政治家。元名古屋市長(3期)。 愛知郡則武村字香箱(現・名古屋市中村区)出身。名古屋中学校、第八高等学校を経て、東京帝国大学工学部土木工学科を卒業。1926年(大正15年)4月に名古屋市役所に入り、水道局長、名古屋市助役などを歴任する。 1961年(昭和36年)3月16日、名古屋市長の小林橘川が任期中に死去。職務代理者を務める。同年4月28日に行われた市長選に自民党の推薦を受けて立候補。元参議院議員の栗山良夫(社会党推薦)、元市議の横井亀吉(民社党推薦)らを破り初当選した。 名古屋市長として地下鉄の整備等に尽力した。
兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 19… 兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 1970年9月15日)は、日本の都市計画家、土木技術者、政治家。1935年に創刊された雑誌「区画整理」の表紙を飾った標語として知られる「土地区画整理は都市計画の母」の造語を生み出した。 1899年、愛知県丹羽郡布袋町(現・江南市)の中小製紙工場の家に生まれる。 岐阜市立岐阜商業、名古屋中学校、第八高等学校を経て、1925年東京帝国大学工学部土木工学科卒。内務省に入り復興局技師となる。その後、愛知県都市計画技師に転出。1936年、三重県に移り、都市計画課長となる。巨大コンビナートを生み出す四日市市などの都市計画を立案。 1942年には東京府道路課長に、1943年には埼玉県土木課長に就任する。
塚本 三(つかもと ぞう、1889年4月21日 - 1952… 塚本 三(つかもと ぞう、1889年4月21日 - 1952年8月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家。公選初の名古屋市長(2期)。戦前は衆議院議員(1期)、名古屋市会議員などを務めた。旧姓は井箟。 岐阜県土岐郡稲津村(現・瑞浪市稲津町)出身。幼くして塚本竜三郎の養子となる。稲津小学校、瑞浪高等小学校卒業。1907年、旧制名古屋中学校卒業。 日本陶器、森村組を経て、1920年2月に名古屋新聞政治記者となる。 1921年10月、名古屋市会議員に就任。1922年3月、名古屋新聞編集長となる。1928年2月、名古屋新聞を退社。 1937年、第20回衆議院議員総選挙で当選し、立憲民政党の衆議院議員となる。
加藤 鐐五郎(かとう りょうごろう、1883年3月11日 -… 加藤 鐐五郎(かとう りょうごろう、1883年3月11日 - 1970年12月20日)は、日本の政治家。衆議院議長(第48代)、法務大臣(第4代)。衆議院議員(12期)。 愛知県瀬戸市出身。政界入りする前は医学博士号を持つ医師であり、戦前の帝国議会時代より衆議院議員選挙に通算12回当選。戦時中は政友会系の地方紙で現在の中日新聞社の前身の1紙に当たる新愛知新聞社の顧問を務めていた。 造船疑獄に対する指揮権発動で法務大臣を辞任した犬養健の後任法相となり、さらに警職法改正をめぐる国会審議混乱の責任を取って衆議院議長を辞任した星島二郎の後任議長に就任したことから、医師出身の政治家という自らの経歴とあわせ「後始末の専門のヤブ医者」を自称したことで知られている。