スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小酒井 新大(こざかい あらた、2001年9月21日 - )… 小酒井 新大(こざかい あらた、2001年9月21日 - )は、滋賀県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・大分トリニータ所属。ポジションはミッドフィールダー。 草津東高校サッカー部では2年生時から出場機会を得て、全国選手権にも2度出場を果たした。 高校卒業後の2020年からは中京大学に進学し、サッカー部に入部。1年生時より大学選抜に選出され、2022年のデンソーカップチャレンジサッカーでは大会優秀選手として表彰された。 大学3年生時の2022年11月18日、2024シーズンからの大分トリニータへの加入内定が発表された。翌2023年9月からは特別指定選手として大分に選手登録もされたが、公式戦出場機会は無かった。
夏川 大和(なつかわ やまと、2001年9月19日 - )は… 夏川 大和(なつかわ やまと、2001年9月19日 - )は、滋賀県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC大阪所属。ポジションはミッドフィルダー(MF)。 2024年に京都産業大学からFC大阪に加入した。 2024年3月13日、JリーグYBCルヴァンカップ1回戦のいわきFC戦で公式戦デビュー。6月2日のJ3第15節の奈良クラブ戦でリーグ戦デビューを果たした。
山本 悠樹(やまもと ゆうき、1997年11月6日 - )は… 山本 悠樹(やまもと ゆうき、1997年11月6日 - )は、滋賀県野洲市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・川崎フロンターレ所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 野洲JFC、SAGAWA SHIGA FOOTBALL ACADEMY ジュニアユース、FC湖東を経て、草津東高校へ進学。高校年代屈指の司令塔として注目を集め、高校3年次にはセレッソ大阪の練習に参加したが、山口蛍らにレベルの差を見せつけられ、プロ入りを断念。関西学院大学へ進学し、大学では3年次の秋にトップ下からボランチへとコンバートされた。2019年6月、2020年からのガンバ大阪へ加入が内定。同年7月には、ユニバーシアード日本代表に選出されて、ユニバーシアードで金メダルを獲得した。
村上 昌謙(むらかみ まさあき、1992年8月7日 - )は… 村上 昌謙(むらかみ まさあき、1992年8月7日 - )は、滋賀県守山市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・京都サンガF.C.所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 河西サッカースポーツ少年団(河西キッカーズ)から滋賀県立草津東高等学校を経て大阪体育大学へ進学。村田和哉は河西キッカーズと大阪体育大学の先輩にあたる。同大学のサッカー部では3年次からレギュラーGKを務め、第62回全日本大学サッカー選手権大会の優勝に貢献。2014年にはデンソーチャレンジカップ関西選抜の一員にも選ばれ、全日本大学選抜にも選出された。 2015年にレノファ山口FCへ入団。出場機会はなかったものの、第37節からの終盤3試合では一森純の控えとしてベンチ入りを果たした。
吉田 実成都(よしだ みなと、1992年2月17日 - )は… 吉田 実成都(よしだ みなと、1992年2月17日 - )は、滋賀県湖南市出身のサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー、フォワード。 草津東高校の3年時、高校総体出場に中心選手として貢献。進学した大阪学院大学では、1年時から試合に出場し、2年時からはスタメンとして活躍した。また、3年、4年時には関西学生選抜にも選出され、関西ステップアップリーグにも出場した。 大学在学中、いくつかの練習参加を経て2014年、J3のAC長野パルセイロで当時監督を務めていた美濃部直彦からオファーを受け、プロ契約を結ぶ。同年7月20日のJ3リーグ第18節ガイナーレ鳥取戦にてJリーグ初出場となった。ルーキーイヤーながらスピードのあるドリブルとシュートで4試合に出場した。
畑 尚行(はた なおゆき、1986年12月5日 - )は、滋… 畑 尚行(はた なおゆき、1986年12月5日 - )は、滋賀県出身のサッカー選手。
馬場 悠企(ばんば ゆうき、1986年8月2日 - )は、滋… 馬場 悠企(ばんば ゆうき、1986年8月2日 - )は、滋賀県出身のサッカー選手。ポジションはMF。 草津東高校から京都産業大学を経て、2009年よりJFLのSAGAWA SHIGA FCに加入。加入初年度から中盤の守備的なポジションで起用され、2009年、2011年の2度のJFL優勝に貢献した。 2012年からはタイに活躍の場を求め、タイ・ディヴィジョン1リーグのスパンブリーFCに移籍。中盤の要として活躍し、チームのタイ・プレミアリーグへの昇格に貢献した。2013年シーズンはディヴィジョン1のバンコクFCに移ってプレーした。 2014年にはタイ・プレミアリーグの強豪チョンブリーFCに移籍して大学同期の櫛田一斗とともにプレーし、通年でのレギュラー獲得はならなかったものの17試合に出場した。
前田 高孝(まえだ たかのり、1985年6月30日 - )は… 前田 高孝(まえだ たかのり、1985年6月30日 - )は、滋賀県東浅井郡出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード。2015年4月より近江高等学校教員・サッカー部監督。 長浜市立虎姫小学校、近江兄弟社中学校を経て、2001年滋賀県立草津東高等学校に入学してサッカー部入部。1年次に第80回全国高等学校サッカー選手権大会、3年次には2003年 長崎ゆめ総体への出場を経験した。2003年度に静岡県で開催された国民体育大会に出場した際にスカウトの目にとまり、2004年に清水エスパルスに入団した が、同年6月に出場したJサテライトリーグでの試合中に膝を負傷、全治6か月の重傷を負った。
酒井 悠基(さかい ゆうき、1985年6月28日 - )は、… 酒井 悠基(さかい ゆうき、1985年6月28日 - )は、日本のサッカー選手。ポジションはDF。滋賀県甲賀郡甲西町(現・湖南市)出身。 滋賀県立草津東高等学校卒業後、2004年にアルビレックス新潟入団。同年U-19日本代表選出。2004年6月よりシンガポールのアルビレックス新潟シンガポールに期限付き移籍。Sリーグでは2シーズンで30試合に出場して1得点。2006年1月、新潟に復帰。
近江 孝行(おうみ たかゆき、1982年10月6日 - )は… 近江 孝行(おうみ たかゆき、1982年10月6日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションは、MF。 小学生の頃からサッカーを始め、滋賀県立草津東高等学校時代の第79回全国高等学校サッカー選手権大会では準優勝に貢献。同大会の優秀選手に選ばれ、高校選抜の一員としてヨーロッパ遠征のメンバーにも選出される。高校卒業後は近畿大学に進学し、4回生の時は主将を務める。 大学卒業後、ドイツに渡り、2005年シーズンにSSV Eintracht Überherrnに入団し、2006年から2008年まではEisbachtal 1919に所属する。その後、コーチの勉強のためにニュージーランドへ渡り、ドイツで長年活躍したウィントン・ルーファーが立ち上げたサッカースクール、ウィナーズ(WYNRS)で働く。
中川 英之(なかがわ ひでゆき、1982年7月13日 - )… 中川 英之(なかがわ ひでゆき、1982年7月13日 - )は、滋賀県長浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
神崎 亮佑(かんざき りょうすけ、1982年6月21日 - … 神崎 亮佑(かんざき りょうすけ、1982年6月21日 - )は、滋賀県甲賀郡信楽町(現甲賀市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 滋賀県立草津東高校から2001年川崎フロンターレへ加入。しかし、出場機会に恵まれず、2004年に戦力外となり退団。2005年にバンディオンセ神戸(現:Cento Cuore HARIMA)へ移籍。2009年からはカマタマーレ讃岐に所属し、同年の全国社会人サッカー選手権大会において前所属の加古川からゴールをあげる。2013年シーズン終了後、契約満了により退団、引退した。 2014年よりヴィッセル神戸のスクールコーチを務めている。また、三菱重工神戸サッカー部に選手登録されている。
藤原 昭(ふじわら あきら、1982年5月11日 - )は、… 藤原 昭(ふじわら あきら、1982年5月11日 - )は、滋賀県湖南市出身のサッカー選手。関西サッカーリーグ1部・レイジェンド滋賀FC所属。
岡谷 良(おかたに りょう、1981年1月13日 - )は、… 岡谷 良(おかたに りょう、1981年1月13日 - )は、滋賀県蒲生郡竜王町出身のサッカー選手、フットサル選手。 ポジションは、MF。 滋賀県立草津東高等学校サッカー部時代には、高校総体、近畿大会、天皇杯、全日本ユース、高校選手権などに出場。立命館大学に進学後も、関西大学新人戦に出場して優勝を果たす。 2003年、アルゼンチン国内1部リーグ所属のクラブ・オリンポ(英語版)とプロ選手契約を交わし、日本人としては、高原直泰以来2人目のアルゼンチン国内1部リーグプレーヤーとなった。2005年には同国2部リーグのティロ・フェデラル(英語版)にも在籍したが、トップ出場は果たせなかった。アルゼンチン、ウルグアイに約2年間滞在し、帰国。
高木 和道(たかぎ かずみち、1980年11月21日 - )… 高木 和道(たかぎ かずみち、1980年11月21日 - )は、滋賀県野洲市出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。2026年からはIKOMA FC 奈良の監督を務める。 野洲市で生まれ育ち、小学校3年生のときにサッカーを始める。高校時代は滋賀県立草津東高等学校で2年時からレギュラーとして活躍するが、全国的にはそれほど有名な選手ではなかった。3年生からセンターバックとしてプレーする。この頃から空中戦には絶対の自信を持つようになる。1999年に当時、関西学生リーグ2部であった京都産業大学に進学。元々プロサッカー選手を目指すつもりはなく、大学卒業と共にサッカーを辞める予定だった。