スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
住田 ワタリ(すみだ わたり、1977年9月29日 - )は… 住田 ワタリ(すみだ わたり、1977年9月29日 - )は、アスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。プロ野球選手の経験はない。 名前は、白土三平の漫画「ワタリ」に由来するという。 大阪府出身。布施工業高校、帝京大学卒業。 野球経験はないものの、帝京大学在学中にはラグビー選手として活躍(ポジションはフォワード)していた。2000年に同大学を卒業後はアメリカ合衆国アーカンソー州立大学アスレチックトレーニング学科に入学し、スポーツ医学を学ぶ。 同校卒業後、フィラデルフィア・フィリーズ傘下のマイナーチームにスタッフとして2年間参加。後にドミニカ共和国のウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナ(LIDOM)のアギラス・シバエーニャスにトレーニングコーチとして所属。
木原 彰彦(きはら あきひこ、1958年11月28日 - )… 木原 彰彦(きはら あきひこ、1958年11月28日 - )は、日本および大韓民国のプロ野球選手(内野手)。大阪府東大阪市出身。右投げ右打ち。韓国名は朴 彰彦(パク・チャンオン、박 창언)である。 大阪府の布施工から社会人チームのデュプロを経て1982年のドラフト4位で内野手として広島東洋カープに入団。前年に同僚の川口和久がドラフト1位指名された際には社内で急遽、会見場を準備するなど奔走したという。 1983年には二軍のウエスタン・リーグにおいて打率.365で首位打者を獲得したが、4年間の広島時代には一軍へ昇格できなかった。 1986年に、韓国プロ野球のOBベアーズに移籍したが、1年で退団。
宮本 好宣(みやもと よしのぶ、1950年7月26日 - )… 宮本 好宣(みやもと よしのぶ、1950年7月26日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)、スカウト、プロ野球コーチ。右投右打。 京都府京都市下京区生まれ、大阪府大阪市育ち。 布施工業高から同志社大学へ進学。関西六大学野球リーグでは1971年春季リーグで優勝を経験。1972年春季リーグで初登板、同年秋季リーグでは関大に次ぐ2位と健闘。リーグ通算21試合登板し3勝6敗の成績を残した。 大学卒業後は、社会人野球のエアロマスターに入団。1973年の産業対抗でチームは優勝するが、エース細淵守男の控えにとどまり出番はなかった。1974年5月にエアロマスターの母体である日本熱学工業が倒産し野球部も解散となったため、西濃運輸に移籍。