スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
坂本 友梨(さかもと ゆり、1994年2月9日 - )は、日… 坂本 友梨(さかもと ゆり、1994年2月9日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。兵庫県出身の内野手。右投げ右打ち。 小学2年から少年軟式野球チームで野球を始める。中学は陸上部に、兵庫県立高砂高校ではソフトボール部に所属。2011年に日本女子プロ野球機構による第3回合同トライアウトを受験し合格。プロ1年目の2012年は、兵庫スイングスマイリーズに所属。3月26日の京都アストドリームス戦(京セラドーム大阪)で初出場、6月10日の大阪ブレイビーハニーズ戦(明石トーカロ球場)で初ヒットを記録している。翌2013年はノース・レイアの選手としてプレー。同シーズン後、来期の契約を結ばないことが発表された。
花房 健(はなふさ たけし、1957年5月11日 - )は、… 花房 健(はなふさ たけし、1957年5月11日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 高砂高では3年夏、部員15名ながらエースで4番を打った。福岡大学に進学し九州六大学野球連盟加盟の野球部に入部。4年次に一気に頭角を現し、春季6勝1敗、秋季7勝無敗で連続ベストナイン、秋季は最高殊勲選手を獲得。九州六大学リーグ通算17勝。4年秋の明治神宮大会では初戦で完封、2回戦では亜大の宮本賢治と投げ合うが敗退。「九州の速球王」の異名を全国区にした。 1980年11月26日、プロ野球ドラフト会議において近鉄バファローズからドラフト3位指名を受け入団。 一軍公式戦の出場がないまま、1985年限りで現役を引退した。
神部 年男(かんべ としお、1943年3月24日 - )は、… 神部 年男(かんべ としお、1943年3月24日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ、野球解説者。 播磨町立播磨中学校→兵庫県立高砂高等学校から三菱製紙に入社し、準硬式野球の選手として活躍。 1965年に富士製鐵広畑に移籍し、1966年の都市対抗に住友金属の補強選手として出場。準決勝では大昭和製紙を完封、決勝に進みリリーフで登板するが、熊谷組に延長10回裏サヨナラ負けを喫する。 1966年の第1次ドラフト3位で読売ジャイアンツに指名されるが拒否し残留すると、1968年の都市対抗では松下電器から補強された岡田光雄との二本柱で勝ち進む。河合楽器との決勝では先発を任され、岡田へ継投し1-0で勝利。
小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 20… 小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 2025年4月18日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 優れた制球力から「投げる精密機械」と称えられ、金田正一、米田哲也に次ぐ日本プロ野球歴代3位の320勝、同5位の290完投を記録した。通算無四球試合も鈴木啓示に次ぐ歴代2位。2001年に野球殿堂入り。 小山が通った高砂高校はもともと女学校で、小山の入学する1年前の1949年に男女共学となって野球部が設立されたばかりであり、野球では全く無名であった。小山は高校3年秋に進学を勧める父親を説得し、その父親のつてで大阪タイガースの入団テストを受ける。なお、小山の父が息子の入団テストを依頼する手紙を監督の松木謙治郎宛に書いたが、それが大変な達筆であったと松木は数十年後に回顧しており、小山本人からはたいした印象を受けなかったとされる。