スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
津田 昌太朗(つだ しょうたろう、1986年2月22日 - … 津田 昌太朗(つだ しょうたろう、1986年2月22日 - )は、兵庫県姫路市出身の日本の編集者、音楽フェスティバル情報サイト「Festival Life」編集長、シャーロット株式会社代表取締役、ラジオパーソナリティである。 兵庫県立姫路西高等学校を卒業後、慶應義塾大学に進学。大学卒業後、広告会社の博報堂に入社した。会社員として勤務する傍ら、「Festival Life」の運営に関わるようになり、イギリスの音楽フェスティバルであるグラストンベリー・フェスティバルに参加したことがきっかけで、2013年に博報堂を退社。その後イギリスに移住し、海外フェス横断プロジェクト「Festival Junkie Project」を立ち上げ、世界各地の音楽フェスティバルを取材している。
伊賀 弘三良(いが こうざぶろう、1928年3月16日 – … 伊賀 弘三良(いが こうざぶろう、1928年3月16日 – 1998年11月22日)は兵庫県出身の編集者、出版事業家。祥伝社元社長。 兵庫県神崎郡香寺町(現姫路市)出身。旧制姫路中学校から陸軍予科士官学校、旧制第六高等学校を経て東京大学文学部仏文科卒業。 もともと作家志望だったが、渡辺一夫教授により神吉晴夫に紹介され、1953年、大卒一期生として光文社に入社。同期に、のちの祥伝社社長藤岡俊夫がいた。出版局に配属され、1955年、京大の動物学者伊谷純一郎に『高崎山のサル』を書かせてヒットを飛ばす。 1959年、カッパ・ノベルス創刊編集長に昇進。以後、カッパ・ブックスの編集長を兼任。ノベルスからは松本清張の社会派推理小説を続けて刊行(なお、この「社会派推理小説」という言葉を考えたのも伊賀だという説もある)。
桔梗 利一(ききょう りいち、1907年〈明治40年〉9月2… 桔梗 利一(ききょう りいち、1907年〈明治40年〉9月2日 - 1975年〈昭和50年〉9月23日)は、文藝春秋社編集者(1929年〈昭和4年〉7月 - 1943年〈昭和18年〉9月、1953年〈昭和28年〉12月21日 - 1972年〈昭和47年〉9月2日)。
神吉 晴夫(かんき はるお、1901年〈明治34年〉2月15… 神吉 晴夫(かんき はるお、1901年〈明治34年〉2月15日 - 1977年〈昭和52年〉1月24日)は、日本の編集者、出版事業家。カッパ・ブックスの創始者。光文社二代目社長。かんき出版創業者。「戦後最大の出版プロデューサー」と呼ばれる[要出典]。 兵庫県加古川市西神吉町出身。1922年、東京外国語学校仏語部貿易科卒業。1927年、東京帝国大学文学部仏文科を中退し、講談社に入社。自ら8か国語に堪能と称し、野間清治社長から破格の給与で遇された。キングレコード時代は童謡プロデューサーとして「かもめの水兵さん」「赤い帽子白い帽子」「ふたァつ、ふたァつ、何でしょね」などのヒット曲を飛ばす。 1945年10月光文社創立に参加し、編集局長となり、1965から1970年社長を務めた。