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福間 納(ふくま おさむ、1951年7月13日 - )は、島… 福間 納(ふくま おさむ、1951年7月13日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 現役時代には、阪神へ在籍していた時期に一時、福間 納一(読み方は本名と同じ)を登録名に使用していた。 2009年からは株式会社アイランドプロモーションに所属。2021年からはカナフレックスで投手コーチ、2022年に監督就任。 大田高校では2年次の1968年からエースとなり、同年夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、浜田高に敗退。3年次の1969年には春の選抜に出場し、1回戦で丸亀商の井原慎一朗と投げ合うが4-9で敗れる。同年夏は県予選準決勝で三沢淳、高橋寛のバッテリーを擁する江津工に抑えられ1-4で敗退、甲子園には届かなかった。
石谷 訓啓(いしたに くにひろ、1942年9月28日 - )… 石谷 訓啓(いしたに くにひろ、1942年9月28日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手。 大田高校では1959年、2年生の時にエース中島広喜(阪神)を擁し、右翼手として夏の甲子園に出場。1回戦で倉敷工の杉本喜久雄に抑えられ大敗。 1961年に大毎オリオンズへ入団。1963年には一軍に定着し、7月には中堅手、一番打者に抜擢される。シーズン後半は失速するが、33試合に先発出場を果たした。同年はイースタン・リーグで打率.381を記録して首位打者を獲得している。しかしその後は故障もあって出場機会に恵まれず、1967年限りで引退。 引退後はデパートに什器をレンタルする株式会社山元に就職し、常務まで勤めた。
竹下 光郎 (たけした みつお、1938年6月9日 - )は… 竹下 光郎 (たけした みつお、1938年6月9日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手)。 大田高校から、1957年に読売ジャイアンツに入団。1958年10月には2試合に先発マスクを被るが、藤尾茂・森昌彦の壁に阻まれて活躍の機会は少なく、1959年限りで自由契約となる。 1960年にかつて巨人の二軍監督であった千葉茂が監督を務めていた近鉄バファローへ移籍。同年は加藤昌利に代って正捕手となり122試合に出場、初の規定打席に達して打率.257(リーグ21位)を記録し、オールスターゲームにも選出された。翌1961年には打力を活かして一塁手に回り、主に五番打者として76試合に先発出場。しかし、1962年には島田光二に定位置を譲って、その後は主に代打として起用された。