スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
西山 貴永(にしやま たかひさ、1985年7月11日 - )… 西山 貴永(にしやま たかひさ、1985年7月11日 - )は、宮城県出身のサッカー選手。ポジションはFW、MF。 FCみやぎバルセロナから2001年にサンフレッチェ広島ユースに入団、同期に前田和之・田村祐基・田坂祐介ら。サイドアタッカーとして2003年の高校サッカー界では、日本クラブユース選手権初優勝、高円宮杯全日本ユース選手権3位、Jユースカップ優勝、天皇杯で水戸ホーリーホック相手に健闘するなど活躍した。 2004年に川崎フロンターレとプロ契約。その後、2007年に横浜FC、翌2008年にベガルタ仙台へいずれも期限付き移籍していたが、2009年から完全移籍に移行。しかし、その2009年も出場機会に恵まれず、リーグ戦わずか5試合の出場にとどまる。
田坂 祐介(たさか ゆうすけ、1985年7月8日 - )は、… 田坂 祐介(たさか ゆうすけ、1985年7月8日 - )は、広島県広島市出身 の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 広島高陽FC時代の一学年上に木村允彦、同期に横川・児玉、一学年下に髙柳一誠、二学年下に森重真人がいた。その後サンフレッチェ広島ジュニアユースへ入団、同期に前田和之・田村祐基、一学年上に沖本尚之ら。ジュニアユース時代に中村重和・小野剛らの指導を受けている。2001年に広島ユースに昇格、同期に児玉・前田・田村・西山貴永・馬屋原、一学年上に沖本尚之・木村龍朗らがいた。広島ユースは2003年の日本クラブユース選手権初優勝、高円宮杯全日本ユース選手権3位、Jユースカップ優勝、天皇杯ではJ2水戸ホーリーホック相手に健闘する。
木村 龍朗(きむら たつろう、1984年6月24日 - )は… 木村 龍朗(きむら たつろう、1984年6月24日 - )は、広島県広島市安佐南区出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF。 自身が通う幼稚園にサッカークラブがあったことから、そこでサッカーを始め、広島市立祇園小学校6年時にはミッドフィルダーとしてナショナルトレセンに選ばれている。その後、安芸FCジュニアユース、サンフレッチェ広島ユースへと入団する。広島ユース同期は、沖本尚之、寄井憲。木村孝洋・中村重和・森山佳郎から指導を受け、1年生のころからFWにコンバートされレギュラーとなり、3年生ではチームのエースとして活躍し、2002年Jリーグユース選手権大会準優勝に導く。 2003年、トップチームに昇格する。
田森 大己(たもり だいき、1983年8月5日 - )は、広… 田森 大己(たもり だいき、1983年8月5日 - )は、広島県庄原市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。 1990年に庄原フットボールクラブ所属、後1996年にサンフレッチェ広島ジュニアユース、1999年に広島ユースへ昇格。主に中村重和から指導を受けた。同級生に宮本卓也。ユース時代はボランチとして活躍。2000年には全広島サッカー選手権大会初優勝に貢献し、天皇杯に出場している。 その後法政大学に進学し、ボランチとCBを務め、関東大学サッカーリーグ戦の準優勝に貢献する。 2005年にヴァンフォーレ甲府の練習生としてトレーニングに参加。2006年シーズンから甲府のメンバーとなる。豊富な運動量を武器にすばやいプレスをかける。
駒野 友一(こまの ゆういち、1981年7月25日 - )は… 駒野 友一(こまの ゆういち、1981年7月25日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。元日本代表。広島県立吉田高等学校卒業。 小学生の頃はFWだったが、中学2年生時に招集された関西選抜において「左足で蹴れるから」と抜擢された左サイドハーフ(SH)での活躍により、同3年生時には複数の私立高校やクラブから勧誘された。 1996年秋に父が病死したこともあり寮費減免があるサンフレッチェ広島ユースを選択。同年冬に広島県・吉田中学校へ転校し、1997年、高校1年生時から広島ユースに加入。ウイングバック(WB)として活躍し、高校3年次には同級生の森崎和幸・浩司兄弟とともに2種登録選手になった。
森﨑 和幸(もりさき かずゆき、1981年5月9日 - )は… 森﨑 和幸(もりさき かずゆき、1981年5月9日 - )は、広島県広島市安芸区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 現在はJリーグ・サンフレッチェ広島のクラブリレーションズマネージャーを務める。広島県立吉田高等学校卒業。 地元矢野小学校で弟である森崎浩司と共に小学2年からサッカーをはじめる。山出久男から指導を受け、攻撃的なMFとして活躍、小学6年時に森崎浩司と共に全日本少年サッカー大会に出場している。佐藤康之・皆本勝弘は矢野中学校の先輩。矢野中学校からサンフレッチェ広島ユースへ入団。同級生は、森崎浩司、駒野友一、久保田学。木村孝洋から指導を受けた。高校2年時よりボランチにコンバートされる。
森﨑 浩司(もりさき こうじ、1981年5月9日 - )は、… 森﨑 浩司(もりさき こうじ、1981年5月9日 - )は、広島県広島市安芸区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 現在はサンフレッチェ広島のアンバサダーを務める。 地元矢野小学校で兄・和幸と共に小学2年からサッカーをはじめる。山出久男から指導を受け、小学6年次に兄と共に全日本少年サッカー大会に出場している。佐藤康之・皆本勝弘は矢野中学校の先輩。矢野中学校からサンフレッチェ広島ユースへ入団。同級生は、兄・和幸、駒野友一、久保田学。木村孝洋から指導を受けた。攻撃的なMF・左アウトサイドとして活躍した。1999年高校3年次には2種登録選手となり、Jサテライトリーグでのパフォーマンスがエディ・トムソン監督に認められ、同年11月20日にガンバ大阪戦に初ベンチ入りした。
池田 学徳(いけだ たかのり、1981年2月11日 - )は… 池田 学徳(いけだ たかのり、1981年2月11日 - )は島根県出雲市生まれ、岡山県津山市出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。 島根県出雲市に生まれた後、岡山県津山市へ引っ越す。 津山市立向陽小学校2年生で津山FCでサッカーを始め、小学校6年生の時に岡山県選抜に選ばれる。 津山市立津山西中学校に進学し、サッカー部に入部したものの2年生の時に転勤により、笠岡市立新吉中学校へ転校する。サッカー部がなかったため、隣県のU-NO福山ジュニアユースに入部する。 高校は広島県立吉田高等学校へ進学し、卒業後には寮で生活をした。 1996年にサンフレッチェ広島ユースに入団、同級生は吉田幸生ら。1999年にトップへ昇格。
石川 裕司(いしかわ ゆうじ、1979年7月2日 - )は、… 石川 裕司(いしかわ ゆうじ、1979年7月2日 - )は、島根県益田市出身の元サッカー選手(DF) 。 益田市立吉田南小学校、益田市立益田中学校から1995年、サンフレッチェ広島ユースに入団、同級生は秋元雅博・大畑隼哉・行友亮二ら。守備的なMFやウイングバックとして活躍した。2年後輩に駒野友一、森崎和幸・浩司兄弟がいる。高校1年時には小林伸二ユース監督の下、Jユースカップ優勝、3年時には木村孝洋ユース監督のもとレギュラーとしてJユースカップ準優勝に貢献した。 1998年にトップ昇格、他のユース昇格組はトレーニー契約の中、石川だけがプロ契約した。同期入団は、大久保誠・池端陽介・植田元輝・大畑・行友・秋元・山下一弥。
行友 亮二(ゆくとも りょうじ、1979年4月20日 - )… 行友 亮二(ゆくとも りょうじ、1979年4月20日 - )は、広島県東広島市出身の元サッカー選手(DF、MF)、指導者(JFA公認B級コーチ)。実兄はプラシア山口コーチの行友健太郎、甥に愛媛FC所属の行友翔哉と藤枝MYFC所属の行友祐翔がいる。 1995年、サンフレッチェ広島ユースに入団、同期生は石川裕司、秋元雅博、大畑隼哉ら。実兄の健太郎も広島ユース出身。両サイドをこなせるのウィングバックとして活躍した。U-18日本代表にも選ばれ、SBSカップ 国際ユースサッカーに出場している。 1998年にトップとトレーニー(練習生)契約した。同期入団は、大久保誠、石川、池端陽介、植田元輝、大畑、秋元、山下一弥。
秋元 雅博(あきもと まさひろ、1979年4月15日 - )… 秋元 雅博(あきもと まさひろ、1979年4月15日 - )は大分県出身の元プロサッカー選手(FW)。 1995年、サンフレッチェ広島ユースに入団。同期生は石川裕司、大畑隼哉、行友亮二ら。1997年Jユースカップでは得点王になり、U-17日本代表・U-18代表候補にも選ばれた。 その後1998年にトップと練習生契約。同期入団は、前述の石川、大畑、行友のほか大久保誠、池端陽介、植田元輝、山下一弥ら。しかし翌1999年の夏ごろには事実上の戦力外とみなされた。同年9月、10月に大分トリニティの入団テストを受けるも不合格、その後新日鐵大分へ移籍した。
大畑 隼哉(おおはた じゅんや、1979年4月6日 - )は… 大畑 隼哉(おおはた じゅんや、1979年4月6日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。 1995年、サンフレッチェ広島ユースに入団、同期生は石川裕司、秋元雅博、行友亮二ら。 1998年にトップとトレーニー(練習生)契約。同期入団は、大久保誠、石川、池端陽介、植田元輝、行友、秋元、山下一弥。しかし翌年1999年に戦力外通告を受け、大学進学を目指し、2000年に日本体育大学へ進学した。