スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
森田 凜(もりた りん、2002年2月14日 - )は、徳島… 森田 凜(もりた りん、2002年2月14日 - )は、徳島県徳島市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・奈良クラブ所属。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。 徳島ヴォルティスのアカデミー出身。2017年、U-15日本代表に選出され、中国遠征に参加した。2019年3月には、トップチームに2種登録された。 2020年より、トップチームへ昇格した。 2021年、奈良クラブに育成型期限付き移籍。 2023年、FC琉球に育成型期限付き移籍 をしていたが同年9月6日に解除され、奈良クラブに育成型期限付き移籍をすることが発表された。 2025年、奈良クラブに完全移籍。
西 大輔(にし だいすけ、1998年10月31日 - )は、… 西 大輔(にし だいすけ、1998年10月31日 - )は、徳島県徳島市出身のサッカー選手。ポジションはMF、FW。兵庫県社会人サッカーリーグ・エベイユFC所属。 徳島県立徳島商業高等学校から2017年にヴェルスパ大分に加入した。 生まれつき聴覚障害をもっており、JFL以上のカテゴリーで聴覚障害者のサッカー選手が登録されたのは西が初めてである。 2017年7月にトルコ・サムスンで開かれた聴覚障害者の国際スポーツ大会デフリンピックに日本代表として出場した。 2019年5月、FC徳島へ移籍。 2021年、FCバレイン下関へ移籍。 2025年、エベイユFCへ移籍。
佐々木 一輝(ささき いっき、1991年2月19日 - )は… 佐々木 一輝(ささき いっき、1991年2月19日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 小学校1年でサッカーを始めた。徳島商業高校の3年時に出場した全国高校サッカー選手権では、2回戦でその大会で優勝した広島皆実高校から得点を記録した。高校卒業後は京都産業大学へ進学し、2年時からレギュラーに定着した。3年時には関西学生サッカーリーグ1部昇格を経験。 2013年、地元の徳島ヴォルティスに加入。 2016年シーズン、契約満了により徳島を退団。 2017年、カターレ富山へ移籍。ポジション登録はフォワードだが、左サイドバックでも起用された。2021年12月4日、契約満了による退団が発表された。
濱田 雄太(はまだ ゆうた、1989年8月14日 - )は、… 濱田 雄太(はまだ ゆうた、1989年8月14日 - )は、徳島県出身のサッカー選手。貝塚FC所属。ポジションはFW。 タイリーグ2部のシーラーチャーFCでは、出場機会を得て、得点を挙げるなど結果を残し、奈良クラブに移籍するも1年で退団した。その後、大阪の貝塚FCでプレーを続け2015年にはチーム最多得点を挙げるなどしている。
塩谷 司(しおたに つかさ、1988年12月5日 - )は、… 塩谷 司(しおたに つかさ、1988年12月5日 - )は、徳島県小松島市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはディフェンダー(センターバック、サイドバック)。元日本代表。 小学生時代は南小松島FCと大松SCに所属。中学生年代は大塚FCジュニアユース(現徳島ヴォルティスジュニアユース)に所属、2歳下に石川雅博がいる。当時は全く無名だった。 2004年、徳島県立徳島商業高等学校に進学、高1および高2のとき選手権(第83回・第84回)にミッドフィルダーとして出場している。この選手権での活躍により国士舘大学からスポーツ特待生としてスカウトされる。 2007年、国士舘大学へ進学 し、国士大サッカー部に所属する。
田村 直弘(たむら なおひろ、1978年7月3日 - )は、… 田村 直弘(たむら なおひろ、1978年7月3日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィルダー。現在は桃山学院大学体育会サッカー部の監督を務める。 徳島県徳島市出身。徳島商業高校時代、1996年度の全国高校サッカー選手権にて5得点をあげ準決勝進出に貢献。日本高校選抜にも選出されデュッセルドルフ国際ユース大会に出場。桃山学院大学では1999年に関西学生サッカー春季リーグ得点王(8得点)を獲得。 大学在学中の2000年7月にガンバ大阪に加入。2002年7月よりサガン鳥栖に期限付き移籍。2002年7月10日のJ2リーグ第17節・ヴァンフォーレ甲府戦で公式戦初出場。2003年よりサガン鳥栖に完全移籍し、同年限りで契約満了。
黒部 光昭(くろべ てるあき、1978年3月6日 - )は徳… 黒部 光昭(くろべ てるあき、1978年3月6日 - )は徳島県阿南市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。現在はJリーグ・徳島ヴォルティスの強化本部長を務める。 小学2年でサッカーを始める。徳島県立徳島商業高等学校時代、全国高校サッカー選手権大会徳島県大会で3年間連続して決勝へ勝ち進んだが全て準優勝だった。Jリーグクラブからのオファーはあったが、福岡大学へ進学。大学サッカー屈指のストライカーとして活躍し、ユニバーシアード(スペイン・マリョルカ大会)の日本代表にも選ばれた。大学では教員免許を取得した。 大学卒業後、京都パープルサンガに入団。 プロ1年目の2000年は三浦知良やへジスの陰に隠れていてゴールを決めることができなかったが、2年目の2001年には背番号9をもらい、この年41試合で日本人として驚異的な30ゴールを決めJ2ゴールランキング2位、日本人ゴールランキング1位に輝いた。
田渕 龍二(たぶち りゅうじ、1973年2月16日 - )は… 田渕 龍二(たぶち りゅうじ、1973年2月16日 - )は、徳島県出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションは右サイドバック、ウイングバック。旧姓は花垣(はながき)。 日本サッカーリーグの大塚製薬サッカー部を経て、1997年にジャパンフットボールリーグのコンサドーレ札幌へ入団。右のスペシャリストとして チームのJリーグ昇格に貢献した。その後も豊富な運動量を活かして主力として活躍。攻撃面での突出した活躍はあまり見られなかったものの、絶対にこぼさないトラップは芸術的とまで言われ、エメルソンからの強烈なパスを難なく受け止め、こぼれ球を狙った相手DFをかわして決めた2000年7月29日のJ2第25節対浦和レッドダイヤモンズ戦(札幌厚別公園競技場)でのミドルシュートは札幌サポーターに強い印象を残した。
島 卓視(しま たくみ、1967年10月3日 - )は、徳島… 島 卓視(しま たくみ、1967年10月3日 - )は、徳島県出身の元サッカー選手(FW/MF)、指導者(JFA公認A級コーチ)。 KELT FC(旧NETZ8FC)代表兼ジュニアユース監督。 徳島県立徳島商業高等学校卒業。同期に東泰らがいる。 1986年、サンフレッチェ広島の前身であるマツダSCに入団する。同期入団には前川和也や横内昭展らがいる。現役時代は得点力のあるFWとして活躍した。1987年の天皇杯決勝は途中出場を果たしている。 1993年Jリーグが始まると高木琢也との2トップを組み、高木のポストプレーを活かして得点するシャドーストライカーとして活躍した。1994年前期サントリーシリーズのステージ優勝時も、当初は島がレギュラーでイワン・ハシェックからレギュラーポジションを奪っていた。
東 泰(あずま ゆたか、1967年9月21日 - )は、徳島… 東 泰(あずま ゆたか、1967年9月21日 - )は、徳島県徳島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。徳島ヴォルティスコーチ。 徳島県立徳島商業高等学校(同期に島卓視)から日本サッカーリーグのトヨタ自動車サッカー部に入部し、主力の一人として活躍した。 現役引退後は名古屋グランパスエイトのサテライトチームマネージャーを経て、1995年4月1日からは大塚製薬サッカー部スクールコーチに就任。 2005年、大塚製薬サッカー部がプロ化して徳島ヴォルティスが発足すると同時に、徳島のコーチに就任。 2006年9月28日、成績不振を理由に監督を辞任した田中真二の後任として、徳島の監督に就任。シーズン終了後に退任。
貴志 俊治(きし しゅんじ、1961年7月25日 - )は、… 貴志 俊治(きし しゅんじ、1961年7月25日 - )は、日本・徳島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 徳島商業高校を経て、1980年から1994年までヤンマーディーゼルサッカー部およびセレッソ大阪に15年間在籍。 翌1995年からはセレッソ大阪下部組織のコーチを歴任し、2006年にS級ライセンスを取得した。2007年途中からトップチームのコーチに就任し、レヴィー・クルピ監督就任までは暫定指揮を執った 。
西真田 佳典(にしまた よしのり、1955年11月5日 - … 西真田 佳典(にしまた よしのり、1955年11月5日 - )は、サッカー選手代理人。プロサッカー選手とクラブチーム側との交渉面を担当する。 父は徳島県サッカー協会名誉会長だった西真田英昭、弟は京都パープルサンガやヴィッセル神戸等でチーム強化部長職を務めた西真田光司。 徳島商業高等学校から中央大学へ進む。大学では早野宏史と同期だった。 1997年にFIFA代理人制度試験に合格し、ライセンスを取得。 日本人代理人の草分け的存在として活躍し、日本人で最も多くの選手、監督の契約、移籍交渉を手がけたといわれている。 また、「サッカーショップKAMO」で知られる加茂商事、及びJSP(ジャパン・スポーツ・プロモーション)の取締役を務めている。