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山本 茂(やまもと しげる、1950年(昭和25年)8月3日… 山本 茂(やまもと しげる、1950年(昭和25年)8月3日 - )は、日本の実業家。 2000年3月~2007年3月、ネクストコム株式会社(現三井情報株式会社)の代表取締役社長を務めた。 1969年、福岡県立小倉工業高等学校卒業後、機械メーカーでの勤務を経て、1985年、アンガマン・バス株式会社へ入社し、技術本部長を務める。その後、ネットワンシステムズ株式会社で技術本部長を務め、1990年、インテグレート代表取締役に就任する。そして、1991年、スリーコム株式会社(後のネクストコム株式会社、現三井情報㈱)取締役技術本部長に就任後、取締役副社長、代表取締役副社長を歴任し、2000年3月、代表取締役社長に就任した。
成重 光真(光眞、なりしげ みつま、1898年(明治31年)… 成重 光真(光眞、なりしげ みつま、1898年(明治31年)9月23日 - 1980年(昭和55年)10月4日)は、大正から昭和期の鉄道技術者、労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員、小倉市会議長。 大分県西国東郡、のちの真玉村(真玉町を経て現豊後高田市)で、代々庄屋を務めた成重家に生まれる。実家が破産し一家で小倉市に移った。1918年(大正7年)小倉工業学校(現福岡県立小倉工業高等学校)機械科を卒業した。 大連に渡り、大連機械、山東鉄道(膠済線)で勤務し、同鉄道従業員組合長を務め、1923年(大正12年)山東鉄道が中国に還付され帰国した。鉄道省門司鉄道局技手に任官し小倉工場に配属された。現業委員会小倉支部長に3期在任。
倉田 主税(くらた ちから、1886年3月1日 - 1969… 倉田 主税(くらた ちから、1886年3月1日 - 1969年12月25日)は、日本の実業家。株式会社日立製作所元社長・会長、日本科学技術振興財団初代会長、毎日放送元取締役。 弟には俳人の神崎縷々、三井鉱山社長を務めた倉田興人がいる。 福岡県宗像郡神興村(現・福津市)出身。小倉工業を経て仙台高等工業学校(現東北大学工学部)卒業。久原鉱業所日立製作所に入社し、日立鉱山より産出される銅を用いての電線自主製造確立に成功。電線事業確立後は電線工場の工場長に就任し、以降20年に渡り電線製造に携わる。 その後着任した笠戸工場工場長時に、公職追放された初代社長小平浪平以下16名の後を継いで、1947年に日立製作所二代目社長に就任。
山田 晁(やまだ あきら、1884年(明治17年)11月12… 山田 晁(やまだ あきら、1884年(明治17年)11月12日 - 1973年(昭和48年)2月12日)は、日本の実業家。1924年(大正13年)、後にダイキン工業となる合資会社大阪金属工業所を設立、初代社長を務めた。フロン冷凍機技術とフッ素樹脂などを独自開発した事で知られ、ダイキンの主力となるエアコン開発の礎を築いた。位階は正五位。 1884年(明治17年)11月12日、山口県厚狭郡船木村(現:宇部市)に、かつて厚狭毛利家の家臣であった松田隆三の二男として出生したが、当時の松田家は裕福ではなかった。 船木尋常高等小学校高等科2年終了後、一時漢方医の書生となったが、小倉で紙箱製造販売をしていた3歳年上の兄松田隆亮の誘いで小倉へ移り、2年間の受験勉強ののち福岡県立小倉工業学校機械科に入学した。