スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中島 彰吾(なかしま しょうご、1992年6月15日 - )… 中島 彰吾(なかしま しょうご、1992年6月15日 - )は、福岡県小郡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代に、実兄と共に味坂クラブで野球をスタート。小郡市立宝城中学校で軟式野球部へ所属すると、1年時から三塁手兼投手、1年秋からエースとして活躍した。 大牟田高校への進学後は、右翼手としての起用を経て、2年秋からエースの座を確保。しかし、在学中は春夏ともに、全国大会への出場経験がなかった。 福岡大学への進学後は、主に救援投手として、九州六大学野球のリーグ戦で登板。2年時と3年時には明治神宮野球大会での救援登板も果たしたが、リーグ戦では通算18試合の登板で1勝2敗にとどまった。梅野隆太郎・信楽晃史は、いずれも1年先輩に当たる。
阿部 和成(あべ かずなり、1989年5月19日 - )は、… 阿部 和成(あべ かずなり、1989年5月19日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学1年時に大牟田イーグルスで軟式野球、5年時に投手を始める。6年時には、エースとして福岡県大会へ出場した。 田隈中学校への進学後に軟式野球部に所属すると、2年時の秋にチームを福岡県大会準決勝へ導いた。当時から県内屈指の好投手として評価されていたため、複数の高校から入学を勧誘されたが、実際には地元の大牟田高等学校へ進学。1年時の夏からエースとして活躍した。2年時の秋に福岡県大会優勝・九州大会準優勝を成し遂げたことから、3年時の春に第79回選抜高等学校野球大会へ出場。佐野日本大学高等学校との1回戦では、先発で8回3分の1を投げて7失点で敗れたものの、自責点は0であった。
宮脇 則昭(みやわき のりあき、1969年4月29日 - )… 宮脇 則昭(みやわき のりあき、1969年4月29日 - )は、熊本県荒尾市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)。右投右打。 大牟田高校時代は、3度のノーヒットノーランを達成した。 1987年のプロ野球ドラフト会議で、阪神タイガースから4位指名を受け入団。 投手としてプロ入りしたが一軍登板のないまま、プロ2年目の1989年に外野手に転向した。俊足・強肩を持ち味にしていたが、外野手としても一軍出場は果たせず1990年限りで現役を引退した。 2007年から2013年まで阪神の二軍マネージャーを務めていた。2014年からは球団本部課長を務め、2018年からは球団本部次長チーム運営ファーム・育成担当ファームディレクターを務める。
村上 隆行(むらかみ たかゆき、1965年8月26日 - )… 村上 隆行(むらかみ たかゆき、1965年8月26日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)、野球解説者、コーチ。現在はサムスン・ライオンズ一軍打撃コーチ。 トゥルーマサ所属。現役時代後半の登録名は村上 嵩幸(読み同じ)。 大牟田市で鮮魚商の家庭の長男として生まれ、弟と妹が一人ずついる。歴木中学校で本格的に野球を始め、同じ大牟田市出身の原辰徳に憧れて三塁手を務めた。中学3年生の時には巨人の宮崎キャンプを見学し、原から声をかけられたという。大牟田高校では1年生の間は一塁手、2年生からは投手を任された。高校時代の同級生に中島浩二がいた。 高校では練習試合で3階建ての校舎を越える本塁打を放つなど、強打でNPBのスカウトから注目されている。