スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
貞山 健源(さだやま たけもと、1954年11月2日 - )… 貞山 健源(さだやま たけもと、1954年11月2日 - )は大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 大分県立別府鶴見丘高等学校では、高校3年生のとき、コントロールとタフさを買われて投手に転向。 1972年夏の高校野球選手権大会大分県予選では2回戦で大分商に敗れたが奪三振11を奪って注目されていた。 速球とカーブを武器とした。 同年のドラフト会議で太平洋クラブライオンズに8位指名され入団。 一軍公式戦出場のないまま、1974年限りで自由契約となり引退した。
大場 隆広(おおば たかひろ、1948年6月23日 - 20… 大場 隆広(おおば たかひろ、1948年6月23日 - 2016年7月16日)は、福岡県田川郡香春町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。息子は元巨人の大場豊千。 別府鶴見丘高校では3年次の1966年、エースとして夏の甲子園予選中九州大会準決勝に進出したが、熊本一工の田尻茂敏と投げ合い敗退。甲子園出場はならなかったが、予選では1試合平均11の三振を奪う。荒削りながら速球に魅力があり、ドロップを武器とした。1966年第1次ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け、1967年に入団。1年目にはジュニアオールスターに選出されるなど貴重な本格派左腕として期待されたが、一軍では結果を出せず、1970年オフに自由契約となり、近鉄バファローズへ移籍。
浜口 政信(はまぐち まさのぶ、1947年7月7日 - )は… 浜口 政信(はまぐち まさのぶ、1947年7月7日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。守備位置は投手。 別府鶴見丘高校では、主戦投手として1964年秋季九州大会県大会準決勝に進むが、佐伯鶴城高の山中正竹に完封負け。翌1965年夏の甲子園県大会では中津南高から22奪三振を記録するが、準々決勝で衛藤雅登のいた別府大付高に敗退。八代一高の豊永隆盛、高鍋高の牧憲二郎とともに、九州の三羽烏として注目された。高校の1年下に大場隆広。 1965年ドラフト会議でサンケイスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に4位指名で入団。1年目の1966年から一軍に上がり、翌1967年には中継ぎとして10試合に起用される。
三浦 清弘(みうら きよひろ、1938年9月2日 - 201… 三浦 清弘(みうら きよひろ、1938年9月2日 - 2016年3月27日)は、大分県別府市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。 別府鶴見丘高では1年先輩の稲尾和久と投げ合ったこともあり、3年次の1956年、エースとして夏の甲子園に出場。1回戦で足利工を降すが、2回戦では米子東高に0-1で惜敗。 卒業後の1957年、同期の右翼手の山本征良と共に南海ホークスへ入団。1年目から一軍で登板機会こそ得たものの、1961年までは目立った活躍はできなかった。 1962年には開幕から先発陣の一角に組み込まれ、生涯最高の成績となる17勝、初めて規定投球回にも達してリーグ8位の防御率2.62を記録。本人はこのシーズン、それまでのシーズンと異なり監督の鶴岡一人に安定して一軍で重用されたことが大きいと後に振り返っている。