スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
本東 洋(もとひがし ひろし、1967年9月14日 - )は… 本東 洋(もとひがし ひろし、1967年9月14日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(投手)。 鹿児島高では3年春の県大会優勝、社会人野球の三菱重工長崎に入団。1991年の都市対抗野球ではリリーフとして準優勝に貢献。 1991年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから3位指名を受け入団。 アンダースローのリリーフとして、プロ1年目の1992年に一軍初登板を含む3試合に登板するが、以降は一軍登板がなく1995年限りで現役を引退。
栫 政彦(かこい まさひこ、1965年6月2日 - )は、鹿… 栫 政彦(かこい まさひこ、1965年6月2日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。 鹿児島高から、1983年のプロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスから6位指名を受け入団。技巧派の左腕で切れのいいカーブが武器だった。 1986年10月に森厚三との交換トレードで、広島東洋カープに移籍。一軍出場機会がないまま、1987年シーズンを最後に退団。
中原 勇(なかはら いさむ、1950年9月12日 - )は、… 中原 勇(なかはら いさむ、1950年9月12日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。 鹿児島高では、2年生の時に一塁手として第49回全国高等学校野球選手権大会に出場した(初戦で仙台商業高校に完封負けを喫したが、ヒット1本を記録している)。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業佐賀関に入団し、投手に転向した。1969年のプロ野球ドラフト会議で東映フライヤーズから2位指名を受け、プロ入りを果たす。 左オーバースローからストレート、シュート、決め球は落ちるカーブを武器とし、178センチ、70キロと細身の体格から投げ下ろすボールは威力があり、左の中継ぎとして活躍した。 プロ1年目の1970年には、イースタン・リーグで最優秀防御率のタイトルを獲得し、一軍でも初登板を含む21試合に登板している。
岡元 勝幸(おかもと かつゆき、1945年 4月30日 - … 岡元 勝幸(おかもと かつゆき、1945年 4月30日 - )は、鹿児島県揖宿郡山川町(現・同県指宿市)出身の元プロ野球選手(内野手)。 鹿児島高校在学中の1963年、正一塁手として第45回全国高校野球選手権大会に出場したが、1回戦で新潟商業高校に敗れた(スコアは0-1)。 卒業後は、社会人野球の立正佼成会と大京観光で活躍。1968年にドラフト外でサンケイアトムズに入団した(背番号44)。だがプロ野球の世界では活躍できず、1年在籍しただけで引退した。 引退後、セコムに入社。1998年から2002年まで、関連企業である「セコム機器販売株式会社(現・セコムアルファ株式会社」の代表取締役を務めた。
黒江 透修(くろえ ゆきのぶ、1938年12月12日 - )… 黒江 透修(くろえ ゆきのぶ、1938年12月12日 - )は、鹿児島県姶良郡姶良町(現・姶良市)出身(台湾台北市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。旧名は幸弘。 父親は海軍軍人で、香港に移住後に除隊となってから、軍需品を扱う仕事をしていた。幼少期は裕福であったが、終戦を機に財産を消失して貧しくなる。1946年、両親の故郷である鹿児島市に引き揚げ、父親は精米所の経営を始めた。 黒江は8人兄弟の三男で、4人の男兄弟の中で最も運動神経に優れており、小学校3年生の時に野球を始める。両親は黒江をプロ野球選手にしたいとの夢を抱いており、『野球界』などの野球雑誌を買い与えられたほか、食事の際にも肉を兄弟の中で一番多く出されるなど、優遇されていたという。
是枝 昭男(これえだ あきお)は、日本のアマチュア野球選手、… 是枝 昭男(これえだ あきお)は、日本のアマチュア野球選手、鹿児島放送(KKB)の野球解説員。鹿児島県谷山市(現鹿児島市)出身。