松崎 伸吾(まつざき しんご、1983年9月17日 - )は… 松崎 伸吾(まつざき しんご、1983年9月17日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学生時代に実兄の影響で少年野球チームに入ると、中学生時代には軟式野球部で本格的に投手を始めた。 中学校からの卒業後に、青森県の光星学院高等学校へ進学した。2年時の夏まで打撃投手を務めながら、外野手としてレギュラーの座を獲得すると、3年夏の第83回全国高等学校野球選手権大会では4番打者に起用。投手兼右翼手として、チームの準々決勝進出に貢献した(詳細後述)。 高校からの卒業後に進学した東北福祉大学では、1年時の秋からベンチ入りを果たすと、サイドスローの右投手である福田聡志と並んでエースとして活躍。
鈴木 尚広(すずき たかひろ、1978年4月27日 - )は… 鈴木 尚広(すずき たかひろ、1978年4月27日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ、野球解説者・YouTuber。愛称は「タカ」。 NPBにおける代走での通算盗塁数の日本記録保持者であり、現役時代は「代走のスペシャリスト」などと評された。 5歳頃から野球を始める。野球のセンスは人並だったが小学生の時から足は速かったという。中学では陸上部を兼部し、主に中距離を走る。この頃毎日30km近く走ったことで足腰が鍛えられた。相馬高校では野球部に入り遊撃手や控え投手を務めるが、甲子園出場はなく目立った活躍もなかった。1996年のドラフトで読売ジャイアンツから4位指名を受けて入団。
伊藤 博康(いとう ひろやす、1969年9月13日 - )は… 伊藤 博康(いとう ひろやす、1969年9月13日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(外野手)。 学法石川高時代は、2年夏、3年春の選抜と甲子園に出場。チームメイトに諸積兼司と作山和英がいた。 高校卒業後は、作山とともに東北福祉大学に進学。4年次は主将を務めて春に最多打点、最多本塁打、全日本大学野球選手権で初優勝する。秋はベストナイン。この年は日米大学野球でMVP。 1991年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け入団。 ルーキーイヤーの1992年、緒方耕一、川相昌弘、ロイド・モスビー、原辰徳が故障によりスタメンから外れるという緊急事態に急遽一軍昇格で即1番ライトでスタメンに抜擢されると、5打席で二塁打2本2四球という鮮烈デビューを飾る。
作山 和英(さくやま かずひで、1969年6月4日 - )は… 作山 和英(さくやま かずひで、1969年6月4日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(投手)。 学法石川高では、2年生時の1986年に夏の甲子園に控え投手として出場。2回戦(初戦)で東洋大姫路高の長谷川滋利、島尾康史の継投に抑えられ敗退。この試合ではリリーフとして起用され甲子園初登板を果たす。翌1987年には春の選抜にも出場。1回戦で先発するが池田高に敗れる。高校同期に伊藤博康、諸積兼司がいた。 高校卒業後は、高校同期の伊藤とともに東北福祉大学に進学。仙台六大学野球リーグでは在学中7回優勝。1991年の全日本大学野球選手権大会では決勝で関大と対戦。延長17回の熱戦を制し優勝投手となる。