今井 達也(いまい たつや、1998年5月9日 - )は、栃… 今井 達也(いまい たつや、1998年5月9日 - )は、栃木県鹿沼市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのヒューストン・アストロズ所属。 小学1年から野球を始め、鹿沼市立西中学校時代はクラブチームの鹿沼レッドソックスに所属し、全国野球大会に出場した。 中学卒業後は作新学院高等学校に進学。2年夏は栃木大会で背番号「11」でベンチ入りし、準決勝の白鷗大学足利戦に先発するも、四球と大下誠一郎の右前安打でピンチを招き、二死一・三塁からライトスタンドへの同点3点本塁打を打たれ、1回3安打2四死球3失点で降板した。國學院栃木との決勝戦では6回からリリーフ登板したものの制球が定まらず、相手打者に対して頭部死球を与えるなど、1回1/3を1安打4四死球で降板した。
松崎 啄也(まつざき たくや、1992年1月20日 - )は… 松崎 啄也(まつざき たくや、1992年1月20日 - )は、栃木県鹿沼市出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手)。 鹿沼市立菊沢東小学校の2年次より菊東スポーツで野球を始め、鹿沼市立北中学校に在学時は鹿沼ボーイズに所属した。 作新学院高等学校では3年次の夏に4番として活躍し、第91回全国高等学校野球選手権大会に同高は31年ぶりの甲子園出場を果たした。同大会の1回戦で長野日大に敗れるものの、4番捕手で先発出場して、3安打1打点の成績を残した。 作新学院大学に進学後、日本製紙石巻に入社した。捕手として所属していたが、2015年は主に一塁手での出場が多かった。 2015年10月22日、ドラフト会議において読売ジャイアンツに8位指名を受けて入団。
小倉 恒(おぐら ひさし、1970年8月10日 - )は、栃… 小倉 恒(おぐら ひさし、1970年8月10日 - )は、栃木県鹿沼市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校低学年から野球を始め、「さつきが丘スポーツ少年団」でプレー。4年生の頃からずっと投手だった。鹿沼東中学校、県立鹿沼商工高等学校(旧校名:鹿沼農商)へ進学。1年秋は県大会ベスト4、3年春は県大会準優勝で関東大会ベスト8。甲子園を目指したが、出場は果たせなかった。 社会人でも野球を続けたかったがどこからも声がかからず、地元の野球クラブチーム「全足利クラブ」に所属する。足利市役所の体育・文化振興会の職員として働きながら、勤務後に野球の練習を続けた。 1年目の1989年、全日本クラブ選手権では準々決勝で完投勝利するなど優勝に貢献。
五月女 豊(さおとめ ゆたか、1949年4月13日 - )は… 五月女 豊(さおとめ ゆたか、1949年4月13日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(投手)。 鹿沼農商高校(現栃木県立鹿沼商工高等学校と鹿沼南高等学校とに分離)では1967年に夏の甲子園に出場。1回戦で村上真二のいた今治南高に敗退。高校同期の中新井明捕手がサンケイ入りしている。卒業後は日本石油に入社。三浦健二、奥江英幸といった主力投手の陰に隠れがちだった。 1972年に日本産業対抗野球大会(サンベツ)の2回戦で日本生命からノーヒットノーランを達成。準決勝では延長14回を投げ抜き大昭和製紙に完封勝利。決勝で鐘淵化学を降しチームの初優勝に貢献、最高殊勲選手に選出されて一躍注目を浴びる。この時のチームメイトに秋元国武、町田公雄らがいた。