斎藤 宜義(さいとう ぎぎ、文化13年〈1816年〉1月 -… 斎藤 宜義(さいとう ぎぎ、文化13年〈1816年〉1月 - 1889年〈明治22年〉8月9日)は、江戸時代後期から明治時代の和算家(数学者)。宜義は字で、長次郎または長平(戸籍)といった。号は算象、逐葊または乾坤独算民。上野国群馬郡板井村(現・群馬県佐波郡玉村町板井)の出身で、父も和算家の斎藤宜長。墓所は群馬県指定史跡(昭和24年1月11日指定)。 上野国群馬郡板井村の和算家・斎藤宜長の子として生まれる。兄弟姉妹の有無は不明。 父に和算の教えを受け、数え11歳の文政9年(1826年)には「斎藤宜長教授」として大堀辰五郎宜之とともに新町宿の稲荷社に算額を奉納している(『算法雑俎』)。江戸に出て和田寧の教えも受けたとされている。
