永井 敦士(ながい あつし、2000年1月10日 - )は、… 永井 敦士(ながい あつし、2000年1月10日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学校2年時にあおぞらベースボールクラブで野球を始める。草加市立花栗中学校時代は草加ボーイズに所属し、3年時には世界大会に日本代表として出場。 二松學舍大学附属高校へ進学してからは1年時から主砲を任され、3年夏には第99回全国高等学校野球選手権大会に「4番・左翼」で出場。初戦(2回戦)の明桜戦で5打数5安打1打点の活躍。3回戦の三本松戦は本人も1安打に終わり、チームも敗れた。高校通算47本塁打。 2017年のNPBドラフト会議にて広島から4巡目で指名され、11月9日に契約金3500万円、年俸500万円(いずれも推定)で仮契約を結ぶ。
並木 秀尊(なみき ひでたか、1999年3月23日 - )は… 並木 秀尊(なみき ひでたか、1999年3月23日 - )は、埼玉県草加市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 草加市立八幡小学校2年の時に野球を始め、草加市立川柳中学校時代は軟式野球部で捕手であった。 市立川口高等学校では2年夏に中堅手にコンバートし、3年夏は埼玉県大会3回戦で敗れ甲子園出場はなかった。 首都大学野球リーグに所属する獨協大学硬式野球部では2年からレギュラーを獲得。在学中の4年間全て二部リーグでプレーし、通算24盗塁を記録した(二盗失敗は0)。また3年春、3年秋、4年秋に首都大学二部のベストナインを受賞した。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから5巡目で指名され、11月27日に契約金3300万円、年俸750万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
増渕 竜義(ますぶち たつよし、1988年5月3日 - )は… 増渕 竜義(ますぶち たつよし、1988年5月3日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
古川 祐樹(ふるかわ ゆうき、1985年4月5日 - )は、… 古川 祐樹(ふるかわ ゆうき、1985年4月5日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、読売ジャイアンツ球団職員。 小学校1年から5歳上の兄に連れられ、草加市スポーツ少年団の瀬崎ベアーズで野球を始めた。草加市立瀬崎中学校では硬式クラブからの誘いもあったが、小学校時代のチームメイトとのプレイを希望したため学校の軟式野球部に所属した。 春日部共栄高に進学し、2年秋から背番号1を背負ったが、左ひじを痛めたため秋季大会は投げていない。高3夏の埼玉大会決勝で聖望学園高等学校に敗れる等、甲子園への出場はない。甲子園経験はないが、春日部共栄高時代は浦和学院高等学校・須永英輝のライバルとして知られていた。
小林 宏之(こばやし ひろゆき、1978年6月4日 - )は… 小林 宏之(こばやし ひろゆき、1978年6月4日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(投手)。愛称は「コバヒロ」。 2010年から2012年および2014年の登録名は、姓名の区切りがない小林宏(こばやしひろ)。 春日部共栄高校では3年春の県大会優勝、夏はベスト8と活躍。1996年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズより4位指名を受けて入団。同校はプロ野球選手を多数輩出しているが、大学や社会人を経ずに直接プロ入りしたのは小林が初めてだった。 プロ1年目はジュニアオールスターに出場し、翌1998年、一軍初登板を含む2試合に登板したが、2試合ともチームがプロ野球記録となる18連敗中を喫している中での敗戦処理としての登板であった。
坂巻 明(さかまき あきら、1955年5月12日 - )は、… 坂巻 明(さかまき あきら、1955年5月12日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 二松學舍大附高では1年夏から4番・一塁手としてチームを東京都大会決勝戦まで導くが、日大一高の保坂英二の前に敗戦。青山学院大学へ進学するが父の病により2年次に中退。実家の食料品店を手伝いながら、親戚の病院で臨床検査技師としても勤務した。1976年オフに周囲の人の勧めで、入団テストを受け合格。西井敏次とともにドラフト外で日本ハムファイターズに入団した。 入団直後は打撃投手としての役割が多かったが、1980年には2軍で8勝を挙げ、チームのイースタン・リーグ優勝に貢献。 その後もなかなか一軍出場の機会を得られず、1981年のオフには退団を申し出るが、球団に慰留され残留。
吉沢 俊幸(よしざわ としゆき、本名:吉澤 俊幸、1954年… 吉沢 俊幸(よしざわ としゆき、本名:吉澤 俊幸、1954年7月23日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手。 日大三高では2年生の時、遊撃手として1971年の春の選抜に出場。1年上のエース渡部良克(日大-名古屋日産)を擁し順調に勝ち進む。決勝では渡部と大鉄高の奥田直也の投げ合いとなるが、2-0で完封勝利、初優勝を飾った。同年夏の東京大会では準決勝で日大一高の保坂英二に完封負け。他の1年上のチームメートに捕手の岩沢建一がいた。 翌1972年の選抜にも連続出場。同期の待井昇、小曽根修治(電電関東)両投手の好投もあり決勝に進むが、日大櫻丘高のエース仲根正広に完封を喫し準優勝にとどまる。夏の東京大会は6回戦で戸山高に完封負けを喫した。