豊田 拓矢 (とよだ たくや、1987年3月28日 - )は… 豊田 拓矢 (とよだ たくや、1987年3月28日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校5年生の時に「小作田ベスターズ」で野球を始め、八潮中学校時代は「八潮シニア」でプレーした。浦和学院高等学校では1年生時の夏にベンチ入りし、チームは1年生時と3年生時に全国高等学校野球選手権大会に出場、自身は通算で2試合2/3回を投げ防御率0.00だった。 上武大学4年生の時、関甲新学生野球・春季リーグで5勝を挙げ最多勝を受賞した。この年、チームは第57回全日本大学野球選手権大会に出場。大学通算成績は12試合74回を投げ9勝2敗、防御率1.82。 TDKでは1年目から都市対抗、日本選手権に登板。
大竹 寛(おおたけ かん、1983年5月21日 - )は、埼… 大竹 寛(おおたけ かん、1983年5月21日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 浦和学院高2年夏に全国選手権に出場したものの2回戦で敗退。当時は1学年上の坂元弥太郎がエースだったため、登板機会なし。2年秋の関東大会からエースになるが水戸商業に初戦敗退。3年春は埼玉県大会で東農大三高に惜敗。3年夏の埼玉大会では春日部共栄に9回表二死まで3-1とリードしていたが、味方のエラーで逆転され埼玉大会ベスト8にとどまった。また、日本代表としてアジアAAA選手権に出場した。 2001年度プロ野球ドラフト会議にて広島東洋カープから1巡目指名を受けて入団。背番号は17。
日里 正義(ひざと まさよし、1976年7月29日 - )は… 日里 正義(ひざと まさよし、1976年7月29日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(外野手)。 春日部工業高校では投手。野球部では山崎弘也(アンタッチャブル)の1年後輩。2年夏は県大会準決勝まで進出するが、甲子園で準優勝する春日部共栄高相手に投げるもコールド負け(この時、山崎はスタンドで応援団だった)。 卒業後、佐藤工務店、全三郷クラブへと進む。社会人時代に会社の倒産という不幸に見舞われながら、家業を手伝い、クラブチームで練習を続けたという苦労人であった。 入団テストを経て、1997年のドラフト会議で日本ハムファイターズから6位指名を受け外野手として入団するも、2000年に戦力外通告を通知され、現役から引退する。
遠藤 竜志(えんどう りゅうじ、1976年4月17日 - )… 遠藤 竜志(えんどう りゅうじ、1976年4月17日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手(投手)。 修徳高校では2年夏に高橋尚成の控え投手として選手権大会に出場。チームはベスト8に進出したが、自身の登板はなかった。2年秋からはチームのエースとして140km/hの速球を武器に活躍。一方で同年から右肩に痛みを感じ、さらに3年になった1994年の6月には右肘に炎症を起こし、医師から登板を禁止されている。このため夏の都大会では四番・中堅手として出場し、安田学園との4回戦では登板を直訴したが監督に止められ、この試合でチームは敗れた。 卒業後はNTT関東に進み、3年目の1997年にはリリーフとして頭角を現した。
橿渕 聡(かしぶち さとし、1974年9月22日 - )は、… 橿渕 聡(かしぶち さとし、1974年9月22日 - )は、埼玉県八潮市の元プロ野球選手(外野手)。2003年の登録名は橿渕 智士(読み同じ)。 八潮第二中学校(現:八潮市立大原中学校)時代はボーイズリーグで投手を務めた。春日部共栄高では外野手兼投手として2年時に春夏連続で甲子園に出場。1学年上の主将が城石憲之。 明治大学では2年春から外野手のレギュラー。1996年に主将に就任し、秋はベストナインで明治神宮大会は連覇。リーグ通算76試合出場、241打数63安打、打率.261、2本塁打、31打点。同期に筒井壮、1学年上に野村克則、中村豊、1学年下に川上憲伸がいた。 1997年に日立製作所に入社し、1998年の都市対抗ではベスト8に進み、また全日本選抜にも選ばれるなどの実績を残した。