石田 雅俊(いしだ まさとし、1995年5月4日 - )は、… 石田 雅俊(いしだ まさとし、1995年5月4日 - )は、千葉県習志野市出身のプロサッカー選手。 Kリーグ・大田ハナシチズン所属。ポジションはフォワード(FW)。 Kリーグ時代の登録名はマサ(ハングル: 마사)。 2014年、船橋市立船橋高校から京都サンガF.C.に入団。3月30日、Jリーグ・アンダー22選抜のブラウブリッツ秋田戦で63分にJリーグ初出場を果たし、86分にJリーグ初ゴールを記録した。8月10日のコンサドーレ札幌戦でJ2リーグに初出場し、8月17日の大分トリニータ戦でJ2リーグ初ゴールを記録した。 2016年7月、SC相模原へ期限付き移籍により加入し、2017年にはザスパクサツ群馬へ期限付き移籍により加入した。
北嶋 秀朗(きたじま ひであき、1978年5月23日 - )… 北嶋 秀朗(きたじま ひであき、1978年5月23日 - )は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元日本代表。現役時代のポジションはフォワード。愛称はキタジ。 市立船橋高校時代に、第73回、第75回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。第75回大会決勝では中村俊輔擁する桐光学園高等学校を破り、優勝。同大会では6得点を奪い得点王・優秀選手となった。選手権大会通算16得点を挙げたが、これは当時の通算最多得点数であった。森崎嘉之、鈴木和裕、茶野隆行は2学年上、式田高義、砂川誠は1学年上、中村直志、吉川京輔、佐藤陽彦は高校の同級生である。 1997年、柏レイソルに入団。プロ3年目の1999年からは柏のエースとして活躍し、翌年には得点王争いに絡む活躍を見せると、フィリップ・トルシエ率いる日本代表にも召集される。
服部 公太(はっとり こうた、1977年11月22日 - )… 服部 公太(はっとり こうた、1977年11月22日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。渋谷教育学園幕張高等学校卒業。 現在は広島経済大学で監督を務めている。 5歳のころからサッカーを始める。主に攻撃的なMFとしてプレー、高校は渋谷幕張高校へ進学、宗像マルコス望から指導を受けている。高校3年次には千葉県選抜としてふくしま国体少年部門優勝、U-18日本代表にも選ばれた。東京ガスサッカー部(当時JFL)からの熱心なオファーを受けるつもりでいたが、渋谷幕張高校のコーチからJリーグでの挑戦を後押しされ、翻意する。 1996年、サンフレッチェ広島に入団。
砂川 誠(すなかわ まこと、1977年8月10日 - )は、… 砂川 誠(すなかわ まこと、1977年8月10日 - )は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手・サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 憧れのサッカー選手はヨハン・クライフ。好きなサッカー選手は三浦知良、ロベルト・バッジョ などがいる。コンサドーレ札幌に10年以上在籍した初の選手であり、2009年に札幌を一度も離れることなく引退した曽田雄志に次ぐ「ミスターコンサドーレ」と称される。また、曽田と同様にクラブの激動の時代を支え、J1クラブからのオファーを蹴って札幌に残留した「チーム愛」 や、後述の再契約の経緯にも見られるように、サポーターからの人気は高く、チャント(応援歌)では「俺達の砂川誠」と歌われている。
高田 昌明(たかだ まさあき、1973年7月26日 - )は… 高田 昌明(たかだ まさあき、1973年7月26日 - )は、千葉県習志野市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック)、MF(守備的MF)。 市立船橋高校3年次の全国高校サッカー選手権でベスト4進出に貢献。抜群の身体能力を買われて飛び級でバルセロナ五輪予選日本代表に選出、1992年1月のアジア最終予選に出場した。高校在学中の五輪選抜は初の出来事で当時の話題をさらった。卒業後、横浜フリューゲルスに入団。Jリーグ草創期のフリューゲルスを支える。当時の監督、加茂周がめざすゾーンプレスをダブルボランチの相方山口素弘と体現。エドゥー、モネール、前園真聖らタレントと共に活躍した。
布 啓一郎(ぬの けいいちろう、1960年12月21日-)は… 布 啓一郎(ぬの けいいちろう、1960年12月21日-)は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 体育教師志望で日本体育大学に一般入試で受験し合格した。所属したサッカー部では三軍からレギュラーを勝ち取り全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)でも優勝している。 日体大卒業後、1984年に船橋市立船橋高等学校に赴任し、サッカー部監督に就任。これ以降、1987年、88年の高校総体連覇をはじめ、高校選手権4回の優勝などの成績を残した。2000年に日本サッカー協会公認のS級ライセンスを取得した。 2003年、船橋市立船橋高校を退職し、U-16日本代表監督に就任したが、日本で開催されたAFC U-17選手権2004は1次リーグで敗退し、2005 FIFA U-17世界選手権出場は成らなかった。