秋山 正雲(あきやま せいうん、2003年4月29日 - )… 秋山 正雲(あきやま せいうん、2003年4月29日 - )は、千葉県流山市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 流山市立西深井小学校1年の時にカージナルスで軟式野球を始め、6年時にはヤクルトスワローズJr.に選出されてNPB12球団ジュニアトーナメントに出場している。流山市立東深井中学校時代は硬式野球(リトルシニア)の荒川シニアに所属。 二松學舍大学附属高等学校では1年夏からベンチ入りし、1年秋からエースとなった。3年夏には第103回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦(2回戦)の西日本短大附属戦は4安打9奪三振の完封勝利。3回戦の京都国際戦は延長10回まで1人で投げ抜いたが、6失点で敗戦した。
船越 涼太(ふなこし りょうた、1993年11月26日 - … 船越 涼太(ふなこし りょうた、1993年11月26日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。妹は女子野球日本代表でプレー経験のある船越千紘。 流山市立江戸川台小学校時代は地元の少年野球チーム(初石クーガーズ)に所属。小学校6年生のときにはエースで4番でキャプテンとして臨んだ第2回CUP選抜学童軟式野球大会(関東大会)にて優勝の経験がある。さらに同年にはマリーンズJrに選出され、第1回NPB12球団ジュニアトーナメント準優勝に貢献。この時のチームメートに髙山俊、近藤健介らがいる。流山市立北部中学校では軟式野球部に所属。 柏市立柏高校野球部では遊撃手として1年次からレギュラーとして活躍し、2年夏の大会は5番打者として全試合に出場し、8強入り。
吉田 裕太(よしだ ゆうた、1991年7月21日 - )は、… 吉田 裕太(よしだ ゆうた、1991年7月21日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 野球を始めたのは小学3年生から。小学2年までは地元のサッカークラブに所属していたが、同学年の子どもたちより体格に恵まれていたという理由でやらされていたゴールキーパーというポジションに不満を持ち、3年生に進級したタイミングで地元にあるボーイズリーグの強豪「流山クラブ」へ入ることに。流山クラブでは全国制覇を経験。千葉県に在住していたことから、初めてのプロ野球観戦は千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ対西武ライオンズ戦だった。その後、東深井中学時代は柏リトルシニアでプレー。当時一番の思い出は「練習」だという。
高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千… 高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 流山市立東小学校、流山市立東部中学校卒業。 帝京高校時代は松本高明、吉田圭らがチームメイト。自身はエースを務めたほか、高校通算12本塁打を記録するなど打撃も良く、登板しない際には三塁手としても出場していた。3年生時(2002年)には第84回全国選手権に出場し、最終的に準決勝まで勝ち進んだが、2回戦の光泉高校(滋賀県代表)戦以外はピリッとせず、伝令役の選手に「エースならしっかりしろ!」と一喝される一幕もあった。 青山学院大学では国際政治経済学部に在籍。山岸穣の卒業後にエースとなる。3年春から4年春にかけて同大学のリーグ3連覇に貢献し、東都大学リーグ史上初となる3季連続でのMVP、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。
押本 健彦(おしもと たけひこ、1982年10月28日 - … 押本 健彦(おしもと たけひこ、1982年10月28日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生で流山市の少年野球チームで野球を始めた。中高では大舞台とは無縁であったが、日産自動車では2003年に東京スポニチ大会で松下電器を相手に延長15回無失点に抑えて注目されると、同年は都市対抗野球で東芝の補強選手(登板なし)。第30回社会人野球日本選手権大会優勝にも大きく貢献した。 2003年のドラフト会議で日本ハムファイターズから4巡目で指名を受けた。日本選手権の終了を待って、契約金8,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)で仮契約し入団した。 2004年はキャンプ・開幕は二軍で過ごしたが、一軍投手陣の不調と二軍での好投により、4月早々に初の一軍昇格を決めた。
工藤 友也(くどう ともや、1975年5月1日 - )は、千… 工藤 友也(くどう ともや、1975年5月1日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉県流山市立常盤松中では後にアジア大会の主将を務めるなどアマチュアで活躍する安田真範(亜細亜大学 - 東芝)とバッテリーを組む。 湖北高3年夏の県大会は市立船橋にコールド負けするも、1993年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。187cmもの巨体から繰り出される140km/hを超える速球を武器に期待されていた。 しかし、1年目の1994年は肘の故障により、一軍はおろか二軍の試合にさえも1試合も登板出来ず、ようやく肘が完治した2年目の1995年も結果を残す事が出来ず、一度も一軍に上がる事がないまま同年限りで戦力外通告を受け、引退した。
板沢 峰生(いたざわ みねお、1961年7月4日 - 198… 板沢 峰生(いたざわ みねお、1961年7月4日 - 1980年12月3日)は、千葉県東葛飾郡流山町(現在の流山市)出身のプロ野球選手(内野手)。 我孫子高では、2年次の1978年に当時1年生であった和田豊と三遊間を組んで夏の甲子園に出場した。 1979年オフ、チームメイトの仲野和男(外野手)と共にドラフト外で西武ライオンズに入団した。 1年目の1980年、二軍でイースタン・リーグ公式戦39試合に出場、打率.238、2本塁打、9打点の成績を残し、守備でも堅実なフィールディングを見せ注目されていた。しかし千葉県の自宅に帰省していた同年オフの12月2日、突然気分が悪くなって我孫子市の病院に入院し、急性心不全のため翌3日に死去した(19歳没)。
田中 幸雄(たなか ゆきお、1959年2月27日 - )は、… 田中 幸雄(たなか ゆきお、1959年2月27日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 1986年から1989年にかけて同一チームに同姓同名の田中幸雄(内野手、同時在籍時の表記は「田中雄」)が在籍し、投手の田中幸の方が内野手の田中雄より背が高かったため(190cm)、オオユキと呼ばれた。 流山高校では園芸科で、高校3年秋には実物鑑定の全国大会に出場した。野球部では、ポジションは遊撃手と三塁手で、高校2年秋からは主将を務めた。部員は10名程度で、大会前にはサッカー部など他の部から補強し、夏の地方大会は3年連続で1回戦で敗退と、「甲子園とはまったく別の世界」だった。 高校3年の春の大会で宇野勝のいる銚子商業と対戦し、0対8でコールド負けしたが、身長180センチの田中が銚子商監督の斉藤一之の目に留まる。
石原 修治(いしはら しゅうじ、1958年5月25日 - )… 石原 修治(いしはら しゅうじ、1958年5月25日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)。流山市議会議員。 流山市立八木北小学校、流山市立常盤松中学校、千葉県立我孫子高等学校をそれぞれ卒業。 1976年ドラフト2位で近鉄入団。6年目の1982年に初めて一軍に昇格、6月には中堅手、右翼手として5試合に先発出場、初本塁打も放った。入団時は内野手であったが俊足を評価されて、1983年に外野手転向。しかし伸び悩み、1987年限りで現役引退。 2015年4月、流山市議会議員一般選挙で初当選。2019年4月、2度目の当選。