鈴木 健矢(すずき けんや、1997年12月11日 - )は… 鈴木 健矢(すずき けんや、1997年12月11日 - )は、千葉県袖ケ浦市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 小学校2年から野球を始め、中学校は学校の軟式野球部に所属していた。中学校卒業後は木更津総合高校に進学し、第87回選抜高等学校野球大会に出場。同大会でチームは2回戦で敗退したが、鈴木は2試合ともに登板した。高校卒業後はJX-ENEOSに入社し、1年目より都市対抗野球の補強選手として選ばれる。2年目には侍ジャパンの社会人野球選手代表に選ばれ、3年目にはドラフト指名解禁の年であったが、指名はなかった。4年目は第45回社会人野球日本選手権大会に出場し、西部ガスとの1回戦で7回から登板し、3回無失点と好投した。
知野 公昭(ちの きみあき、1971年10月14日 - )は… 知野 公昭(ちの きみあき、1971年10月14日 - )は、千葉県君津郡袖ヶ浦町(現:袖ケ浦市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 拓大紅陵高3年次に、千葉県予選決勝まで進出するが、押尾健一擁する成東高に0-1で敗退した。高校3年間で47試合に登板し、28勝6敗、防御率0.84という記録を残した。 1989年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから6位で指名を受けて入団。契約金3000万円・年俸360万円(金額は推定)と決まった。 140km/h後半のストレートが武器だったが、一軍登板までは至らずにサイドスローに転向するなどしたが、結局一軍登板のないまま1994年限りで現役を引退した。
鈴木 秀範(すずき ひでのり、1970年12月31日 - )… 鈴木 秀範(すずき ひでのり、1970年12月31日 - )は、千葉県袖ケ浦市出身の元社会人野球の選手(内野手)・監督。 中学時代は学校の軟式野球部に所属。 拓大紅陵高では1986年と1988年の2度、夏の甲子園への出場経験を有する。同期のプロ選手に高橋憲幸と和田孝志がいる。 高校卒業後は、法政大学へ進学し野球部に入部する。4番打者として田淵幸一・小早川毅彦に次ぐ通算11本塁打を記録し、1992年春季リーグ戦においてはシーズン記録の10二塁打を記録。これは未だに破られていない。2年後輩の稲葉篤紀と共にクリーンアップを組み、全日本大学野球選手権に出場した。同期生には青山正克がいる。 大学卒業後は新日本製鐵に入社、君津野球部に所属。
宇佐美 和雄(うさみ かずお、1950年6月9日 - 196… 宇佐美 和雄(うさみ かずお、1950年6月9日 - 1969年3月14日)は、千葉県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 木更津中央高校では絶対的エースとしてノーヒットノーランを二度達成するなど活躍したが、1968年の全国高等学校野球選手権千葉大会では準決勝(対千葉県立千葉商業高等学校戦)で惜敗し、甲子園への出場は果たせなかった。同期には宇佐美と二本柱だった長谷川勉がいる。 同年のドラフト会議において、西鉄ライオンズに3巡目で指名され、入団する。同期には1巡目で東尾修、2巡目で乗替寿好がおり、宇佐美と共に「西鉄の三羽烏」と呼ばれていた。 1969年3月14日午後9時頃、西鉄ライオンズの雨天練習場での練習中に同僚の打球が宇佐美の左胸に直撃する事態が起きた。
在原 兵次(ありはら へいじ、1936年5月7日 - 201… 在原 兵次(ありはら へいじ、1936年5月7日 - 2013年9月16日)は、千葉県君津郡袖ヶ浦町(現在の袖ケ浦市)出身の元プロ野球選手。甥は同じく大洋に在籍した在原昭彦。 千葉関東高校から立川AIO、横浜日野ディーゼルを経て、1962年に大洋ホエールズへテスト入団。翌年1試合に出場し、引退。 2013年9月16日、77歳で死去した。