小林 公太(こばやし こうた、1991年9月1日 - )は、… 小林 公太(こばやし こうた、1991年9月1日 - )は、東京都世田谷区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。現役引退後はラーメン屋の店主を務めている。 小学生のときは世田谷ドラゴンズで主に捕手で活躍、中学時代は城南ドリームボーイズで主に内野を守った。一時は野球を諦め、騎手を目指し競馬学校へ願書を出したほどだったが、中3の夏に急に身長が伸びたため騎手の道は断念した。 2007年、多摩大聖ヶ丘高に入学後、投手に専念。3年時の夏は、西東京予選1回戦の練馬工業高戦で7回参考記録ながら11奪三振でノーヒットノーランを達成するも、続く2回戦で敗退。 2009年9月、横浜ベイスターズの入団テストを受験し、サイドスローからのストレートを武器に合格。
野林 大樹(のばやし ひろき、1969年9月9日 - )は、… 野林 大樹(のばやし ひろき、1969年9月9日 - )は、東京都世田谷区出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。 登録名を野林 広起(広島時代)・野林 大氣(第二期近鉄・ヤクルト時代)としていた時期もある。(※いずれも読み方は本名と同じ) 目黒西リトルリーグを経て、中学からの内部進学で日大三高へ進学。2年夏は西東京大会準決勝で川尻哲郎が先発した兄弟校の日大二高を延長13回の末に破るが決勝では東亜学園の川島堅に完投されて準優勝。1987年夏の西東京大会では準決勝に進むが再度、東亜学園の川島に完封を喫する。甲子園出場こそかなわなかったが、打撃力のある大型内野手として「当時の東京都高校球界ではひとかど知れ渡った存在(広島時代の同僚でもあった1学年下の江藤智の談話より)」と注目される。
鈴木 望(すずき のぞむ、1967年5月2日 - )は、東京… 鈴木 望(すずき のぞむ、1967年5月2日 - )は、東京都世田谷区出身の元プロ野球選手(内野手)。
新浦 壽夫(にうら ひさお、1951年5月11日 - )は、… 新浦 壽夫(にうら ひさお、1951年5月11日 - )は、東京都世田谷区出身、静岡県育ちの元プロ野球選手(投手)。現在は東北放送の野球解説者(かつては日本テレビ、福岡放送でも解説を担当)、韓国への縁から東亞日報グループの「スポーツ東亞」の日本駐在通信員を兼任している。
並木 輝男(なみき てるお、1938年11月15日 - 19… 並木 輝男(なみき てるお、1938年11月15日 - 1988年9月1日)は、東京都世田谷区出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)・コーチ、解説者。 日大三高在学時は投手として活躍し、エース兼四番打者として、2年次の1955年には夏の甲子園に出場。準々決勝に進むが坂出商に大敗を喫し、3年次の1956年には春の選抜にも出場。この大会でも準々決勝に進出するが、渡海昇二らのいた芦屋高に完封負けを喫す。同年夏は都予選準決勝で成蹊高に敗退した。高校同期に中堅手の宮沢重雄がいる。 高校卒業後は早稲田大学に進学を予定していたが、家庭の事情により1957年に大阪タイガースへ入団。元々は中日ドラゴンズへ入団する予定であったが、担当していた佐川直行スカウトがドラゴンズを解雇され、タイガースに移籍したため並木もタイガースに入団することとなった。