関根 智輝(せきね ともき、1999年1月13日 - )は、… 関根 智輝(せきね ともき、1999年1月13日 - )は、日本の社会人野球選手(投手)。ENEOS所属。 葛飾区立新宿小学校1年の時に野球を始め、三塁手としてプレー。葛飾区立新宿中学校時代に軟式野球部で投手となり、新宿クラブに所属。 東京都立城東高等学校に進学。1年夏からベンチ入り、2年秋から背番号1。東東京都大会では最速145km/hを記録。 慶応義塾大学に進学。1年時に春秋で計5勝をマーク。2年夏にトミー・ジョン手術を受け、4年生時3月のアメリカキャンプで復帰。長谷部銀次(広島東洋カープ)と組んだ。 大学卒業後、ENEOSへ所属。2022年のドラフト会議では指名漏れとなった。
柿澤 貴裕(かきざわ たかひろ、1994年7月30日 - )… 柿澤 貴裕(かきざわ たかひろ、1994年7月30日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手。 現在は社会人軟式野球チームでプレーしている。 実妹は柔道選手の柿澤史歩。 小学校1年生の時に野球を始め、葛飾区少年軟式野球連盟の「フレッシュバンビ」に所属していた。小学校の時には野球だけでなく、柔道もやっていたが、「小6の時、小4の妹に抑え込みで負けてしまって、そのショックで柔道を諦めて野球に専念するようになった」ことを語っている。その後、母親の実家がある鹿児島県に移り住んだ。 神村学園中等部へ進学後は「神村学園リトルシニア」に所属し、3年生の夏に全国ベスト8入りを経験、高等部へ進学してからは1年生の秋にベンチ入りした。
三ツ俣 大樹(みつまた たいき、1992年5月11日 - )… 三ツ俣 大樹(みつまた たいき、1992年5月11日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 6歳の時に、岡田彰布のサインボールでキャッチボールしたのをきっかけに葛飾アニマルズで野球を始め、中学時代は江戸川南シニアでプレーする。 修徳高では投手兼遊撃手、エースで4番として活躍。2年夏に都大会ベスト8、3年春では都大会準優勝をしており、この大会では被本塁打が2回戦の明星高校戦の1本だけという結果であり、球威・制球が抜群で非常に飛びにくい球筋であった。この大会をきっかけに少しずつブレイクしていった。3年夏には決勝戦の山下幸輝擁する関東一高戦で好投を見せる。打っては7回に逆転適時打を放つも8回に足がつってしまい降板、その後サヨナラで敗れて甲子園を逃す。
小池 翔大(こいけ しょうた、1988年6月24日 - )は… 小池 翔大(こいけ しょうた、1988年6月24日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 葛飾区立高砂小学校1年から投手兼捕手として野球を始める。 修徳学園中時代は、軟式野球部に所属し3年時に第25回全国中学校軟式野球大会で準優勝を果たす。 常総学院高では、1年時の秋から正捕手となり2年時の春、3年時の夏と2度の甲子園出場を果たす。高校通算7本塁打。当時から、ドラフト候補に挙げられていた。 青学大に進学すると、1年時の春季リーグからレギュラーとして出場。開幕の駒大戦でリーグ史上初となる満塁本塁打を放ちデビューを飾ると、リーグ10位となる打率.289をマーク、ベストナインを受賞した。
宮川 一彦(みやかわ かずひこ、1969年2月23日 - )… 宮川 一彦(みやかわ かずひこ、1969年2月23日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(内野手)。 静清工業高時代は、3番・遊撃手として活躍。東北福祉大学では、2番を打ち俊足巧打の外野手として4年春ベストナイン(秋は二塁手)に選出された。4年次には大学選手権で準優勝、日米大学野球にも選出。大学通算打率.320 8本塁打。1学年上に佐々木主浩、大塚光二、同期に矢野燿大、1学年下に斎藤隆、金本知憲らがいた。 1990年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから2位指名を受け入団。 即戦力として期待され、プロ1年目の1991年から一軍出場を果たすが、打撃が非力で代打・守備要員止まりだった。