居谷 匠真(いたに しょうま、2002年12月30日 - )… 居谷 匠真(いたに しょうま、2002年12月30日 - )は、和歌山県岩出市出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 岩出市立山崎北小学校から「山北フェニックス」で軟式野球を始め、岩出市立岩出第二中学校では「岩出ボーイズ」に所属する。 高校は大分県別府市の明豊高等学校に進学。2年生春の第91回選抜高等学校野球大会において、チームは準決勝に進出するも出場機会を得られなかった。2年生の秋の新チームから正捕手となる。秋季九州大会準々決勝、対沖縄尚学高等学校戦において、9回表二死満塁の状況から逆転の3点適時打となる三塁打を放つ活躍をみせる。決勝戦では2安打1打点の活躍で、夏の選手権大分大会決勝で敗れた川瀬堅斗擁する大分商業高等学校に勝利し、第92回選抜高等学校野球大会の出場権を手にした。
林 晃汰(はやし こうた、2000年11月16日 - )は、… 林 晃汰(はやし こうた、2000年11月16日 - )は、和歌山県岩出市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 岩出小学校1年から岩出ヤンキースで野球を始め、6年時にタイガースジュニアに選出される。岩出中学校に進学後は紀州ボーイズでプレー。小中時代は主に捕手として出場した。中学時代は通算32本塁打を記録する。 智辯和歌山高校に進学すると、三塁手に転向し1年春の県大会から出場する。1年夏は「5番・三塁手」で起用され、地方予選ベスト8。1年秋から3番を任され、2年夏に甲子園初出場。初戦の興南戦で中堅左に本塁打を打つ。大会中に右肘を疲労骨折し、大会後に手術を行ったため秋季大会及び近畿大会に出場できずリハビリに専念する。
宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、… 宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、和歌山県岩出市根来出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現在は永和商事ウィング硬式野球部で投手コーチを務める。
宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、… 宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、和歌山県岩出市根来出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 智弁和歌山高時代、1996年には春・夏連続して甲子園に出場。春はチームは準優勝するも2年の髙塚信幸がエースで登板機会が無く、夏は初戦にリリーフ登板するも敗退。高校時代のMAXは142km/h。その後本田技研工業に入社して鈴鹿野球部に所属。1999年にシドニーオリンピック代表候補選手としてプロキャンプに派遣され、広島東洋カープのキャンプに参加した。 広島にも在籍していた吉本亮コーチの助言のもと、フォームをスリークォーターに変更してから球速が150km/h以上を記録するようになり、キレも増したことから遅咲きながらプロ入りへの道が拓けた。
山田 和幸(やまだ かずゆき、1971年4月20日 - )は… 山田 和幸(やまだ かずゆき、1971年4月20日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。 那賀高では3年夏の県大会ベスト8、早稲田大学に進学。 入学後、野球部では強打の二塁手として大越基、仁志敏久とともに1年春からベンチ入りを果たすもわずか3か月で退部し、3年次から準硬式野球部に入部すると全日本大学準硬式野球選手権で優勝。4年春はリーグ戦で捕手としてベストナイン。 一般企業へ就職が内定したが、社会人野球を続けることを目指して留年していたところ1994年のドラフトで6位指名を受け西武ライオンズに入団。しかし、内臓疾患の病気によりわずか2年で退団することとなる。 退団後は海外でプレーを続けたが、引退し一般企業に就職した。