竹下 徠空(たけした らいあ、2006年11月12日 - )… 竹下 徠空(たけした らいあ、2006年11月12日 - )は、島根県大田市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 島根県大田市に生まれ、小学校3年生の時に野球を始めた。大田市立第二中学校時代には第43回全国中学校軟式野球大会に出場し優勝した。高校は高知県の明徳義塾高等学校に進学し、 1年生の秋から4番を務め、3年夏の甲子園では、4番としてチームのベスト16入りに貢献した。高校通算18本塁打。2024年10月24日に行われたドラフト会議で読売ジャイアンツから育成6位で指名を受け、入団した。 2025年は三軍の試合に主に出場し、11本塁打を放った。また、9月11日にオイシックス新潟アルビレックスBC戦(Gタウン)で代打として出場し、この試合で初打席初安打に打点も記録し、イースタンリーグでの公式戦デビューを飾った。
清水 清人(しみず きよひと、1979年6月24日 - )は… 清水 清人(しみず きよひと、1979年6月24日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(捕手)。 小学三年より野球を始める。邇摩高等学校時代は2年秋に中国大会ベスト8まで進む。3年夏はチーム事情もあり投手として登板したが初戦敗退した。通算打率.510、40本塁打を記録した。 1997年のドラフト8位で中日ドラゴンズに入団。 現役時代は、次世代の正捕手の座を争う若手捕手だった。二軍ではファーストも守り、頻繁に四番を打つ強打が持ち味であった。2003年には二軍で62試合に出場し46安打、打率.331の好成績をマークした。 何度か一軍昇格するもののチャンスを掴めず、2005年オフに球団から戦力外通告を受けた。
森山 一人(もりやま かずと、1973年12月19日 - )… 森山 一人(もりやま かずと、1973年12月19日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(外野手)、指導者、監督。 邇摩高ではエースで2年秋に県大会優勝すると中国大会では岡山・山陽高を相手に2投手で延長16回を戦ってサヨナラ勝ち、3年次の1991年にエースとして春の選抜に出場。 1991年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから6位指名を受け入団。高卒の同期入団に中村紀洋がおり、自主トレも共に行ったことがある。 俊足強肩の選手だったが打撃が弱く、一軍デビューはプロ6年目の1997年であった。 1998年オフに自由契約。 1999年に福岡ダイエーホークスへテスト入団する。 2000年にはプロ初安打を本塁打で記録するが、これがプロでの最初で最後の安打だった。
福間 納(ふくま おさむ、1951年7月13日 - )は、島… 福間 納(ふくま おさむ、1951年7月13日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 現役時代には、阪神へ在籍していた時期に一時、福間 納一(読み方は本名と同じ)を登録名に使用していた。 2009年からは株式会社アイランドプロモーションに所属。2021年からはカナフレックスで投手コーチ、2022年に監督就任。 大田高校では2年次の1968年からエースとなり、同年夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、浜田高に敗退。3年次の1969年には春の選抜に出場し、1回戦で丸亀商の井原慎一朗と投げ合うが4-9で敗れる。同年夏は県予選準決勝で三沢淳、高橋寛のバッテリーを擁する江津工に抑えられ1-4で敗退、甲子園には届かなかった。
岡田 光雄(おかだ みつお、1949年4月2日 - )は、島… 岡田 光雄(おかだ みつお、1949年4月2日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 邇摩高校では1966年、2年生の時、春の選抜にエースとして出場。1回戦で室蘭工業高校に敗退。同年夏は西中国大会の決勝で早鞆高校の坂本義雄と投げ合うが惜敗、翌年も予選で敗れ甲子園出場には届かなかった。 1967年ドラフト会議で東京オリオンズから2位指名されるも拒否し、松下電器へ入社した。1968年の第39回都市対抗野球大会に富士鉄広畑の補強選手として出場。松下電器同僚の加藤秀司、福本豊も同じく富士鉄広畑に補強されている。大会では神部年男投手との二本柱で勝ち進み、河合楽器との決勝戦でも神部をリリーフしてチームを優勝に導く。
園田 喜則(そのだ よしのり、1948年7月29日-1989… 園田 喜則(そのだ よしのり、1948年7月29日-1989年9月6日)は、大阪府出身(出生地は島根県大田市)で、東京オリオンズ・ロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に所属した元プロ野球選手。ポジションは内野手。
山内 新一(やまうち しんいち、1947年12月3日 - )… 山内 新一(やまうち しんいち、1947年12月3日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(投手)。 島根県立邇摩高等学校を経て三菱重工三原に入社。1966年の都市対抗では準々決勝に進出し、大昭和製紙と対戦。リリーフで登板し逆転負けを喫するが、好投手として注目を集める。 1967年のドラフト2位で巨人に入団。 1969年から一軍で起用された。 1970年には主に中継ぎで8勝を記録する。同年のロッテオリオンズとの日本シリーズでも2試合に登板。第3戦では9回途中からリリーフ、延長11回まで無安打に抑える好投でシリーズ初勝利を飾り、チーム日本一に貢献した。 1972年は故障もあって低迷。 1973年に松原明夫と共に富田勝との交換トレードで南海ホークスへ移籍する。
石谷 訓啓(いしたに くにひろ、1942年9月28日 - )… 石谷 訓啓(いしたに くにひろ、1942年9月28日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手。 大田高校では1959年、2年生の時にエース中島広喜(阪神)を擁し、右翼手として夏の甲子園に出場。1回戦で倉敷工の杉本喜久雄に抑えられ大敗。 1961年に大毎オリオンズへ入団。1963年には一軍に定着し、7月には中堅手、一番打者に抜擢される。シーズン後半は失速するが、33試合に先発出場を果たした。同年はイースタン・リーグで打率.381を記録して首位打者を獲得している。しかしその後は故障もあって出場機会に恵まれず、1967年限りで引退。 引退後はデパートに什器をレンタルする株式会社山元に就職し、常務まで勤めた。