石川 拓磨(いしかわ たくま、1989年12月3日 - )は… 石川 拓磨(いしかわ たくま、1989年12月3日 - )は、音楽プロデューサー、映像クリエイター、ミュージックビデオ監督、作詞家、作曲家、編曲家、ウェブデザイナー、テレビタレント、i68STYLE(イロハスタイル)代表。作家事務所「onetrap(agehasprings)」所属。東京都練馬区生まれ、富山県富山市育ち、北陸地方を拠点に活動中。富山県立富山北部高等学校卒業。血液型はA型。 1989年東京都練馬区生まれ、富山県富山市育ち。所属事務所は「i68STYLE(イロハスタイル)」。作家事務所は「onetrap(agehasprings)」、作家ネームは「石川タクマ」。 実兄はヘアメイクアーティストの石川ユウキ。
坂本 欣弘(さかもと よしひろ、1986年4月1日 - )は… 坂本 欣弘(さかもと よしひろ、1986年4月1日 - )は、日本の映画監督。富山県富山市出身・在住。 富山市立奥田中学校、富山県立富山商業高等学校を経て拓殖大学を卒業。 高校在学中はバスケットボール部キャプテンとして全国大会の出場経験を持つ。大学卒業後も富山県成年男子の選手として2012年に行われた第67回国民体育大会 「ぎふ清流国体」に出場、全国ベスト16。 大学卒業の後、映画監督の富樫森や呉美保の作品に演出部として参加。 2011年に映像制作会社を立ち上げて、映画・CMの制作を手掛ける。 2014年春から制作を開始し故郷・富山で撮影した長編映画デビュー作『真白の恋』はさまざまな映画祭に出品され、なら国際映画祭2016のインターナショナルコンペティション部門において1700作品の中から観客賞を受賞、福井映画祭11THの長編部門においてグランプリを受賞。
西原 孝至(にしはら たかし、1983年 - )は、富山県出… 西原 孝至(にしはら たかし、1983年 - )は、富山県出身の映画監督、テレビディレクター。 1983年、富山県生まれ。富山県立呉羽高等学校卒業。2003年に早稲田大学川口芸術学校に第1期生として入学、映像制作を学ぶ。早稲田大学大学院国際情報通信研究科中退。映画美学校ドキュメンタリー高等科修了。 TVドキュメンタリーの演出を経て、 映画制作を開始。『Starting Over』(2014)は東京国際映画祭をはじめ、国内外10箇所以上の映画祭に正式出品され高い評価を得る。 近年はドキュメンタリー映画を続けて制作。『わたしの自由について~SEALDs 2015~』は北米最大の国際ドキュメンタリー映画祭 HotDocsにて上映。
金森 正晃(かなもり まさあき、1980年12月6日 - )… 金森 正晃(かなもり まさあき、1980年12月6日 - )は、日本の映画監督、プロデューサー、脚本家、作詞家、作曲家。「大仏兄弟株式会社」代表取締役で、ライブ配信サービスSHOWROOMオーガナイザーを務める。ショコラのまち金沢公式アンバサダー。富山県ハンドボール協会常任理事、高岡市ハンドボール協会副会長。東京オリンピック2020聖火ランナー 富山県高岡市出身。1980年12月6日生。高岡市立西条小学校、高岡市立高岡西部中学校、富山県立氷見高等学校、東京情報大学を卒業した。ミュージシャンの峯田和伸と作曲家の井筒昭雄とは軽音楽部の3年先輩にあたる。 伝統産業鋳物をテーマに製作された映画『デンサン』の原作監督を務めた。
市井 昌秀(いちい まさひで、1976年4月1日 - )は、… 市井 昌秀(いちい まさひで、1976年4月1日 - )は、日本の映画監督。富山県射水市出身。妻は女優の市井早苗(旧:今野早苗)。 富山県立富山中部高等学校、関西学院大学卒業。漫才グループ「髭男爵」の元メンバー で、大学在学中からお笑い芸人を目指して活動していた。「髭男爵」以前には笑い飯の哲夫とのコンビ「スキップ」の初代ツッコミを担当していた。東京NSC3期生だが、中退している。 その後、劇団東京乾電池の研究生を経て、映画学校のENBUゼミナールに入学し映画製作を学ぶ。2004年にゼミナールを卒業、その後の長編2作が立て続けに映画祭の賞を受賞し注目を集める。 2019年、妻の早苗との共同名義「市井点線」で小説『台風家族』を発表し、5月22日にキノブックスより発売。
耶雲 哉治 (やくも さいじ、1976年 - )は、日本の映… 耶雲 哉治 (やくも さいじ、1976年 - )は、日本の映画監督、映像作家、CMディレクター。株式会社ロボット所属。富山県高岡市出身。早稲田大学卒業。 早稲田大学在学中に映画サークルに所属し監督作が東京学生映画祭(1998年)グランプリ、JCF学生映画祭(2000年)グランプリなど多数受賞。 2000年にROBOT所属となりCMディレクターとして活動開始。 2003年第41回ギャラクシー賞奨励賞受賞。 2007年より日本全国の映画館で上映されたマナーCM「NO MORE 映画泥棒」の監督として知られる。 2014年『百瀬、こっちを向いて。』で長編映画監督デビュー。以降はラブストーリー、ミステリー、アクション、コメディーといったエンタテインメント性の高い映画作品を手がける。
三木 康一郎(みき こういちろう、1970年12月7日 -)… 三木 康一郎(みき こういちろう、1970年12月7日 -)は、日本の映画監督、演出家。富山県富山市大沢野出身。 1993年からバラエティ番組のディレクターとして活動、視聴者参加型番組の「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!」(EX系)や、情報バラエティ番組「ニューデザインパラダイス」(CX系)などの演出を手がける。06年、NTV系のスペシャルドラマ「都立水商!」でドラマ初メガホン。映画ではホラー作品「トリハダ 劇場版」2作品(12、14)を監督。人気少女漫画を実写映画化した「植物図鑑 運命の恋、ひろいました」(16)が大ヒットを記録した。
本木 克英(もとき かつひで、1963年〈昭和38年〉12月… 本木 克英(もとき かつひで、1963年〈昭和38年〉12月6日 - )は、日本の映画監督。監督作品に2009年の『鴨川ホルモー』や2014年の『超高速!参勤交代』(2014年)がある。2022年6月より、日本映画監督協会の理事長に就任。 富山県富山市出身。富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山中部高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。1987年松竹に助監督として入社。同期に朝原雄三がいる。木下惠介、森﨑東、勅使河原宏に師事し、助監督やプロデューサーとして活躍する。 1993年、文化庁在外芸術家派遣研修生として1年間のアメリカ留学を行う。帰国後の1998年、谷崎光原作の『てなもんや商社』にて監督デビューする。
タカハタ 秀太(たかはた ひでた、1962年12月13日 -… タカハタ 秀太(たかはた ひでた、1962年12月13日 - )は、日本の映像ディレクター、脚本家、映画監督。富山県立福野高等学校卒業、青山学院大学法学部中退。妻は藤原理恵。 学生時代、テレビ番組制作会社・IVSテレビ制作でアルバイトを始め、演出家・伊藤輝夫(現テリー伊藤)に師事。夏休み期間だけのつもりでいたが、ADが次々と辞めていく中、誰かが弁当を発注しないと収録現場が困るだろう、という思いで辞められず、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でディレクター・デビュー(当時クレジットは「高畑秀太」表記)。担当コーナーは「失恋傷心バスツアー」シリーズなど。 後にフリーランスとなり、WOWOW開局時には多くの音楽ライブ・ドキュメンタリー番組を手掛ける。
鎌仲 ひとみ(かまなか ひとみ、1958年6月11日 - )… 鎌仲 ひとみ(かまなか ひとみ、1958年6月11日 - )は、日本のドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家、多摩美術大学美術学部芸術学科非常勤講師。 富山県氷見市生まれ。富山県立氷見高等学校、早稲田大学第二文学部卒業。大学時代は早稲田大学探検部に所属。男友達の自主映画を手伝ううちに、ドキュメンタリー映画作家を志望する。 大学卒業後、「グループ現代」「岩波映画」等の契約助監督を経て、バリ島を舞台とした自主制作監督作品「スエチャおじさん バリ/夢/うつつ」により、1991年文化庁芸術家海外派遣助成金を受け、カナダ国立映画製作所へ渡る。その後ニューヨークでメディア・アクティビスト集団「ペーパー・タイガー・テレビ」に参加。
滝田 洋二郎(たきた ようじろう、1955年(昭和30年)1… 滝田 洋二郎(たきた ようじろう、1955年(昭和30年)12月4日 - )は、日本の映画監督。富山県西礪波郡福岡町(現在の同県高岡市)出身。株式会社エーライツ取締役本部長。 富山県立高岡商業高等学校卒業。俳優・山田辰夫は高校時代の同級生。高校卒業後、知り合いの国会議員の秘書から「就職を世話してやる」と、東急不動産と東映の名が挙がり、派手そうで良いなという理由から東映を選択する。だが実際は、東映の下請けである東映セントラルフィルムのポルノ(東映ポルノ)を製作していた向井プロ(のち、獅子プロ)だった。1974年(昭和49年)、同社に事務職として入社。高倉健のヤクザ映画は観ていたが特に映画好きではないため当初は戸惑うも、撮影現場のおもしろさにひかれ助監督に転ずる。
山谷 哲夫(やまたに てつお、1947年7月21日 - )は… 山谷 哲夫(やまたに てつお、1947年7月21日 - )は、記録映画監督。 富山県高岡市出身。1972年早稲田大学文学部卒。在学中に記録映画「生きる 沖縄・渡嘉敷島集団自決から25年」を作成、第二作「みやこ」が認められ1974年文化庁在外芸術家として、英国映画協会にてドキュメンタリー映画を学ぶ。79年「沖縄のハルモニ 証言・従軍慰安婦」が制作。1996年西オーストラリア大学客員研究員。1980-99年日本映画学校(現・日本映画大学)でドキュメンタリー映画を教える。無明舎代表。
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8… 角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の編集者、実業家、映画監督、俳人、宗教家。角川源義の長男で、株式会社角川春樹事務所代表取締役社長、宗教法人明日香宮宮司、俳句結社「河」主宰を務める。角川書店の二代目社長を務め、今日のKADOKAWA、角川映画の礎を築く。1993年に麻薬及び向精神薬取締法違反などの容疑で逮捕され、角川グループ各社の役職を辞任した。釈放後、新たに出版社の角川春樹事務所を設立した。モットーは『生涯不良。何か文句あるか』 富山県中新川郡水橋町に誕生し、東京都杉並区に育つ。父は角川書店創業者の角川源義、母は富美子(旧姓鈴木)。杉並区立杉並第五小学校、杉並区立天沼中学校を経て國學院大學久我山高等学校に入学。
鍋島 弘蔵(なべしま ひろぞう、1903年11月13日 - … 鍋島 弘蔵(なべしま ひろぞう、1903年11月13日 - 没年不詳)は、大正から昭和時代に活動した日本の新聞記者、詩人、コラムニスト、映画監督。元富山新聞社社長。富山県出身。 旧名は豊朔(ほうさく)で、1954年(昭和29年)に改名した。号は太守庵(たいしゅあん)で、作詞家としてのペンネームに名部島 春(なべしま はる)がある。漫画家の藤子不二雄Ⓐは甥。 1903年(明治36年)、富山県東礪波郡(現在の砺波市)に生まれる。日本大学美術科を中退後、北陸タイムス(北日本新聞の前身の一つ)を経て北國新聞系列の越中新聞へ入社し、高岡支局長となる。越中新聞では「太守庵」のペンネームで主として時事に関するコラムを執筆し、社外では1935年(昭和10年)に自主映画『輝く孝道』の監督を務めた。