芝野 創太(しばの そうた、1989年11月26日 - )は… 芝野 創太(しばの そうた、1989年11月26日 - )は、兵庫県出身のフットサル選手。シュライカー大阪所属。ポジションはアラ/ピヴォ。フットサル日本代表。 兵庫県出身。三田学園高等学校卒業後の2007年に高知大学農学部農学科に進学。同期には實藤友紀などがいた。サッカー選手としては、スピードとボールコントロールを武器とし、ドリブルテクニックとチャンスメイク能力に秀でたミッドフィールダーだった。2009年の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントでは1回戦の東海大学戦で得点するなど、決勝進出の原動力となる。2010年の全日本大学サッカー選手権では、1回戦の鹿屋体育大学戦で延長に先制点を挙げてマンオブザマッチに選出された。
加藤 竜馬(かとう りゅうま, 1989年7月26日 - )… 加藤 竜馬(かとう りゅうま, 1989年7月26日 - )は、兵庫県神戸市出身の元フットサル選手、指導者。栃木シティフットサルクラブ監督。元フットサル日本代表。 2023/2024シーズンまでの13年間、Fリーグの第一線で活躍し、2013年からプレーしていたバルドラール浦安では「ミスター・バルドラール」として愛された。 元ヴィッセル神戸監督の加藤寛は父。フットサル日本女子代表でアルコイリス神戸所属の加藤正美は妹。 父親の加藤寛がヴィッセル神戸で働いていたこともあり、幼稚園の頃にサッカーを始めた。第4種年代では神戸フットボールクラブボーイズ、第3種年代ではヴィッセル神戸ジュニアユース、第2種年代では神戸弘陵学園高校、高校卒業後は関西社会人サッカーリーグ1部の神戸フットボールクラブ・シニアAでプレー。
中井 健介(なかい けんすけ、1989年7月4日 - )は、… 中井 健介(なかい けんすけ、1989年7月4日 - )は、日本国籍のフットサル選手、YouTuber。出身は兵庫県。 小学4年生からサッカーを始める。滝川第二高校サッカー部のセレクションを受けるも、3次セレクションまである入部セレクションには不合格。しかし、滝川第二高校サッカー部に入部したい中井は監督と話し合い、「3年間、試合に出られなくてもいいなら入部を認める」と条件付きで入部を認められた。入部当初は1番下手だったと自負する中井だったが、2年生の時にトップチームに昇格し、3年生ではレギュラーを勝ち取った。 専修大学サッカー部に一般入試で進学し、大学でも1番下のEチームからスタートし、最終的にはAチーム(トップチーム)に昇格した。
永井 義文(ながい よしふみ、1987年12月27日 - )… 永井 義文(ながい よしふみ、1987年12月27日 - )は、兵庫県出身のフットサル選手・フットサル指導者。シュライカー大阪監督。選手時代のポジションはピヴォ。サッカー選手の永井龍は弟である。 5歳の時にサッカーをはじめ、小学年代では西宮SCでプレー。西宮市立学文中学校に在学時はセレッソ大阪 U-15に在籍し、高校年代では兵庫県立西宮南高等学校に在学しながらセレッソ大阪 U-18に在籍。U-18時代には足首を2度骨折するなど負傷に悩まされ、16歳から17歳まで1年間のリハビリ生活を送った。高校3年時にはJサテライトリーグにも出場した。 びわこ成蹊スポーツ大学に進学し、2年時には関西学生サッカー連盟春季リーグで優勝。
藤川 朋樹(ふじかわ ともき、1986年8月15日 - )は… 藤川 朋樹(ふじかわ ともき、1986年8月15日 - )は、兵庫県猪名川町出身のサッカー選手、フットサル選手。サッカーのポジションはMF、フットサルのポジションはFP。元フットサル日本代表。Fリーグディビジョン2・デウソン神戸所属。 北陽高等学校を経て大阪体育大学に入学。大阪体育大学サッカー部では総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで優勝した。 2009-10シーズンにはFリーグ オーシャンアリーナカップと全日本フットサル選手権大会(PUMA CUP)で3位となった。2009年にミゲル・ロドリゴがフットサル日本代表新監督に就任すると初めて日本代表に招集され、10月の第3回アジアインドアゲームズ(ベトナム大会)と11月の東アジアフットサル選手権(中国・北京大会)に出場した。
阿漕 洋子(あこぎ ようこ、1984年8月19日 - )は、… 阿漕 洋子(あこぎ ようこ、1984年8月19日 - )は、兵庫県出身の女子サッカー選手・女子フットサル選手である。サッカーにおけるポジションはディフェンダー。 中学生時代までは、宝塚バニーズの下部組織、宝塚バニーズジュニアでプレー。卒業と同時に退団して啓明女学院高校に進学し、サッカー部に入部した。1年次に全日本高等学校女子サッカー選手権大会で優勝を経験。 卒業後、武庫川女子大学へ進学し、同時にサッカー部へ入部。1-4年次と連続して全日本大学女子サッカー選手権に出場し、4年次にはチームキャプテンも務めた。一方でJFA西日本大学選抜にも選出されている。 大学卒業後、スポーツ普及活動を行うNPO法人アミティエ・スポーツクラブ京都府支部が運営する女子サッカーチームに入団するが、すぐに退団してバニーズ京都サッカークラブに入団。