ZAQ(ザック、1988年3月16日 - )は、日本の歌手、… ZAQ(ザック、1988年3月16日 - )は、日本の歌手、作詞家、作曲家、編曲家。女性。鹿児島県姶良市出身。血液型はA型。レコードレーベルはLantis。CAT entertainment所属。クリエイター(作詞家・作曲家・編曲家)としてはF.M.F所属。 3歳よりクラシックピアノを学び、音大ピアノ科を卒業。しかしピアニストを目指し上京したものの、周囲のレベルに圧倒され、自身では音大時代は挫折の闇期と語っており、朝までクラブ通いをする生活だった。この時期にヒップホップにハマる。また『BLACK LAGOON』で幼少期以来アニメにドハマりする。 大学時代での茅原実里のライブに感銘を受けて歌手になる決意をする。
wowaka(ヲワカ、1987年〈昭和62年〉11月4日 -… wowaka(ヲワカ、1987年〈昭和62年〉11月4日 - 2019年〈平成31年〉4月5日)は、日本の作詞家、作曲家、編曲家、ボカロP。ネット発アーティストの先駆けとされる。 鹿児島県出身。中学生の時にロックバンドに興味を持ちギターを始め、高校、大学でバンド活動を行う。東京大学在学中には、サークル「東大音感」の部長を務め、バンドのオリジナル曲のために作曲をはじめる。 2008年12月ごろ、初音ミクなどのVOCALOIDを知ったきっかけとなるlivetuneの「Last Night, Good Night」を聴き、曲の良さと、それを一人で作っているということに衝撃を受ける。それまでのバンド活動とは別に、2009年4月より初音ミクを使った音楽製作をはじめた。
有村 トモナリ(ありむら トモナリ、1973年2月8日 - … 有村 トモナリ(ありむら トモナリ、1973年2月8日 - )は、日本の音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、シンガーソングライター、ボイストレーナー。鹿児島県鹿屋市出身。劇場型カフェ&クリエイター塾「MINGO!×MINGO!」、ボーカルスクール「Tomorrow Music School」(DTM、ボイトレ)の主宰をする。一児の父。姉は日本のパフォーマンス・アーティスト、舞台演出家、舞台美術家、女優の有村肯弥。 福岡県を拠点に活動するアイドルグループ「HR」「ふくおか官兵衛Girls」「NEO☆学院」、のほか鹿児島県「MINGO!×MINGO!」「S★UTHERN CROSS」、岡山県「feelNEO」、兵庫県姫路市「KRD8」などのサウンドプロデュースを行なっている。
YANAGIMAN(ヤナギマン、1960年11月9日 - )… YANAGIMAN(ヤナギマン、1960年11月9日 - )は、鹿児島県鹿児島市の音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、ベーシスト。ケツメイシ、FUNKY MONKEY BABYSを始めとする様々なアーティストのプロデュース、作曲、作詞、編曲を手がけている。マサチューセッツ州ボストン・バークリー音楽大学卒業。『1933ウクレレオールスターズ』バンマス。燦々ぬまづ大使(静岡県沼津市PR大使)。長浜ブランドアンバサダー(滋賀県長浜市PR大使)。奄美観光大使(鹿児島県奄美大島PR大使)。JOIN大使(一般社団法人 移住交流推進機構PR大使)。洗足学園音楽大学客員教授、松実高等学園顧問を務めている。血液型はB型。
吉俣 良(よしまた りょう、1959年9月6日 - )は、日… 吉俣 良(よしまた りょう、1959年9月6日 - )は、日本の作曲家・編曲家・音楽プロデューサー。鹿児島県鹿児島市甲突町出身。横浜市立大学商学部卒業。血液型はO型。「Ryo」名義で作曲・編曲を行う事がある。 1959年に鹿児島市の老舗旅館の長男として生まれる。小学校時代よりピアノを習い、短大レベルで習う音楽理論も習得、テレビで流れる曲やドラマの曲を耳で聴いてすぐ弾けたという。鹿児島県立鹿児島中央高等学校に入学すると吹奏楽部へ入部、鹿児島県大会で優勝する。 1977年に上京し横浜市立大学へ進学。音楽サークル「セカンド・ウィンド・ジャズ・オーケストラ」に所属する一方で、アルバイトでビアガーデンのバンド演奏をしている時にプロのミュージシャンと知り合い、大学2年生の頃より一緒にディスコバンドとして活動を開始。
佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 … 佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 - 2012年(平成24年)10月26日)は、日本のシンガーソングライター、ピアニスト、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、作曲家、編曲家、レコーディング & ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、音楽プロデューサー。鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)生まれ。京都府育ち。日本のトップ・キーボーディストとして知られる。 1947年6月3日、真宗大谷派の寺の長男として鹿児島県の知覧にて生を受け、2年後の1949年に京都の寺に移住する。中学時代の14歳の頃になると「寺の住職になるという家業を継ぐしかなく、職業選択の自由も許されないのか」と自問し、世の中への怒りや人間社会の偽善性や生きることへの希望も見失う精神的ブラックホールの真っ只中にいた。