松田 康甫(まつだ こうすけ、1998年10月14日 - )… 松田 康甫(まつだ こうすけ、1998年10月14日 - )は、石川県白山市出身のプロ野球選手(投手)。 白山市立松陽小学校、白山市立笠間中学校で野球に取り組み、金沢高等学校3年生時はチームで主戦投手となったが、全国高等学校野球選手権石川大会はベスト8で敗退した。拓殖大学に進学した後は、1年生の冬に肩の手術を受けた影響もありほとんど公式戦登板の機会がなく、4年生の最後にリーグ戦で投げたときには3者連続四球の結果だった。 2020年11月のベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)ドラフト会議で茨城アストロプラネッツから指名を受け、入団した。茨城が指名したのは、最大で球速146km/hという能力に将来性を見たからと報じられている。
野村 勇(のむら いさみ、1996年12月1日 - )は、兵… 野村 勇(のむら いさみ、1996年12月1日 - )は、兵庫県神戸市垂水区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 香川県の寒川高等学校から拓殖大学に進学。高校の2学年上には鶴田圭祐がいる。 拓殖大学野球部に所属するも入部時はBチームだった。1年秋から2部リーグであったが、その後4年生の時にレギュラーを掴み、チームの主戦力として活躍する。拓殖大学野球部時代の同期に岸潤一郎がいる(なお、岸は中退)。 拓殖大学卒業後は、NTT西日本硬式野球部でプレーした。都市対抗野球は3年連続でチームが出場し、自身は2年目から試合に出場した。 2021年10月11日のドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受け、12月8日に契約金5000万円、年俸1200万円で入団に合意した(金額は推定)。
大木 貴将(おおき たかまさ、1991年11月22日 - )… 大木 貴将(おおき たかまさ、1991年11月22日 - )は、千葉県君津市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 拓殖大学紅陵高等学校では3年生の夏の第91回選手権大会・千葉大会での準優勝が最高成績で、全国大会出場経験はない。1歳下の後輩に加藤貴之がいる。 高校卒業後は日本大学に進学し、硬式野球部に入部したが、2年時に当時の監督と折り合わなかったことを理由に退部し大学も中退した。 1年のブランクを経て、2012年12月9日に行われた四国アイランドリーグplusの2013年度ドラフト会議により香川オリーブガイナーズに入団した。 2013年には32試合に出場し、打率.200、2打点だった。。 2014年は主に外野手として公式戦に出場し、シーズン終盤は1番・中堅手に定着した。
石橋 良太(いしばし りょうた、1991年6月6日 - )は… 石橋 良太(いしばし りょうた、1991年6月6日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(投手)。
馬淵 烈(まぶち つよし、1989年6月5日 - )は、高知… 馬淵 烈(まぶち つよし、1989年6月5日 - )は、高知県須崎市出身の元社会人野球選手、野球指導者。 父親は高校野球の名将としても知られる、明徳義塾高校硬式野球部監督の馬淵史郎。 父が監督を務める明徳義塾高校ではエースで主将として活躍。 高校卒業後は東都大学野球連盟所属の拓殖大学に進学。三塁手として活躍し、4年秋には24年ぶりのリーグ2部優勝を果たす。 大学卒業後は岡山県の自動車販売店・シティライトに入社し、同社の野球部・シティライト岡山に入部。ここで4シーズンプレーし、2014年にはチーム主将も務めたが、同年のシーズン終了後に退部。 2015年からは再び母校の拓殖大学に戻り、コーチを務める。
木村 昌広(きむら まさひろ、1974年8月16日 - )は… 木村 昌広(きむら まさひろ、1974年8月16日 - )は、東京都武蔵村山市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学1年から野球を始め、小学6年の時に遊撃手から投手に転向。中学時代は外野手。 拓大一高から東都大学野球連盟の拓大に進学。大学時代は2部リーグ(3部も経験)であった。卒業後は、日立製作所に入社し、都市対抗野球では2年連続で先発勝利。1998年に開催されたバンコクアジア大会決勝の韓国戦では先発投手を務めた。同年、1998年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから4位指名を受け、入団。 二軍ではまずまずの成績を残すものの一軍では勝ち星を挙げられず、2001年シーズンオフに球団から戦力外通告を受けた。
古屋 剛(ふるや つよし、1970年4月13日 - )は、東… 古屋 剛(ふるや つよし、1970年4月13日 - )は、東京都立川市出身の元プロ野球選手(内野手)・監督。右投右打。 駿台甲府高等学校、拓殖大学を経て、新日鉄君津でプレー。 1995年の都市対抗野球では、川鉄千葉の補強選手としてベスト4に進出し、優秀選手となった。 1996年の都市対抗野球では、松中信彦、のちに西武でも同僚となる森慎二らとベスト8に進出した。 同年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから7位で指名され入団した。ドラフト指名時26歳と、比較的遅めのプロ入りとなった。 2年目の1998年に一軍初出場。2001年から2003年まで3年続けて開幕一軍入りを果たし、2002年4月13日の福岡ダイエーホークス戦でプロ初本塁打も記録したが、一軍定着に至らないシーズンが続いた。
高橋 建(たかはし けん、1969年4月16日 - )は、神… 高橋 建(たかはし けん、1969年4月16日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ、野球解説者。2016年から2021年まで阪神タイガースの二軍で投手コーチや育成コーチを務めた。 2026年からは起亜タイガースの二軍投手コーチを務める。 小学4年の時に野球を始める。横浜高校では一塁手兼外野手としてプレー。 東都大学野球の拓殖大学へ進学、大学時代は2部リーグにおいて野手として通算17本塁打を放つが4年から投手として頭角を現す。 その後トヨタ自動車では1年目の都市対抗野球で2戦続けて先発、以降2年は補強選手となり1994年は決勝でも登板。1994年度ドラフ
米倉 忠信(よねくら ただのぶ、1968年8月22日 - )… 米倉 忠信(よねくら ただのぶ、1968年8月22日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(捕手)・ブルペン捕手。 狭山ヶ丘高校から東都大学野球リーグに所属する拓殖大学に進学。大学時代は控え捕手、外野手で、4年間のリーグ戦では2部で1打席しか立っておらず完全に無名の存在であった。 大学4年次に思い出作りとして、高校時代に続いて読売ジャイアンツの入団テストを受験したが、打撃を評価されテストに合格し、1989年のドラフト外で入団した。 同年のジャイアンツのドラフト外入団選手には柏田貴史、出口幸夫らがいた。なお拓大出身者としては、中尾明生、山本良材に続いて3人目のプロ野球選手となった。 当時のジャイアンツ捕手陣は、山倉和博の衰えが顕著となり、また故障がちであった中尾孝義のバックアップとして村田真一が台頭し、それらに次ぐ若手捕手陣が群雄割拠の様相を呈していた時期でもあったが、アマチュア時代の実績が皆無であった米倉は2軍でも出場機会はほとんど与えられず、1991年シーズン後に入団から僅か2年で戦力外通告を受けた。
木内 九二生(きうち くにお、1966年11月14日 - )… 木内 九二生(きうち くにお、1966年11月14日 - )は、日本のプロ野球審判員。中華職業棒球大聯盟(CPBL)所属。 日本大学明誠高等学校、拓殖大学、大昭和製紙北海道を経て、1998年にセントラル・リーグ審判部に入局。審判員袖番号は15(2010年までは30)。クロスプレーの際のアウトをジャッジする際は左手で行っている。(また投手にボールを投げる際も左利きである)。2013年に日本シリーズに初出場を果たし、第2戦で球審を務めている。 2014年現在、全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟傘下の連帯労組プロ野球審判支部長。 2016年5月3日、埼玉西武ライオンズ対オリックス・バファローズ7回戦(西武プリンスドーム)で球審を務め、史上122人目となる通算1000試合出場を達成した。
林 博之(はやし ひろゆき、1954年 - )は、東京都出身… 林 博之(はやし ひろゆき、1954年 - )は、東京都出身の元アマチュア野球選手(投手)。 拓殖大学第一高校では、エースとして1972年夏の甲子園都予選準々決勝に進み、修徳高を引き分け再試合で降す。準決勝でも日大桜丘高の仲根正広と延長18回の投手戦の末に引き分け、しかし再試合では大敗を喫した。 中央大学に進学。当時のエースは1年上の田村政雄であり、東都大学野球リーグでは2年生までに2回の優勝を経験。しかしその後は駒大、東洋大に抑えられ優勝には届かなかった。1976年の日米大学野球選手権日本代表に選出され5試合に登板する。大学同期に外野手の岡村隆則がいた。 卒業後は熊谷組に入社。久保田美郎、小林秀一らと強力投手陣を形成する。
中尾 明生(なかお あきお、1952年11月7日 - )は、… 中尾 明生(なかお あきお、1952年11月7日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(内野手)。