スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐藤 有一(さとう ゆういち、2003年4月26日 - )は… 佐藤 有一(さとう ゆういち、2003年4月26日 - )は、日本の陸上競技選手。東京都八王子市出身。青山学院大学文学部史学科卒業。サンベルクス陸上競技部所属。 八王子市立椚田小学校、八王子市立椚田中学校、拓殖大学第一高等学校出身。 1、2年時は箱根駅伝のエントリーに入ることはできなかった。 3年時の第101回箱根駅伝では6区のリザーブで、出走には至らなかった。 4年時の第57回全日本大学駅伝で三大駅伝デビューを飾る。5区を区間4位で走ったが、7位から順位を上げるには至らず。先頭に立った駒澤大学の伊藤蒼唯にはこの区間だけで1分半以上離された。 第102回箱根駅伝では9区を担当。3学年先輩の中村唯翔、岸本大紀に続く史上3人目の1時間7分台となる1時間7分38秒の走りで区間賞を獲得し、2位の國學院大學との差を広げた。
茂木 圭次郎(もぎ けいじろう、1995年10月21日- )… 茂木 圭次郎(もぎ けいじろう、1995年10月21日- )は東京都武蔵野市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。武蔵野市立第四中学校、拓殖大学第一高等学校卒業。旭化成陸上部所属。2018年・2020年・2025年の3度、ニューイヤー駅伝優勝メンバーに名を連ねている。
小栗山 晃市(おぐりやま こういち、1981年3月29日 -… 小栗山 晃市(おぐりやま こういち、1981年3月29日 - )は、北海道出身の日本の俳優。所属事務所はProducers。身長178cm、体重60kg。 フジテレビ系列で放送されている『とんねるずのみなさんのおかげでした』で、野猿の妹分「女猿」の一員として活動した小林紗貴とは親戚。 拓殖大学第一高等学校、拓殖大学政経学部経済学科卒業。俳優の宇梶剛士は高校の野球部の先輩に当たる。 特技は野球で、中学時代にはリトルシニア日本代表としてアメリカ遠征を経験。当時アメリカ・メジャーリーグのサンディエゴ・パドレスで活躍していた、トニー・グウィンから直接指導を受ける。高校時代には4番打者として活躍し、東京都予選では北海道日本ハムファイターズ・埼玉西武ライオンズ・横浜DeNAベイスターズで活躍した森本稀哲(もりもとひちょり)擁する帝京高校に延長戦の末敗退。
梶野 学志(かじの たかし、1980年11月8日 - )は、… 梶野 学志(かじの たかし、1980年11月8日 - )は、東京都出身の競艇選手。登録番号4140。身長165cm。血液型A型。89期。東京支部所属。妻に競艇選手の梶野真未(旧姓木下、登録番号4130)、同期に山田雄太、吉本玲緒、石塚久也らがいる。
木村 昌広(きむら まさひろ、1974年8月16日 - )は… 木村 昌広(きむら まさひろ、1974年8月16日 - )は、東京都武蔵村山市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学1年から野球を始め、小学6年の時に遊撃手から投手に転向。中学時代は外野手。 拓大一高から東都大学野球連盟の拓大に進学。大学時代は2部リーグ(3部も経験)であった。卒業後は、日立製作所に入社し、都市対抗野球では2年連続で先発勝利。1998年に開催されたバンコクアジア大会決勝の韓国戦では先発投手を務めた。同年、1998年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから4位指名を受け、入団。 二軍ではまずまずの成績を残すものの一軍では勝ち星を挙げられず、2001年シーズンオフに球団から戦力外通告を受けた。
鈴木 啓正(すずき ひろまさ、1957年9月24日 - )は… 鈴木 啓正(すずき ひろまさ、1957年9月24日 - )は、日本のアマチュアボクシング選手・プロボクシングトレーナー経験者。東京都新宿区出身。拓殖大学第一高等学校および拓殖大学出身の経済学士。帝拳所属。 高校、大学とアマチュア選手として活躍し、会社員を経て1981年プロボクシング・トレーナーとなる。1987年から1991年までプロボクシング界から離れていたが長野ハルマネージャーの要請で復帰し2010年春まで務めた。 川口力哉や三澤照夫、石本康隆を入門当初に指導。大和心のOPBFタイトル獲得当時、また松田直樹の最強後楽園優勝当時の担当トレーナー。本田明彦帝拳会長の決断により、木村鋭景担当の鈴木が大和を、大和担当の桑田勇が木村を、担当交換した時期がある。
林 博之(はやし ひろゆき、1954年 - )は、東京都出身… 林 博之(はやし ひろゆき、1954年 - )は、東京都出身の元アマチュア野球選手(投手)。 拓殖大学第一高校では、エースとして1972年夏の甲子園都予選準々決勝に進み、修徳高を引き分け再試合で降す。準決勝でも日大桜丘高の仲根正広と延長18回の投手戦の末に引き分け、しかし再試合では大敗を喫した。 中央大学に進学。当時のエースは1年上の田村政雄であり、東都大学野球リーグでは2年生までに2回の優勝を経験。しかしその後は駒大、東洋大に抑えられ優勝には届かなかった。1976年の日米大学野球選手権日本代表に選出され5試合に登板する。大学同期に外野手の岡村隆則がいた。 卒業後は熊谷組に入社。久保田美郎、小林秀一らと強力投手陣を形成する。
大迫 幸一(おおさこ こういち、1953年7月19日 - )… 大迫 幸一(おおさこ こういち、1953年7月19日 - )は、アスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。埼玉県出身。プロ野球選手経験はない。 国士舘大学時代はサッカー部に所属。 大学卒業後は体育教師を目指していたが、後輩の紹介でスポーツジムに就職。警視庁近代五種水泳臨時コーチ、高校サッカーの指導者などを経て、1989年に女子プロゴルファーの日蔭温子のリハビリトレーナーとなり、復帰戦となった同年の日本女子オープンでキャディーを務めた。 1980年、37歳の時にアメリカンフットボールのXリーグの選手として入団。 1994年にスポーツ施設の管理、運営、指導などを行う「(株)クラフトワーク」を設立。西武ライオンズ所属選手のパーソナルトレーナーの道を歩んだ。
相沢正一郎(あいざわ しょういちろう、1950年11月28日… 相沢正一郎(あいざわ しょういちろう、1950年11月28日 - )は日本の詩人。「歴程」同人。 東京都出身。拓殖大学第一高等学校、拓殖大学商学部貿易学科卒業。様々な職業を経て、拓殖大学非常勤講師。高校生の頃に詩作を開始し、1987年より同人誌「hotel」に所属。2006年、詩集『パルナッソスへの旅』で第56回H氏賞を受賞。2010年、詩集『テーブルの上のひつじ雲/テーブルの下のミルクティーという名の犬』で第48回藤村記念歴程賞を受賞。2020年、詩集『パウル・クレーの<忘れっぽい天使>を だいどころの壁にかけた』で第27回丸山薫賞を受賞。
井上 洋一(いのうえ よういち、1949年2月5日 - )は… 井上 洋一(いのうえ よういち、1949年2月5日 - )は、東京都小金井市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ。 愛媛大学教育学部教授の井上洋一とは別人。 拓大一高では宇田東植と同期であり、決められた練習メニューを全力で行った。チーム内では走力や遠投で常に一番の成績を残し、スランプや結果が出ない時は自宅に帰り、納得するまで、結果が出るまで練習した。 卒業後の1966年にドラフト外でサンケイアトムズへ入団し、2年目の1968年にはジュニアオールスターに選出され、3年目の1969年にはイースタン・リーグ打点王を獲得。1970年には一軍に定着し、本来は内野手だが外野手もこなせるユーティリティプレーヤーとして重宝される。
宇田 東植(うだ とうしょく、1948年8月23日 - )は… 宇田 東植(うだ とうしょく、1948年8月23日 - )は、東京都杉並区出身 の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 在日韓国人で、韓国名は朱 東植(チュ・ドンシク、주동식)。 現在は北朝鮮になっている咸鏡南道出身の父と日本人の母の下に生まれたが、両親は宇田が5歳の時に離婚し、父が宇田を引き取った。父の当時の仕事は、立川基地にいた進駐軍兵士からPXの横流れ品を買うブローカーであり、昼は荻窪の市場で店を開き、夜は買い出しに出かけたため、ほとんど一日、家にいなかった。 小学生の時は音楽部の部長を務め、NHKの子供音楽コンクールに出場するなど、音楽活動を行っていた。杉並区立杉並中学校入学後に野球を始め、ポジションは三塁手であった。
藤ノ川 武雄(ふじのかわ たけお、1946年9月26日 - … 藤ノ川 武雄(ふじのかわ たけお、1946年9月26日 - )は、北海道河東郡音更町出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は森田 武雄→祥玄→武雄。身長178cm、体重108kg。得意手は突き、押し、右四つ。最高位は西関脇。拓殖大学第一高等学校卒業。小柄さと機動型の相撲から土俵のキャッチフレーズが取り分け多かったことで知られており活字になったものだけでも今・牛若丸、ちびっ子ギャング、小さな巨人、鉄腕アトム、土俵のクレイ、ベトコン、忍者、土俵の魔術師など多数確認される。 拓殖大学に在籍していた次兄(のち警視庁柔道師範の森田祥業)から話を聞いた伊勢ノ海親方のスカウトを受けて上京し、東京の墨田区立両国中学校在籍中の1961年(昭和36年)5月場所、伊勢ノ海部屋より初土俵。
水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 20… 水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 2014年7月28日)は、京都府舞鶴市出身の実業家、民法学者。日本興業銀行勤務を経て、そごうの会長、社長を務めた。東洋大学名誉教授、法学博士。担保法の権威としても知られた。