又木 鉄平(またき てっぺい、1999年2月12日 - )は… 又木 鉄平(またき てっぺい、1999年2月12日 - )は、山梨県笛吹市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 笛吹市立石和北小学校で3年生の時に石和北スポーツ少年団で野球を始める。笛吹市立石和中学校では軟式野球部に所属していた。 山梨県立日川高等学校では甲子園大会出場はなく、3年夏は山梨大会準々決勝で東海大甲府に敗れた。 高校卒業後は東京情報大学へ進学。1年春からリーグ戦に登板し、通算成績は15勝11敗。 その後は日本生命へ入社。1年目から公式戦に登板した。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから5位指名を受けた。ドラフト後に開催された第48回社会人野球日本選手権大会では、JR四国との準々決勝に先発して6回を無安打無失点に抑え、勝利投手となった。
齊藤 伸治(さいとう しんじ、1998年6月13日 - )は… 齊藤 伸治(さいとう しんじ、1998年6月13日 - )は、千葉県市原市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。高知ファイティングドッグス所属。NPBでは育成選手だった。 中学時代は、千葉市リトルシニアでプレー。同期に、藤平尚真や中村亮太がいた。 習志野高時代は、3年次は背番号7の控え遊撃手としてプレー。千葉県予選ベスト4で敗退し、甲子園出場は叶わなかった。当時から強肩であり、投手として最速136km/hを計測していたが、公式戦は未登板であった。 東京情報大学のセレクションを受ける際、習志野高の小林徹監督から投手での受験を勧められ、本人も高校通算0本塁打で野手としては通用しないと思ったため、大学から投手に転向する。
小林 慶祐(こばやし けいすけ、1992年11月2日 - )… 小林 慶祐(こばやし けいすけ、1992年11月2日 - )は、ベルギー・ブリュッセル市出生、千葉県佐倉市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属。 両親は日本出身だが、実父が勤務先の仕事で赴任していたベルギーのブリュッセル市で出生。同国では出生から2年間育ったに過ぎず、当時の記憶は皆無という。 帰国後に佐倉市立青菅小学校で軟式野球を始めると、八千代松陰高校で硬式野球部に所属。同部では控え投手で、公式戦には3年夏の全国高等学校野球選手権千葉大会に救援で1試合に登板しただけであった。対外試合への登板機会が限られていたことへの悔しさから、3年時の秋に東京情報大学硬式野球部のセレクションへ参加。
有吉 優樹(ありよし ゆうき、1991年3月12日 - )は… 有吉 優樹(ありよし ゆうき、1991年3月12日 - )は、千葉県山武郡大網白里町(現:大網白里市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 大網東小学校、大網中学校を卒業後、東金高等学校へ進学。高校時代は投手兼遊撃手としてプレーしていた。3年夏は3回戦でその年の準優勝校である東海大望洋に敗れた。東京情報大学へ進むと2年秋からリーグ戦に出場。3年春には大学選手権2回戦に先発して無失点の好投もチームは延長タイブレークで敗れる。4年秋にはリーグ最多勝、奪三振王を獲得、関東地区大学野球選手権大会では初戦で先発し、高梨裕稔(山梨学院大)と投げ合って敗れた。 卒業後は九州三菱自動車に入社。営業回りをする傍ら、野球部の練習に打ち込む毎日だった。
伊志嶺 忠(いしみね ただし、1985年6月22日 - )は… 伊志嶺 忠(いしみね ただし、1985年6月22日 - )は、沖縄県中頭郡北谷町出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 出身地は北谷町とされているが、隣接する宜野湾市で生まれ、幼少時に北谷町に転居した。小学3年時から内野手として「北谷ライオンズ(現在の北玉ライオンズ)」で野球を始めると、北谷町立桑江中学校1年時の途中から捕手に転向した。 沖縄県立北谷高等学校への進学後は、一時外野手を務めたが、主に「捕手・3番打者」としてプレー。在学中は春夏とも阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかったが、対外試合で通算35本塁打を記録した。高校の同級生に歌手の伊禮麻乃やORANGE RANGEのRYOがいる。
西村 弥(にしむら わたる、1983年9月8日 - )は、沖… 西村 弥(にしむら わたる、1983年9月8日 - )は、沖縄県南城市出身の元プロ野球選手(内野手)。