スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
結束 美南(けっそく みなみ、2007年1月16日 - )は… 結束 美南(けっそく みなみ、2007年1月16日 - )は、日本の女子バレーボール選手。 千葉県成田市出身。中学時代はJOCジュニアオリンピックカップで千葉県代表として出場。習志野高校では絶対的エースとして同校を38年ぶりの春の高校バレー出場に導き、2024年・2025年の2大会連続で出場した。 2024年12月、花岡千聡と共にSV.LEAGUEの東レアローズ滋賀の内定選手として発表され、2025年3月1日の群馬グリーンウイングス戦でSVリーグデビューを果たした。 2025年7月、U19世界選手権メンバーに選出。キャプテンを務める。 SV.LEAGUEの個人成績は下記の通り(チャンピオンシップ含む)。
片岡 雷斗(かたおか らいと、2006年7月12日 - )は… 片岡 雷斗(かたおか らいと、2006年7月12日 - )は、日本のプロボクサー。千葉県佐倉市出身。大橋ボクシングジム所属。 7人兄弟の三男に生まれ、5歳でキックボクシングを始め、自衛隊である兄の亜沙人の試合を観戦したことで9歳時にボクシングに転向した。千葉県習志野市にある習志野市立習志野高等学校に入学してアマチュア6冠を達成し、アジアユース選手権51kg級優勝などの実績を作った。 2022年8月1日、高知県南国市の南国市立スポーツセンターにて、中居真杜(興國)と第76回全国高等学校総合体育大会ボクシング競技大会ライトフライ級準決勝戦で対戦し、5-0の判定勝ちを収め、決勝戦進出を果たした。 2022年8月2日、高知県南国市の南国市立スポーツセンターにて、遠藤龍匠(荏田)と第76回全国高等学校総合体育大会ボクシング競技大会ライトフライ級決勝戦で対戦し、5-0の判定勝ちを収め、優勝を果たした。
高橋 慶帆(たかはし けいはん、2003年10月13日 - … 高橋 慶帆(たかはし けいはん、2003年10月13日 - )は、日本の男子バレーボール選手。 千葉県旭市にて、イラン人の父と日本人の母の間に次男として誕生。小学2年からサッカーをしていたが怪我をきっかけに中学2年でバレーに転向した。 2019年、市立習志野高校に進学。高校時代は3年連続で春高バレーに出場。 2022年、法政大学経営学部に進学。 2023年度バレーボール日本男子代表に選出され、FIVB男子バレーボールネーションズリーグの日本代表登録メンバーに選出された。その後、アジア競技大会に出場した。 2023年11月15日、ジェイテクトSTINGSへの入部が発表された。ジェイテクトにとって大学4年生内定選手以外の現役大学生との契約は初である。
堤 麗斗(つつみ れいと、2002年8月26日 - )は、日… 堤 麗斗(つつみ れいと、2002年8月26日 - )は、日本のプロボクサー。千葉県千葉市出身。志成ボクシングジム所属。 3人兄弟の3番目に生まれる。最初は極真空手を習っていたが小学5年生の時にボクシングに転向。全国U-15ジュニアボクシング大会で小学5年生から中学2年生まで4連覇(認定優勝含む)を果たす。 習志野高校で1年時にはインターハイ・国体・全国高校選抜優勝、2年時にはインターハイ・国体を連覇し、高校5冠を達成。3年時は新型コロナウイルスの影響を受け、3大会が全て中止となった。2021年春に東洋大学経営学部に進学。 2021年4月、世界ユース選手権のライト級(60kg)で優勝。 2021年10月、セルビアのベオグラードで開催された世界選手権のフェザー級(57kg)に出場。
古谷 拓郎(ふるや たくろう、2000年4月21日 - )は… 古谷 拓郎(ふるや たくろう、2000年4月21日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校2年時に野球を始め、所属チームの人数が少なかったこともあり、投手を務める。鎌ヶ谷市立第二中学校時代は県大会ベスト8が最高成績だった。 高校は習志野高校に進学。1年秋からベンチ入りし、2年夏の千葉大会では4回戦や準々決勝で先発登板を果たした。木更津総合との決勝では救援登板したが、打者2人に対し1安打1四球で降板している。2年秋には背番号16ながら、県4強入りに貢献し、この頃からプロを意識し始めた。3年春にはエースナンバーを初めて着け、関東大会出場に貢献。3年夏の西千葉大会は背番号10でベンチ入りし、4回戦で7回に初登板すると、3回無失点の好投を見せる。
池田 来翔(いけだ らいと、1999年12月11日 - )は… 池田 来翔(いけだ らいと、1999年12月11日 - )は、千葉県八千代市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 八千代市立八千代台小学校1年の時に北東タイガースで野球を始めた。6年時には千葉ロッテマリーンズジュニアに選出され、NPB12球団ジュニアトーナメントにも出場した。八千代市立八千代中学校時代は東都京葉ボーイズに所属し、主に遊撃手を守った。 習志野市立習志野高等学校では2年秋から三塁手のレギュラーを獲得。3年夏の千葉県大会は、準決勝の検見川戦で先頭打者本塁打を放つなど打率.455と活躍し、チームは決勝に進出したが、山下輝擁する木更津総合に3-4で敗れ、甲子園に出場することはできなかった。
稲葉 亜我志(いなば あがし、1999年9月27日 - )は… 稲葉 亜我志(いなば あがし、1999年9月27日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 習志野市立習志野高等学校を経て、静岡産業大学に進学。 2021年12月よりいわてグルージャ盛岡のトライアルに参加。2022年2月、正式加入が発表された。 2024年12月29日、ヴィアティン三重への完全移籍が発表された。 2025年12月29日、現役引退を発表。
上條 レイモンド(かみじょう レイモンド、1999年9月16… 上條 レイモンド(かみじょう レイモンド、1999年9月16日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 千葉県佐倉市出身。ナイジェリア人の父と日本人の母を持つ。 中学1年生のとき、顧問に誘われてバレーボールを始める。 高校は習志野高等学校に進学。春高には3回出場し、2年時の2017年大会ではベスト4まで進出した。2017年、U19日本代表に選出され、アジアユース選手権に出場し、チームは優勝を果たした。2018年には、U20日本代表に選出され、アジアジュニア選手権に出場した。また、同年のインターハイでベスト4に入った。 大学は早稲田大学に進学。大学在学中は全日本インカレの連覇が続き、4度の全日本インカレ優勝を経験した。
中村 啓人(なかむら けいと、1999年7月15日 - )は… 中村 啓人(なかむら けいと、1999年7月15日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 千葉県松戸市出身。兄の影響で中学1年生からバレーボールを始める。 習志野高等学校、専修大学を経て、2021/22シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属するVC長野トライデンツの内定選手となった。内定選手としてV1の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2022年、大学卒業後に、VC長野トライデンツに入団した。 2025年4月、2024-25シーズン限りでの現役引退が発表された。5月21日に引退選手として公示。
堤 駿斗(つつみ はやと、1999年7月12日 - )は、日… 堤 駿斗(つつみ はやと、1999年7月12日 - )は、日本のプロボクサー。千葉県千葉市出身。志成ボクシングジム所属。元OPBF東洋太平洋フェザー級王者。 3人兄弟の2番目に生まれる。最初は極真空手を習っていたが小学5年生からキックボクシングとボクシングを始める。那須川天心とは幼なじみで幼少の頃から中学まで空手とキックボクシングを一緒の道場とジムで練習した。中学2年生からボクシングに専念し、全国U-15ジュニアボクシング大会、全国アンダージュニアボクシング大会、全日本アンダージュニアボクシング王座決定戦などを制覇した。 習志野高校時代にフライ級、バンタム級で高校6冠を達成した。卒業後、東洋大学経営学部会計ファイナンス学科に進学。
齊藤 伸治(さいとう しんじ、1998年6月13日 - )は… 齊藤 伸治(さいとう しんじ、1998年6月13日 - )は、千葉県市原市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。高知ファイティングドッグス所属。NPBでは育成選手だった。 中学時代は、千葉市リトルシニアでプレー。同期に、藤平尚真や中村亮太がいた。 習志野高時代は、3年次は背番号7の控え遊撃手としてプレー。千葉県予選ベスト4で敗退し、甲子園出場は叶わなかった。当時から強肩であり、投手として最速136km/hを計測していたが、公式戦は未登板であった。 東京情報大学のセレクションを受ける際、習志野高の小林徹監督から投手での受験を勧められ、本人も高校通算0本塁打で野手としては通用しないと思ったため、大学から投手に転向する。
西村 慧祐(にしむら けいすけ、1998年2月19日 - )… 西村 慧祐(にしむら けいすけ、1998年2月19日 - )は、東京都出生、千葉県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・モンテディオ山形所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 柏イーグルスSCを経て、進学した習志野高校、専修大学では共に主将を務めた。2019年7月、2020年シーズンから大宮アルディージャへの加入が内定した。同月、JFA・Jリーグ特別指定選手に承認された。 2020年より、大宮アルディージャへ正式に加入した。6月27日第2節千葉戦でプロデビューした。7月4日第3節群馬戦でプロ初ゴールを決めて勝利に貢献した。 2023年より、モンテディオ山形へ期限付き移籍。2024年からは山形へ完全移籍。
池田 廉(いけだ れん、1997年11月10日 - )は、千… 池田 廉(いけだ れん、1997年11月10日 - )は、千葉県船橋市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・大分トリニータ所属。ポジションはミッドフィールダー。 船橋海神スポーツクラブ、FC習志野、習志野高校を経て、拓殖大学へ一般入試で入学した。 2020年より、FC琉球へ加入。同年2月23日のJ2第1節・ジェフユナイテッド千葉戦に先発出場し、Jリーグデビューした。 2021年6月13日、ギラヴァンツ北九州戦で負傷。腰椎横突起骨折で復帰見込みは約10週間〜12週間の診断を受けた が早々に復帰。同年シーズンは、リーグ戦33試合に出場した。 2023年より、大分トリニータへ完全移籍。シーズン開幕前の1月21日のトレーニング中に負傷、全治不明のグロインペイン症候群と診断され離脱することとなった。
萱 和磨(かや かずま、1996年11月19日 - )は、日… 萱 和磨(かや かずま、1996年11月19日 - )は、日本の体操競技選手。 小学2年生の時にテレビで観たアテネオリンピック日本代表の冨田洋之の演技に魅了され、体操を始める。 市立習志野高校では3年次に全国高校体操選抜大会個人総合で優勝を果たすなど同学年の白井健三らと競い合った。 順天堂大学進学後、2015年の体操世界選手権では個人あん馬で銅メダルを獲得し、団体での金メダル獲得にも貢献した。 2021年5月16日に長野県のビッグハットで開催された第60回NHK杯にて2位に入賞し、同大会初優勝の橋本大輝と共に同年開催の2020年東京オリンピックへの出場権の獲得と同時に自身初の団体代表入りが内定した。
佐々木 祐太(ささき ゆうた、1996年2月10日 - )は… 佐々木 祐太(ささき ゆうた、1996年2月10日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 習志野高校を卒業後にパラグアイのインデペンディエンテF.B.C.(スペイン語版)に入団する。その後、ドイツのクラブを経て、2017年2月21日にヴェルフェ矢板に加入したが、2018年1月17日に退団した。退団後はアイルランドに渡って、キャビンティーリーFCなどでプレーした。 2019年12月6日、いわてグルージャ盛岡へ完全移籍により加入すると発表された。 2021年シーズン終了後の年12月9日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した。同年12月15日、岩手との契約が満了となったことが発表された。
郡司 真里(ぐんじ まさと、1995年7月18日 - )は、… 郡司 真里(ぐんじ まさと、1995年7月18日 - )は、千葉県成田市出身のプロ野球審判員。袖番号は8。 小学2年から橋賀台サンダーズで野球を始め、千葉ロッテマリーンズの選抜メンバーとしてNPB12球団ジュニアトーナメントに出場。成田市立西中学校時代には佐倉リトルシニアで全国大会に出場。 習志野高校に進学し、外野手としてプレーしていたが、3年夏の千葉大会で、一塁へのヘッドスライディングの際に右肩を脱臼。決勝で木更津総合に敗れたあとも痛みが引かず、硬式野球の引退を決断した。しかし、高校時代に紅白戦で審判を経験し、選手として見てきたものとは異なる野球の見え方があることに気づき審判員に興味を抱くようになる。
青木 大(あおき だい、1994年10月24日 - )は、日… 青木 大(あおき だい、1994年10月24日 - )は、日本の柔道家。千葉県出身。階級は60kg級。身長172cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は巴投げ、寝技。 柔道は6歳の時に始めた。市川第七中学3年の時に全国中学校柔道大会の60kg級に出場するが3回戦で敗れた。習志野高校に進学すると、2年の時に高校選手権で5位になった。3年の時にはインターハイに出場するも2回戦で敗れた。 2013年には日体大へ進学すると、2年の時に全日本ジュニアでは国士舘大学2年の林浩平に敗れて2位に終わった。学生体重別と講道館杯では3位となった。3年の時には選抜体重別の初戦で元世界チャンピオンである東海大学4年の髙藤直寿を内股で破る金星を挙げて3位になった。
安芸 銀治(あき ぎんじ、1994年6月4日 - )は、千葉… 安芸 銀治(あき ぎんじ、1994年6月4日 - )は、千葉県松戸市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。 習志野高校から、流通経済大学へ進学。その後、2016年にJリーグのブラウブリッツ秋田に加入した。 2017年、J3リーグ開幕戦にてJリーグ初出場をした。 2018年、ラインメール青森FCに期限付き移籍。 2018年を以て、ブラウブリッツ秋田、ラインメール青森共に契約満了。 2019年2月、アイルランド3部のクラムリン・ユナイテッドFC(英語版)への移籍が発表された。 2020年はアイルランドのグレンビルFC(英語版)でプレーした。 2021年3月26日、COEDO KAWAGOE F.Cと契約。
中村 駿(なかむら しゅん、1994年2月24日 - )は、… 中村 駿(なかむら しゅん、1994年2月24日 - )は、千葉県船橋市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC岐阜所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 2016年、駒澤大学よりアマチュア契約にてザスパクサツ群馬に加入。同年3月、クラブの若手育成方針により、関東サッカーリーグ1部に所属するtonan前橋への期限付き移籍が検討され、一時は前橋のホームページに名前が載るも、移籍直前の練習試合で同じボランチのチアゴが負傷し、そのまま契約解除となったため移籍は見送られた。同年6月7日にはプロ契約に移行したことが発表された。 2017年よりモンテディオ山形へ完全移籍。 2020年12月23日、湘南ベルマーレへの完全移籍が発表。
原 修太(はら しゅうた、1993年12月17日 - )は、… 原 修太(はら しゅうた、1993年12月17日 - )は、千葉県船橋市出身のバスケットボール選手。B.LEAGUE・千葉ジェッツふなばし所属。ポジションはシューティングガード、スモールフォワード。2022ー2023シーズンには、平均得点10.1であり、ベストディフェンダー賞シーズンベスト5に選ばれている。妻はモデルの團遥香。 小学校3年生から、バスケットボールを始める。船橋市立高根台中学校卒業後は市立船橋高校への進学を考えていた。習志野市立習志野高等学校へと進学。習志野高校時代から頭角を現すようになる。監督より大学でのバスケットボールを勧められ、関東大学リーグの2部または3部のチームへの進学を検討した。
福田 将儀(ふくだ まさよし、1992年4月17日 - )は… 福田 将儀(ふくだ まさよし、1992年4月17日 - )は、千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学校2年生の時に「松尾キングスターズ」で野球を始め、当時は投手と遊撃手。松尾中学校時代は「九十九シニア」で投手としてプレーした。習志野高校では1年生で主に中堅手のレギュラーになった。2年生時の春の選抜大会の1回戦で「7番・中堅手」、2回戦では「4番・中堅手」で先発出場し、計8打数3安打1本塁打1打点、打率.375の成績だった(チームは2回戦敗退)。3年生時の夏の甲子園・千葉大会では準決勝で成田高校に3-4で敗れた。野球部の同期には山下斐紹がいる。 中央大学では1年生時の春に中堅手のレギュラーを獲得し、2年生時の秋季リーグで東都大学野球リーグのベストナイン(外野手)を獲得した。
蒼山 幸子(あおやま さちこ、1991年1月19日 - )は… 蒼山 幸子(あおやま さちこ、1991年1月19日 - )は、日本のシンガーソングライター。ねごとの元メンバーで、ボーカル・キーボード・作詞を担当していた。千葉県出身。AB型。 産まれてから5歳の頃までは東京都台東区に住んでおり、その後に父親の実家のある千葉県に移る。 小学校から中学校の頃までピアノを弾いていたが、習ってる時に弾いているのは嫌いだったという。中学校の入学式のとき、吹奏楽部でドラムを演奏している先輩を見て「格好いい!あれやりたい!」と思ったのがきっかけで打楽器を演奏するようになり、高校時代はマーチング・バンドもしていたという。 高校で同じ軽音楽部であった澤村小夜子と、共通の知り合いを通して知り合った沙田瑞紀を含めたバンドを結成。
守田 達弥(もりた たつや、1990年8月3日 - )は、千… 守田 達弥(もりた たつや、1990年8月3日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC町田ゼルビア所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 習志野市立習志野高等学校出身。全国高等学校サッカー選手権大会への出場は無かった。 2009年に京都サンガF.C.に入団。1年目は水谷雄一が全試合出場を果たしたため出番なしに終わった。2010年も当初は水谷の控えだったがチームが下位に低迷したこともあって9月11日のヴィッセル神戸戦でデビューを飾る。その後は水谷から定位置を奪取したが、結局J2降格が決まってしまった。 J2で迎えた2011年は平井直人の引退もあって定位置確保かと思われたが、水谷が定位置を奪い返したため出場機会なしに終わった。
岩佐 亮佑(いわさ りょうすけ、1989年12月26日 - … 岩佐 亮佑(いわさ りょうすけ、1989年12月26日 - )は、日本の元プロボクサー。元IBF世界スーパーバンタム級王者。 千葉県柏市出身。セレスボクシングスポーツジム所属。ニックネームは「Eagle Eye(イーグルアイ)」。 中学2年の時に、地元のセレスジムでボクシングを始めた。 中学卒業後にプロを目指すつもりだったが、会長であるセレス小林からアマチュアで実績を積むよう説得され、高校ボクシングの名門と呼ばれる習志野市立習志野高等学校に進学。 そして高校3年時に選抜・インターハイ・国体の高校3冠を達成し、高校卒業後にプロ転向した。 2008年8月2日、後楽園ホールにて高橋慎弥(岐阜ヨコゼキ)を相手にプロデビュー戦を行い、5回TKO勝ちを収めてプロキャリアを白星でスタートさせた。
林堂 眞(りんどう まこと、1989年11月21日 - )は… 林堂 眞(りんどう まこと、1989年11月21日 - )は、大阪府出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 習志野高校から駒澤大学に進み、主将を務めた。2011年には、夏季ユニバーシアードにユニバーシアード日本代表として出場し金メダルを獲得。 2012年、ヴァンフォーレ甲府へ入団。9月8日の天皇杯2回戦の福島ユナイテッドFC戦でプロデビュー。しかし同月26日のトレーニング中に左足第5中足骨骨折の怪我を負った影響もあり、リーグ戦の出場はなかった。2013年5月、ガイナーレ鳥取へ期限付き移籍。 2014年からは、愛媛FCへ完全移籍。 2020年からは、カターレ富山へ完全移籍。
上野 啓輔(うえの けいすけ、1986年3月6日 - )は、… 上野 啓輔(うえの けいすけ、1986年3月6日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球指導者、実業家。株式会社FROM BASE.代表取締役。大正大学硬式野球部コーチ。NPBでは育成選手であった。 中学時代は船橋リトルシニアでプレイ。シニア時代の最高成績は3年春に関東大会ベスト8、当時は投手より打者での活躍が目立っていた。高校は千葉の名門で数々のプロ野球選手がいる習志野市立習志野高等学校に進学。3年になってからはエースで活躍。3回戦でその年Aシードだった我孫子を相手に2安打完封に抑え、身長が192cmだったこともあり長身ピッチャーとして注目された。しかし続く4回戦で専大松戸に1-0で敗退した。
粟生 隆寛(あおう たかひろ、1984年4月6日 - )は、… 粟生 隆寛(あおう たかひろ、1984年4月6日 - )は、日本の元プロボクサー。千葉県市原市出身。帝拳ボクシングジム所属。元WBC世界フェザー級王者。元WBC世界スーパーフェザー級王者。世界2階級制覇王者。 史上初のアマチュア高校6冠達成者。 元ボクサーだった父広幸の指導の下、3歳からボクシングを始める。5歳から水泳も習い始め、小学校入学前に4泳法(クロール・背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ)すべてをマスターした。小学生の時に学校の課題で「将来の夢」をテーマとした作文を書いた時には、文章は「ボクシングで世界チャンピオンになりたい」とだけ書いて、余白には大きくWBCの世界チャンピオンベルトの絵を書いていた。
木村 悠(きむら ゆう、1983年11月23日 - )は、日… 木村 悠(きむら ゆう、1983年11月23日 - )は、日本の元プロボクサー。千葉県千葉市出身。帝拳ボクシングジム所属。第37代日本ライトフライ級王者。元WBC世界ライトフライ級王者。 中学2年のときにドキュメンタリー番組がきっかけとなりフィットネスジムでボクシングを始める。 習志野高校でボクシング部に所属し、インターハイ3位・国体2位の成績を残す。1年後輩に粟生隆寛がいる。 法政大学進学後、1年次で全日本選手権ライトフライ級優勝を果たす。 大学在学中より帝拳にスパーリングなどで出稽古をしており、卒業後に入門。 2006年10月7日、後楽園ホールで6回戦デビューを2回TKO勝利。 デビュー5戦4勝1分後、2008年6月21日、小野心(ワタナベ)に5回負傷判定負け、6戦目でプロ初黒星。
池上 礼一(いけがみ れいいち、1983年7月12日 - )… 池上 礼一(いけがみ れいいち、1983年7月12日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手。指導者。習志野高校及び仙台大学卒業。ポジションは主にミッドフィールダー(MF)。 小学校1年生の時にサッカーを始める。習志野高校では主将を務め、高校総体でベスト8入りした。 2002年、仙台大学へ進学。1年次からレギュラーを獲得し、3年次に参加したデンソーカップでは、北海道・東北勢の中で唯一優秀選手に選出された。同年、ユニバーシアード日本代表として同大会で優勝。大学の同期は大橋良隆など。 2005年、JFA・Jリーグ特別指定選手として登録されFC東京に加入。ユーティリティー性を発揮しつつJサテライトリーグで2得点を挙げ、同年9月には翌2006年からの正式加入が発表された。
柴小屋 雄一(しばこや ゆういち、1983年6月16日 - … 柴小屋 雄一(しばこや ゆういち、1983年6月16日 - )は、宮城県仙台市出身のフットサル選手、元プロサッカー選手。サッカー選手時代の登録ポジションはディフェンダー。バレーボール選手の柴小屋康行は実弟。 大分トリニータ在籍時は、皇甫官体制時に当時入団一年目だった深谷友基とCBを組み、三木隆司などベテランを退け開幕からレギュラーを掴んだ。経験不足による失点は目立ったが、空中戦には強く、強豪クラブを抑える活躍をした。 ペリクレス・シャムスカの監督就任後、出場機会が減少。2007年4月に出場機会を求めサガン鳥栖へ期限付き移籍。鳥栖ではセンターバックのレギュラーの座を掴み、第二クールにおいて快進撃の原動力となっていた。
栗澤 僚一(くりさわ りょういち、1982年9月5日 - )… 栗澤 僚一(くりさわ りょういち、1982年9月5日 - )は、千葉県松戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は柏レイソルのヘッドコーチを務める。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。流通経済大学法学部卒。 兄の影響で6歳の時にサッカーを始める。小学校卒業に併せて柏レイソルのジュニアユース加入を図ったが選考を通らず、中学生時にはなかなか専門的指導を受けられずにいた。トレセンでのプレーが認められ、1998年に県内の強豪校である習志野高校へ進学したが、全国大会での好成績を残せず、千葉県選抜として臨んだ国体も地区予選で敗れたため全国的には無名の存在だった。 習志野高校サッカー部本田裕一郎監督の紹介を受け、2001年に流通経済大学へ進学。
GAKU(がく、1981年8月22日 - )は、日本の音楽家… GAKU(がく、1981年8月22日 - )は、日本の音楽家、ソングライター、編曲家。血液型はO型。千葉県出身。習志野市立習志野高等学校卒業。 本名は植草 岳(うえくさ がく)。シンガーソングライター集団UNISTのギター・ボーカル・リーダー。 アイドルマスター シャイニーカラーズ
町田 忠道(まちだ ただみち、1981年5月23日 - )は… 町田 忠道(まちだ ただみち、1981年5月23日 - )は、埼玉県本庄市出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
本間 勲(ほんま いさお、1981年4月19日 - )は、新… 本間 勲(ほんま いさお、1981年4月19日 - )は、新潟県北蒲原郡中条町(現・胎内市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは守備的ミッドフィールダー。 2000年のプロデビューから2014年までの15年間、アルビレックス新潟でプレーし、チームの象徴として「ミスターアルビレックス」と呼ばれた。2014年シーズン途中から栃木SCへ移籍し、2017年に新潟に復帰。同年限りで現役を引退した。 8歳からサッカーを始め、地元の中条サッカースポーツ少年団に入団。胎内市立中条中学校を経て、千葉県の習志野高校へ入学後は1998年に千葉県大会で優勝し、第77回全国高等学校サッカー選手権大会に出場している。
関 隆倫(せき たかみち、1981年1月16日 - )は、千… 関 隆倫(せき たかみち、1981年1月16日 - )は、千葉県松戸市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。主に両サイドとトップ下を務める。 東洋大学から2003年に大宮アルディージャに入団。しかし出番に恵まれず、1年で戦力外通告を受ける。 2004年に水戸ホーリーホックに移籍し、右サイドの攻撃的MFとしてその年の第2クールからレギュラーを獲得してブレイクした。 その後、2006年にステップアップのためコンサドーレ札幌へ移籍。札幌では主に左サイドの選手としてレギュラーの座を獲得した。その後、シーズン途中に加入した西谷正也とのポジション争いが起こったため、常時出場というわけにはいかなかったものの、攻撃面に優れるが守備やスタミナに課題のある西谷に対し、守備面と運動量で勝負する関はプレースタイルが違ったということもあり、出場機会を失うことはなく主力の一人としてチームに貢献した。
松比良 平太(まつひら へいた、1980年7月13日 - )… 松比良 平太(まつひら へいた、1980年7月13日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(捕手)。 習志野市立習志野高等学校(同級生に玉田圭司・吉野智行ら)から、1998年のドラフト7位で大阪近鉄バファローズに指名され入団。 一軍での試合出場がないまま、4年目の2002年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。 引退後の2003年からは近鉄でブルペン捕手を務めていたが、2004年限りで球団が消滅。 翌2005年、新規参入を果たした東北楽天ゴールデンイーグルスに入り、2014年までブルペン捕手を務めた。その間、2008年には北京オリンピック野球日本代表のチームスタッフも務めた。 2015年から二軍用具係に異動となり、2016年からは二軍マネージャーを務めた。
吉野 智行(よしの ともゆき、1980年7月9日 - )は、… 吉野 智行(よしの ともゆき、1980年7月9日 - )は、東京都台東区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。 習志野高等学校出身、当時の同級生に玉田圭司がいる。高校在学中にU-16、U-18の日本代表に選出、高校3年次の1998年に柏レイソルの強化指定選手(現・特別指定選手)に選出されている。 2007年、自身の誕生日に結婚。翌年には長女が誕生している。 2009年にはガイナーレ鳥取キャプテンに就任、Jリーグ準加盟のチームを率いたが終盤にチームは失速、2年続けて最終節に昇格圏外の5位となりサポーターに対して涙で翌年の昇格を誓った。 2010年度は服部年宏の加入により副キャプテンとしてチームを支える。
田村 彰敏(たむら あきとし、1980年5月31日 - )は… 田村 彰敏(たむら あきとし、1980年5月31日 - )は、日本の男性元総合格闘家。兵庫県西脇市出身。総合格闘技津田沼道場所属。元修斗世界フェザー級王者。 習志野高校時代は柔道部に所属。18歳で総合格闘技の練習を始めた。2000年アマ修斗東日本オープントーナメントで準優勝。同年9月に行われた全日本選手権では準決勝戦で山本KID徳郁に判定負けして3位入賞してプロ昇格。 2001年4月8日、プロ修斗デビュー。 2004年7月10日、ミャンマー・ヤンゴンで開催されたミャンマー・ラウェイ協会主催大会で、エー・ボー・セイン(Aya Bo Sein)に顎への左膝蹴りで4R2分52秒KO勝ち。 2007年2月17日、修斗環太平洋ライト級(-65kg)王座決定戦で不死身夜天慶と対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
玉田 圭司(たまだ けいじ、1980年4月11日 - )は、… 玉田 圭司(たまだ けいじ、1980年4月11日 - )は、千葉県浦安市出身のサッカー指導者。元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 5歳年上の兄は地元では「浦安の翼クン」と呼ばれていた選手で、幼稚園の時にその兄の影響を受けて入船少年SCでサッカーを始め、中学時にはカネヅカFCに入団。幼少時から一貫してフォワードとしてプレーし、中学卒業後習志野市立習志野高等学校に入学。1年からレギュラーとなって国体に3年連続出場を果たすと、3年時には高校選手権千葉大会決勝で市立船橋相手に決勝ゴールを挙げて同校6年ぶりの本大会出場に貢献。本大会では鹿児島工との1回戦でゴールを挙げたものの、試合には敗れた。
加藤 元気(かとう もとき、1978年8月18日(47歳) … 加藤 元気(かとう もとき、1978年8月18日(47歳) - )は、千葉県船橋市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 高校卒業後、単身ウルグアイリーグのトライアウトへ。リベルプールFCの3軍時に得点ランキング10位。CAフェニックスの2軍時には前期リーグのアシスト王を獲得。50mを5.8秒で走る俊足を生かしたFWだったが、CAフェニックスに移籍後、巧みなテクニックと視野の広さを買われトップ下にコンバートされる。 CAフェニックスの1軍時には2010年ワールドカップMVPのフォルランを始め、元アルゼンチン代表のアイマールやサビオラなどとも試合をした経験を持つ。帰国後、Jリーグ数チームで練習生としてプレーするも、正式契約のオファーはなし。
薮崎 真哉(やぶさき しんや、1978年6月1日 - )は、… 薮崎 真哉(やぶさき しんや、1978年6月1日 - )は、日本の経営者で、元サッカー選手。 千葉県千葉市生まれ。習志野市立習志野高等学校2年生時に1995年の全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会で優勝を経験した。高校の2年後輩に玉田圭司がいる。 1997年に高校卒業後、Jリーグの柏レイソルに入団。同期入団は船橋市立船橋高等学校の北嶋秀朗。ミッドフィールダーとして6年間在籍するもリーグ戦出場1試合、カップ戦出場1試合にとどまり、6シーズン目に戦力外通告を受け退団。 退団後、銀座ダイニングレストランに就職したが、店長の給料が想像よりも安いことで退社、飲食関連の出店コンサルティング会社に営業職として入社した。
福田 健二(ふくだ けんじ、1977年10月21日 - )は… 福田 健二(ふくだ けんじ、1977年10月21日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 小学2年生の時に兄の影響でサッカーを始めた。両親の離婚により母子家庭に育ち、5年生の時に母が生活苦から自殺するという少年時代を過ごした。 父に引き取られて千葉県袖ケ浦市へ転居した後も金銭的な問題からサッカーを諦めかけたが、同級生で同じサッカークラブに所属していた廣山望ら友人たちの助けもあって 中学でもサッカーを続け、1992年のU-15クラブ選手権で全国3位の成績を残した。Jリーグ開幕前だったこともあり、中学卒業時にはサッカーのためにブラジルへの移住を考えるなど当時から海外志向を持っていた。
小田島 隆幸(おだじま たかゆき、1977年9月15日 - … 小田島 隆幸(おだじま たかゆき、1977年9月15日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはDF。 習志野高校時代は1995年インターハイ優勝・1995年国民体育大会優勝(千葉県選抜)を経験。同級生には福田健二・廣山望らがいる。関東選抜、東日本選抜、U-18日本代表候補。 中央大学では2年生からレギュラーになり、4年時には主将。同期にはお笑い芸人のパンサー尾形、寮の同部屋の後輩には中村憲剛がいた。 大学卒業後にはモンテディオ山形に入団し、その年は開幕スタメンで23試合に出場。しかし2年目はシーズン前に原因不明の急性肝炎を患い、2カ月間入院をして出場機会がないままシーズンを終える。
御厨 景(みくりや けい、1977年8月29日 - )は、千… 御厨 景(みくりや けい、1977年8月29日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。 習志野高校卒業後、1996年横浜マリノスに入団。高校の同級生では廣山望、福田健二が同じくプロに進み、小田島隆幸、西脇徹也、桜井啓も大学卒業後にプロ選手となる。横浜Mでは1年目から右サイドハーフとして活躍するが、翌年は監督交代の影響で出場機会が激減。 1997年にはU-20日本代表の右サイドハーフとして、中村俊輔らと共にワールドユース選手権に出場。 1998年にJFLのブランメル仙台に移籍。仙台では主に左サイドバックとしてプレーした。2000年に現役を引退。
桜井 啓(さくらい けい、1977年6月30日 - )は、千… 桜井 啓(さくらい けい、1977年6月30日 - )は、千葉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。 2000年にJ2リーグ・ベガルタ仙台に加入したが同年をもって引退した。
高谷 裕之(たかや ひろゆき、1977年6月10日 - )は… 高谷 裕之(たかや ひろゆき、1977年6月10日 - )は、日本の男性総合格闘家。千葉県習志野市出身。元DREAMフェザー級王者。LDH martial arts元代表取締役CEO。妻はファッションモデルの三浦麻穂。 元チーマーで、幼少期から喧嘩に明け暮れていたというエピソードと、リングでのパンチ中心のファイトスタイルから「喧嘩番長」や「悪魔の拳」の異名を持つ。パンチへのこだわりが強い生粋のストライカーであり、一撃で相手を失神させるほどの威力を持ったパンチを武器とし、フェザー級を中心にKOの山を築いた。 喧嘩に明け暮れる少年時代を過ごし、23歳の時に「とりあえずエネルギーを発散させないとまずい」と思ったのがきっかけで総合格闘技を始める。
廣山 望(ひろやま のぞみ、男性、1977年5月6日 - )… 廣山 望(ひろやま のぞみ、男性、1977年5月6日 - )は、千葉県袖ケ浦市出身の元サッカー選手、現指導者。ポジションはミッドフィールダー。(JFA公認S級コーチ) 千葉県市原市生まれ。幼稚園時に袖ケ浦市へ転居した頃からサッカーを始めた。習志野市立習志野高等学校では1995年に高校総体で優勝、また千葉県選抜として参加した第50回国民体育大会では少年男子の部で優勝した。習志野高校のサッカー部員は普通科ではなく商業科に進学するのが普通だったが、廣山は普通科に在籍し、3年間の評定平均値は4.8で学年1位であった。 1996年にジェフユナイテッド市原に入団。同時に千葉大学教育学部保健体育学科に推薦入学し、初の現役「国立大生Jリーガー」として話題となった。
小関 太郎(こせき たろう、1976年5月29日 - )は、… 小関 太郎(こせき たろう、1976年5月29日 - )は、日本の警視庁警察官。千葉県市原市出身。現在警視庁警備部第三機動隊所属、巡査部長。千葉県習志野市立習志野高等学校から、東海大学体育学部武道学科へ進学。剣道(錬士)六段。
大塚 真司(おおつか しんじ、1975年12月29日 - )… 大塚 真司(おおつか しんじ、1975年12月29日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 習志野高校在学時の1992年に第71回全国高等学校サッカー選手権大会に出場してベスト4の成績を残した。高校卒業後、ジェフユナイテッド市原に加入。高校の同級生に岩瀬健がいる。 1997年に出場機会を求め、川崎フロンターレに移籍。持ち前の豊富な運動量を生かし、主にボランチとして活躍。98年にはJ1参入決定戦1回戦に出場。99年のチームのJ1昇格に貢献した。その後大宮アルディージャ・モンテディオ山形・コンサドーレ札幌と渡り歩き、長年の経験を生かした読みの鋭いプレーで、いずれのチームでも中心選手として活躍した。
福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )… 福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(内野手、左投左打)。 現役時代は地元出身のフランチャイズ・プレイヤーとして千葉ロッテマリーンズに26年間所属。球団史上3人目の2000安打達成者であり、「幕張の安打製造機」の異名をとった。 熊本県出身の父と千葉県生まれの母との間に、当時の東葛飾郡浦安町に生まれ、4歳の時に習志野市に転居した。習志野市立大久保東小学校1年の時に父の影響で野球を始め、習志野市の野球チーム「あずまクラブ」に所属。この頃はテレビで巨人の試合をよく観ていて、篠塚和典や吉村禎章らに注目していた。また、小学6年生の頃から習志野高校を志望し、プロ野球選手を夢見るようになったという。