伊藤 生更(いとう せいこう、1884年(明治17年)6月2… 伊藤 生更(いとう せいこう、1884年(明治17年)6月28日 - 1972年(昭和47年)7月27日)は、アララギ派の歌人。短歌結社「美知思波(みちしば)」創立者。山梨県北巨摩郡(現・韮崎市)出身。本名は、伊藤基胤(もとつぐ)。妹の権藤はなよ(権藤花代)は、唱歌「たなばたさま」の作詞者で童謡詩人。 山梨県北巨摩郡穴山村(現・韮崎市穴山町)に父・友重、母・やよ、の長男として生まれる。1906年(明治39年)山梨師範学校(現・山梨大学)を卒業。母校の穴山尋常高等小学校、山梨師範学校附属小学校に勤める。浅川伯教(朝鮮古陶磁研究者)は、同僚で師範学校の学生時代からの親友。1908年(明治41年)に甲府市に転居。
山崎 甚五郎(やまざき じんごろう、1882年(明治15年)… 山崎 甚五郎(やまざき じんごろう、1882年(明治15年)7月2日 - 1927年(昭和2年)6月19日)は日本の電気化学者、教育者。兵庫県多紀郡丸山村(現丹波篠山市)で誕生。苛性ソーダの電解法による製造方法を開発し大規模工業化への飛躍的な途を拓いた。粘土などからアルミナ(酸化アルミニウム)を製造する方法を発明した。山梨高等工業学校(現山梨大学工学部)の初代校長。 日本で苛性ソーダの電解法による製造法を開発し、苛性ソーダ工業を飛躍的に発展させた。粘土や明礬石などの国産原料よりアルミニウムの元となるアルミナ(酸化アルミニウム)を製造する方法を発明した。山梨高等工業学校(現山梨大学工学部)の創設に携わり、初代校長として高等技術教育に力を注いだ。
名取 忠愛(なとり ちゅうあい / ただよし、1866年11… 名取 忠愛(なとり ちゅうあい / ただよし、1866年11月25日(慶応2年10月19日)- 1948年(昭和23年)8月21日)は、明治後期から昭和前期の政治家・実業家・名望家・歌人。貴族院議員、甲府市長(官選第10・12代)。号は楓園。 甲斐国甲府山田町(現在の山梨県甲府市中央)に、豪商・父「忠文」、母「かく」の長男として生まれる。 1879年(明治12年)4月に山梨県立師範学校予科に入学。1881年(明治14年)3月に退校し明倫舎で漢籍を修業。1884年(明治17年)9月に徽典館師範科に入学。1887年(明治20年)3月に卒業し甲府小学校訓導となり1893年(明治26年)10月に退職する。
石原 秀昭(いしはら ひであき)は、日本の元郵政・総務官僚。… 石原 秀昭(いしはら ひであき)は、日本の元郵政・総務官僚。総務省大臣官房技術総括審議官等を経て、日本無線協会理事長。 1966年山梨県立甲府第一高等学校卒業。1970年山梨大学工学部電子工学科卒業、郵政省入省。1989年郵政省電気通信局電波部監視管理課長。1991年郵政省放送行政局技術課長。1993年宇宙開発事業団計画管理部主任開発部次長。1995年郵政省北海道郵政監察局長。1996年郵政省北海道電気通信監理局長。1998年郵政省近畿電気通信監理局長。1999年郵政省電気通信局電波部長。2001年総務省総合通信基盤局電波部長。同年総務省大臣官房技術総括審議官。退官後、日本無線協会理事長、日本アマチュア無線振興協会評議員。
影山 のぞみ(かげやま のぞみ )は、日本の女性食育DJであ… 影山 のぞみ(かげやま のぞみ )は、日本の女性食育DJである。
進藤 津る(しんどう つる)は、山梨県の幼児教育の先駆者で、… 進藤 津る(しんどう つる)は、山梨県の幼児教育の先駆者で、県内最初の私立幼稚園を設立した。 1864年(元治元年)2月27日、進藤源右衛門の次女として甲府市に生まれる。1876年(明治9年)12歳で東京女子師範学校に入学し、1881年(明治14年)の卒業と同時に山梨県立師範学校(現山梨大学)で教鞭を振るう。1884年(明治17年)梶野彬と結婚のため退職、夫に伴い三重県津市に引っ越し一男一女をもうける。夫の急逝により、山梨に戻る。1897年(明治30年)山梨県師範学校に復職し、附属幼稚園の主任保母として働く。1898年(明治31年)3月付属幼稚園が廃止になる。 当時の幼児教育の必要性を訴え、あらゆる困難を克服し1898年(明治31年)に県内最初の私立幼稚園「進徳幼稚園」を設立する。