友杉 篤輝(ともすぎ あつき、2000年11月7日 - )は… 友杉 篤輝(ともすぎ あつき、2000年11月7日 - )は、大阪府大阪市住之江区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 大阪市立南港桜小学校で1年生の時に野球を始め、大阪市立南港北中学校在学時は硬式野球のクラブチームである和泉ボーイズでプレーしていた。 立正大学淞南高等学校に進学し、1年秋から遊撃手のレギュラーを務めた。高校時代を通して甲子園大会への出場はなく、3年夏は島根県大会準決勝で益田東高校に敗れた。2学年下に谷川唯人がいる。 天理大学に進学し、2年秋から遊撃手のレギュラーに定着し、首位打者。4年春のリーグ戦では首位打者、MVPを受賞し、ハーレムベースボールウィークの日本代表に選出されたが、同年秋のリーグ戦は体調不良に苦しみ打率.194と苦しんだ。
立松 由宇(たてまつ ゆう、1999年2月5日 - )は、長… 立松 由宇(たてまつ ゆう、1999年2月5日 - )は、長野県小諸市生まれ、千葉県松戸市出身のプロ野球選手(内野手、捕手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学校1年生から松戸カージナルスで野球を始め、中学時代は柏リトルシニアでプレーした。 茨城県立藤代高等学校では1年秋から内野手のレギュラーとして試合に出場した。2年秋の新チームから、主将・正捕手を務め、双子の弟の峻とともに打線の中軸を担ったが、夏の県大会では3回戦敗退に終わった。 高校卒業後は立正大学へ進学した。1年春から東都大学野球二部リーグでベンチ入りした。3年春から下位打線で正捕手を担う。秋から5番打者を務め、打率.410、1本塁打、2打点を記録し敢闘賞を受賞した。
佐々木 斗夢(ささき とむ、1997年5月20日 - )は、… 佐々木 斗夢(ささき とむ、1997年5月20日 - )は、日本のプロ野球選手(内野手・外野手)、野球指導者。右投右打。四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグス所属で、2026年シーズンより選手兼任監督を務める。 北海道札幌市出身。父親の指導により6歳の時に野球を始める。 北照高等学校では3年生時に全国高等学校野球選手権南北海道大会決勝に進出したが、北海高等学校に敗退した(佐々木は三塁手で出場)。 立正大学に進学し、野球部では、3年生の2018年に東都大学野球秋季リーグの対東洋大学戦で藤井聖から本塁打を放つなどの活躍を見せ、リーグ戦や第49回明治神宮野球大会の優勝メンバーとなる。
伊藤 裕季也(いとう ゆきや、1996年8月30日 - )は… 伊藤 裕季也(いとう ゆきや、1996年8月30日 - )は、三重県四日市市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 中学時代に四日市トップエースボーイズでプレーする。1年先輩に東克樹がいる。高校は日大三高に進学し、2年秋から外野手としてベンチメンバー入りしたが、秋の都大会では準決勝で髙橋優貴も登板した東海大菅生高に敗れるなど、全国大会出場はなかった。 大学は立正大学に進学すると、2年春から主に一塁手としてレギュラーを獲得する。4年時には二塁手に転向し、主将を務め小郷裕哉とともにクリーンナップを組み、同校初となる秋季リーグ優勝でMVP、ベストナインを受賞、神宮大会優勝の日本一に貢献した。
広畑 塁(ひろはた るい、1995年6月17日 - )は、福… 広畑 塁(ひろはた るい、1995年6月17日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。右投左打。NPBでは育成選手であった。 東海大第五高時代は、甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は立正大学へ進学し、東都大学野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部。大学時代は控え捕手として過ごし、二部通算3試合の出場に留まり、打率.000、0安打、0本塁打、0打点の成績であった。チームは4年次の春季リーグまで二部リーグ所属。入れ替え戦に勝利し、秋季リーグは一部に所属したが自身が打席に立つことはなかった。 2017年10月26日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成選手ドラフト5位で指名を受け入団。
黒木 優太(くろき ゆうた、1994年8月16日 - )は、… 黒木 優太(くろき ゆうた、1994年8月16日 - )は、神奈川県横浜市港北区出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。
神戸 文也(かんべ ふみや、1994年5月9日 - )は、群… 神戸 文也(かんべ ふみや、1994年5月9日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時に高崎市の塚沢リトルジャイアンツで野球を始め、中学では硬式の高崎ボーイズに所属した。前橋育英高等学校に進学後、同校は神戸が2年生時(2011年)の春の選抜に初出場を果たしたものの、神戸自身はメンバー外であった。2年秋の新チームからはベンチ入りし、外野手や控え投手として出場した。3年春の関東大会で好投したことが立正大学硬式野球部関係者の目に止まり、高校卒業後は同大学に進学するも、4年間で公式戦12試合の登板に留まった。立正大学での同期には、後にオリックスでもチームメイトとなる黒木優太がいる。
吉田 裕太(よしだ ゆうた、1991年7月21日 - )は、… 吉田 裕太(よしだ ゆうた、1991年7月21日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 野球を始めたのは小学3年生から。小学2年までは地元のサッカークラブに所属していたが、同学年の子どもたちより体格に恵まれていたという理由でやらされていたゴールキーパーというポジションに不満を持ち、3年生に進級したタイミングで地元にあるボーイズリーグの強豪「流山クラブ」へ入ることに。流山クラブでは全国制覇を経験。千葉県に在住していたことから、初めてのプロ野球観戦は千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ対西武ライオンズ戦だった。その後、東深井中学時代は柏リトルシニアでプレー。当時一番の思い出は「練習」だという。
南 昌輝(みなみ まさき、1989年1月18日 - )は、千… 南 昌輝(みなみ まさき、1989年1月18日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属する和歌山県海南市出身のプロ野球選手(投手)。妻は歌手の柴田あゆみ[2]。
大谷 真徳(おおたに まさのり、1988年9月4日 - )は… 大谷 真徳(おおたに まさのり、1988年9月4日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。元福井ミラクルエレファンツの大谷尚徳は実兄。 小学1年生の時に、兄の所属していた緑中央リトル・シニア(現:横浜青葉)に加入。チームは中学時代に全国選抜やジャイアンツカップで優勝を果たしたが、大谷は「体が小さい」という理由でそれらの試合に出場できなかった。同期に下水流昂・福田永将がいる。 兄の後を追う形で世田谷学園高に進学する。世田谷学園では遠投力がつき、体も成長し始め、2年生からレギュラーとなった。 大学は、東都大学リーグの立正大学に進学。同期に南昌輝がいた。周囲のレベルの高さに驚き、独自の練習にも取り組んだものの4年間ほとんど試合には出ることがなく、4年生の時には「脱走」も経験している。
村上 祐基(むらかみ ゆうき、1987年7月24日 - )は… 村上 祐基(むらかみ ゆうき、1987年7月24日 - )は、広島県福山市の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。 小学時代に福山市立幕山小学校の「幕山少年野球クラブ」で野球を始める。 中学時代は福山市の軟式野球チーム「東朋ライオンズ」に所属していた。 如水館高校時代の3年時には第77回選抜高校野球大会に9番セカンドとして学校史上初となる出場を果たし、初戦で東筑紫学園高校に5対4で勝利したが、2回戦となる羽黒高校戦では2対8と打ちこまれ敗れた。 高校卒業後は立正大学に進学し、大学4年時には第40回明治神宮野球大会優勝。 立正大学卒業後は四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団した。
赤堀 大智(あかほり だいち、1987年4月13日 - )は… 赤堀 大智(あかほり だいち、1987年4月13日 - )は、静岡県掛川市出身の元プロ野球選手(外野手)。
小石 博孝(こいし ひろたか、1987年4月13日 - )は… 小石 博孝(こいし ひろたか、1987年4月13日 - )は、大分県速見郡日出町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
大谷 尚徳(おおたに ひさのり、1986年1月2日 - )は… 大谷 尚徳(おおたに ひさのり、1986年1月2日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は柔道整復師、パーソナルトレーナー。 元徳島インディゴソックスの大谷真徳は実弟。 つつじが丘小学校時代から、緑中央リトル(現:横浜青葉シニア)に入りマイナー・リトル・シニアと中心選手として活躍する。 世田谷学園高進学後、1年よりクリーンアップを打つ。2年秋には、東京都大会準優勝ながら選抜大会を逃す。後に同僚になる清水貴之は、1学年先輩である。 立正大学に進学、1年生よりベンチ入り守備はライトを守った。同期には田中慎太朗(元:阪神タイガース・育成選手)がいる。 その後、2008年、社会人野球のフェデックスに進む。
西谷 尚徳(にしたに ひさのり、1982年5月6日 - )は… 西谷 尚徳(にしたに ひさのり、1982年5月6日 - )は、埼玉県久喜市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は立正大学法学部特任専任講師。
林 稔幸(はやし としゆき、1979年12月21日 - )は… 林 稔幸(はやし としゆき、1979年12月21日 - )は、茨城県出身の元社会人野球選手(外野手)。右投右打。 土浦日大高校から東都大学野球リーグの立正大学に進学したが、甲子園や大学選手権への出場経験はない。大学時代は、当時チームは東都の二部に低迷していたが、4年春に二部でシーズン9本塁打を記録し注目された。 大学卒業後の2002年に社会人野球の富士重工業に入部。持ち味である長打力を買われ、1年目から主軸を任された。翌2003年の第74回都市対抗野球大会では予選から打棒が爆発し、本大会でもチームを8強まで導いた。また2005年の第76回都市対抗野球大会では住友金属鹿島の補強選手として、これまたチームを8強に導く活躍を見せた。
金剛 弘樹(こんごう ひろき、1979年2月12日 - )は… 金剛 弘樹(こんごう ひろき、1979年2月12日 - )は、埼玉県入間市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。現在は立正大学硬式野球部で監督を務めている。 帝京高では、1995年夏の第77回全国高等学校野球選手権大会優勝も含めて3度出場。ただし控え投手のため試合出場は2試合で、途中から外野守備に就いたのみで登板機会はなかった。 立正大学に進学し、東都大学野球に加盟する同校野球部に入部すると150km/hをマークして一躍スカウトから注目されたが、2年生の時に右肘を故障して手術するなど戦列を離れると以降は救援に回ってプロ入りの機会を逃す。大学では3学年上に広田庄司がいて武田勝、吉見宏明と同期であった。
武田 勝(たけだ まさる、1978年7月10日 - )は、愛… 武田 勝(たけだ まさる、1978年7月10日 - )は、愛知県名古屋市西区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。左投左打。 現役時代はNPBの北海道日本ハムファイターズに所属した。引退後は独立リーグやファーム参加球団でコーチ・監督を歴任している。 名古屋市立上名古屋小学校4年生の時から野球部に所属。名古屋市立浄心中学校に進学後、関東第一高等学校の小倉全由監督(当時)に知られるほど軟式野球で名を馳せた。 中学3年の時に、小倉が中京高校との練習試合で名古屋へ来た際に小倉の前で投球を披露。1球だけ投げたところ、小倉から関東一高への進学を勧められた。 関東一高に進学後は、1年生の夏に控え投手として第76回全国高等学校野球選手権大会に出場。
広田 庄司(ひろた しょうじ、1975年4月3日 - )は、… 広田 庄司(ひろた しょうじ、1975年4月3日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(投手)。 海星高等学校では3年春、夏とエースとして甲子園に出場。本格派左腕投手として注目されるが、春は真木将樹擁する東筑紫学園に、夏は平井正史がエースの宇和島東に初戦で敗れる。東都大学野球リーグの立正大学へ進学、入学時は西口文也が4年生エースだったが、春からリーグ戦に登板。秋から2部降格も最優秀選手、最優秀投手となる活躍で西口との両輪で翌春の1部復帰を決める。東都大学1部リーグ通算53試合登板、15勝27敗、防御率3.41、262奪三振。2部リーグ通算7試合、6勝0敗、防御率1.45。 プロも注目していたが日本通運へ進み、木村一喜とのバッテリーで1年目のスポニチ大会で優勝に貢献、日本選手権では大会タイ記録の6者連続三振。
坂田 精二郎(さかた せいじろう、1974年7月30日 - … 坂田 精二郎(さかた せいじろう、1974年7月30日 - )は、大阪府吹田市出身の元社会人野球選手(捕手)、学生野球指導者。右投左打。 大阪府の豊中シニアを経て、島根県の淞南学園高等学校に進学。三年間甲子園に出ることはなかったが、3年次は主将を務めた。 卒業後は立正大学に進学し、野球部では3年春から卒業まで東都大学野球1部リーグで活躍。1部リーグ通算32試合に出場、82打数23安打、打率.280、3本塁打、14打点の記録を残し、社会人の強豪シダックスに入社。以来野球部の正捕手として10年間プレー、都市対抗野球大会には8回(自チーム6回、補強選手2回)出場し、若獅子賞を受賞した。1999年の第26回社会人野球日本選手権大会でシダックスの初制覇にも貢献している。
西口 文也(にしぐち ふみや、1972年9月26日 - )は… 西口 文也(にしぐち ふみや、1972年9月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。現役時代21年間全て西武に所属したフランチャイズ・プレイヤー。
篠宮 愼一(しのみや しんいち、 1958年12月7日 - … 篠宮 愼一(しのみや しんいち、 1958年12月7日 - )は、東京都出身の元プロ野球審判員。 東京都立東大和高校卒業、立正大学入学後、中野郵便局勤務のかたわら東京都高野連公認審判を経て在学中に首都大学野球連盟公認審判員となり、1982年からセントラル・リーグ審判員となる。審判員袖番号は15。1997年に持病の腰痛が悪化してプロ野球審判業を引退。通算出場試合数は447試合。引退後は「プロ野球OBクラブ会審判技術委員」「調布市少年野球連盟審判部長」「エバーグリーン審判協会技術指導副部長」などを務める。 この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。