葛西 映子(かさい えいこ、1970年4月22日 - )は、… 葛西 映子(かさい えいこ、1970年4月22日 - )は、日本の漫画家。 千葉県で生まれ、中学時代から宮城県仙台市で育つ。和光大学人文学部芸術学科卒業。2004年、『しんぶん赤旗日曜版』連載『ドボン&ウズ・メメス』でデビュー。 2006年8月20日付け『しんぶん赤旗』の「本と人と」のコーナーでの本人談によれば、過去あまり作品は描かずに漫画家のアシスタントや広告のカット描きをしていた。 出産後に、大学時代の友人の紹介がきっかけで、『しんぶん赤旗』日曜版連載漫画に猫漫画の案を持ち込む。「猫好き編集長の英断 (?) 」により採用が決定し、2004年11月から『ドボン&ウズ・メメス』の連載が開始され、デビューとなった。
田代 哲也(たしろ てつや、1969年7月7日 - )は、日… 田代 哲也(たしろ てつや、1969年7月7日 - )は、日本の漫画家。JSG杯と赤塚賞受賞。 和光大学人文学部芸術学科卒業。高校在学中に週刊少年ジャンプのJSG杯で佳作。1990年「おたんこ駐在」で赤塚賞佳作。主に4コマ漫画や、ギャグ漫画を執筆。漫画・カットの他、現在は東放学園高等専修学校で講師も務める。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
久米田 康治(くめた こうじ、1967年〈昭和42年〉9月5… 久米田 康治(くめた こうじ、1967年〈昭和42年〉9月5日 - )は、日本の漫画家。神奈川県出身。和光大学人文学部芸術学科(現 和光大学表現学部芸術学科)卒業。 神奈川県に生まれる。 和光大学在学中、美術の教員免許を取得。漫画研究会に所属し、松本大洋と同期だったが、入れ違いの形になったという。卒業後は漫画編集者になろうと、編集プロダクション・銀杏社の入社試験を受けるが合格せず、漫画家の道を選んだ。 1990年(平成2年)、サンデーまんがカレッジに『地上げにスマッシュ!』を投稿し努力賞、また『行け!!南国アイスホッケー部』により小学館新人コミック大賞を受賞し、漫画家としてデビューする。 1991年(平成3年)より『行け!!南国アイスホッケー部』を『週刊少年サンデー』にて連載。
永福 一成(えいふく いっせい、1965年1月1日 - )は… 永福 一成(えいふく いっせい、1965年1月1日 - )は、日本の漫画家、僧侶。東京都出身。 代表作に『チャイルド★プラネット』など。 和光大学人文学部芸術学科卒業、東京仏教学院修了。大学時代は漫画研究会に所属しており、卒業後に後輩であった松本大洋の『STRAIGHT』でアシスタントを務める。 1991年、第24回ちばてつや賞優秀新人賞受賞作「カラード・ブルー」でデビュー。実家は浄土真宗本願寺派永福寺。諸星大二郎のファン。『竹光侍』では初の原作を担当している。
吉田 戦車(よしだ せんしゃ、1963年8月11日 - )は… 吉田 戦車(よしだ せんしゃ、1963年8月11日 - )は、日本の漫画家。男性。岩手県水沢市(現:奥州市)出身。和光大学出身。第37回文藝春秋漫画賞受賞。妻は漫画家の伊藤理佐(お互いに再婚)。サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムの通訳を務めた千田善は従兄。 雑誌、新聞、WEBサイト等で漫画、エッセイ、挿絵、企業のキャラクターデザイン等を手がける。一時は不条理ギャグマンガの代表的な存在とされたが、その興味の中心は、人間以外の動植物、宇宙生物、さらには非生物までが意志や言葉を持つ、童話的ともナンセンスともいえる世界にある。動物やラーメンが突然喋りだしたりする現象は、『学活!!つやつや担任』では、皆が勝手に原因を決めつける繰り返しギャグとして、『おかゆネコ』では原因不明の奇病「しゃべり病」の一言で片づけられてしまっている。
近石 まさし(ちかいし まさし、1961年)は、日本の漫画家… 近石 まさし(ちかいし まさし、1961年)は、日本の漫画家。愛媛県松山市出身、和光大学経済学部卒。主に成年向け漫画を描いているが、以前は近石 雅史(読みは同じ)名義で一般向け漫画を描いていた。 大学在学中は漫研に所属。卒業間近の1984年4月に『少年ビッグコミック増刊号』(小学館)にて読み切り『ビッグマン』でデビュー。 基本的に清純派、熟女、総じて巨乳、まれに爆乳物。母子相姦、姉弟相姦などの近親相姦、レイプ、集団レイプ、SM、乱交物を描く。基本的には男女間に恋愛感情は無く、女性は有名芸能人がモデルとなっている。他の成年向け漫画家の作品に対して線が太く、濃い人物を描いた作品が多い。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。
香川 まさひと(かがわ まさひと、1960年5月12日 - … 香川 まさひと(かがわ まさひと、1960年5月12日 - )は、日本の脚本家、漫画原作者。神奈川県横浜市出身。 神奈川県立厚木高等学校に在学中、同級生の木原実、八巻和弘、加藤秀和と8ミリ映画を制作。和光大学人文学部人間関係学科では漫画研究会に所属。同学年の部員に、岩明均、篠原烏童、近石まさしらがいた。1983年にぴあフィルムフェスティバルで『青春』が大森一樹賞、1984年に『バスクリンナイト』が大島渚賞をそれぞれ受賞。東京都町田市の古書店高原書店に勤務。 1988年にCBS・ソニーレコード(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)サウンドギャグコンテストで「これはなんですか」が伊武雅刀賞を受賞。
岡田 惠和(おかだ よしかず、1959年2月11日 - )は… 岡田 惠和(おかだ よしかず、1959年2月11日 - )は、日本の脚本家、漫画原作者。東京都三鷹市出身。岡田恵和とも表記される。 所属事務所はU.F.O.カンパニー(2016年暮れに参加)。 和光高等学校卒業。和光大学人文学部文学科中退。企画会社勤務後、フリーライターとなる。音楽評論家・FMのDJを経て、1990年に脚本家としてデビューした。 シナリオ修業は、東京・青山のシナリオ・センターで行った。同校卒業生としては内館牧子と並ぶ出世頭の一人である[独自研究?]。 2014年には自身による初戯曲『スタンド・バイ・ユー〜家庭内再婚〜』を執筆。2015年1月よりシアタークリエで上演。Webドラマ「さよならのつづき」は2023年9月時点で製作を発表した。
ぬまじり よしみ(1958年〈昭和33年〉4月11日 - )… ぬまじり よしみ(1958年〈昭和33年〉4月11日 - )は、日本の漫画家。神奈川県川崎市出身。女性。牡羊座、血液型はA型。社団法人日本漫画家協会会員。 出生地は東京都渋谷区広尾。 1977年、和光大学人文学部人間関係学科(現・現代人間学部)に入学し、同校の漫研に入る(1981年卒業)。大学在学中3年時の1980年〈昭和55年〉、白泉社の第48回HMCトップ賞を受賞し、同年3月、『別冊花とゆめ 1980年春の号』に受賞作である「拾う神あり」が掲載され漫画家としてデビューした。上述デビュー作も収録し、8頁前後の読切り連作式のシリーズ化のち初単行本となった『ひがみちゃん♡Jam 1巻』等の作中に飲酒場面がよく登場する為、インタビューで酒に強い方かと尋ねられると「強くはないんですけど、飲むのが好きだから。
野部 利雄(のべ としお、1957年1月18日 - )は、日… 野部 利雄(のべ としお、1957年1月18日 - )は、日本の漫画家。栃木県宇都宮市出身。和光大学卒。 1979年、第18回手塚賞佳作受賞(『花と嵐がいく』)。同期受賞者に北条司、藤原カムイ。 ラブコメ、ファンタジー、美少女SF、ボクシング漫画等の長編を好んで執筆する。読者の期待を裏切らない類型的なパターンを踏襲したストーリー展開と、昭和50年代風のペンタッチを基調とする絵柄が特徴。代表作に『わたしの沖田くん』など。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
柳沢 きみお(やなぎさわ きみお、本名:柳澤 公夫〈読み方は… 柳沢 きみお(やなぎさわ きみお、本名:柳澤 公夫〈読み方は同じ〉、1948年9月26日 - )は、日本の漫画家。新潟県五泉市出身。代表作に『翔んだカップル』『特命係長 只野仁』など。 新潟県五泉市の資産家の家庭に生まれ、小学校の低学年の頃より漫画家を目指す。新潟県立村松高等学校卒業、和光大学人文学部芸術学科を中退。1970年に「週刊少年ジャンプ」第51号(12月14日号)掲載『ズンバラビン』でデビュー。とりいかずよしのアシスタントを務めたのち、1972年、『負けるな紀三郎』で第4回手塚賞佳作を受賞(「週刊少年ジャンプ」1973年第1号(1月1日号)掲載、ここまで柳沢公夫名義)。 翌1973年より1975年まで「週刊少年ジャンプ」で『女だらけ』を、1975年12月より1976年4月まで『温泉ボーイ』を連載。
吉永 龍太(よしなが りゅうた)は、日本の漫画家。 この項目… 吉永 龍太(よしなが りゅうた)は、日本の漫画家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ:漫画家)。
おぎぬまX(おぎぬまエックス)は、日本の漫画家、小説家。男性… おぎぬまX(おぎぬまエックス)は、日本の漫画家、小説家。男性。東京都町田市出身。血液型はAB型。和光大学表現学部卒。元お笑い芸人。好きなものはパン、雨。嫌いなものは豆、虫。特技は一発ギャグ、妄想。 中学生の時に読んだ漫画『キン肉マン』に感銘を受け、自らも漫画家になる夢を抱く。高校三年生の時に渾身の漫画作品を出版社へ持ち込むが酷評を受ける。その後も4年余り、幾たびも持ち込みを試みるが結果に繋がらなかった。大学在学中に友人からお笑いの道に誘われ、芸人活動を始める。芸人として有名になったのちに漫画家としてのデビューの道も拓けるかもしれないとの考えもあった。 2010年、芸人養成所スクールJCAへ19期生として入学(同期には演芸おんせん、こじま観光、じぐざぐ、タッカーノ、類家大地などがいる)。