田中 貴也(たなか たかや、1992年8月27日 - )は、… 田中 貴也(たなか たかや、1992年8月27日 - )は、京都府南丹市出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 京都・南丹市立園部中学校時代に甲子園での大嶺祐太らの活躍に触発され、伊志嶺吉盛監督の指導を受けるため沖縄県石垣市の八重山商工に進学。初めての寮生活や伊志嶺の厳しい指導で「もう毎日辞めたかったです」と当時を振り返っている。2年時は1学年先輩の大嶺翔太とバッテリーを組み夏の県大会では唯一2年でベンチ入りしたが、エンドランで空振りするなど自身のミスもあり準決勝で興南に4-5で敗退。監督から全部員と父兄がいる中で「おまえのせいで負けたんだ。おまえのせいで3年の高校野球が終わったんだ」と厳しく叱責され、それを見ていた母が自ら寮母となり京都から石垣島へ移り住むことを決意。
高梨 裕稔(たかなし ひろとし、1991年6月5日 - )は… 高梨 裕稔(たかなし ひろとし、1991年6月5日 - )は、千葉県茂原市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 野球を始めたのは小学2年生の時。内野手だった中学生時代には、公式戦で安打を1本しか放てなかった影響で、下級生にレギュラーの座を奪われかけた時期があった。 千葉県立土気高等学校への進学直後には、友人からの誘いでサッカーへの挑戦を考えたものの、結局野球部へ入部。1年時の夏までは三塁手だったが、監督の勧めで、1年時の秋から投手へ転向した。投手転向の直後は122km/hだったストレートの最高球速が、3年時には142km/hを計測。甲子園出場はできなかったが、3年夏に自身の投球を見た高橋一三からの誘いで、当時高橋が硬式野球部の監督を務めていた山梨学院大学へ進学した。
雨宮 敬(あめみや たかし、1987年7月6日 - )は、山… 雨宮 敬(あめみや たかし、1987年7月6日 - )は、山梨県東八代郡石和町(現:笛吹市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 山梨学院大附高時代は、1年時の秋からエースとなる。3年時の夏は、山梨県予選決勝で日本航空高に3-13で敗れ準優勝。甲子園出場は果たせなかった。 高校卒業後は、関甲新学生野球連盟に加盟する山梨学院大学に進学。1年時の春からリーグ戦に登板。3年時の春、作新学院大学戦でノーヒットノーランを達成。4年時は、同年から監督に就任した元プロ野球選手の高橋一三の元でプレーした。プロ志望届を提出したが、指名漏れとなった。 大学卒業後は、独立リーグであるBCリーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。
川口 隼人(かわぐち はやと、1985年8月7日 - )は、… 川口 隼人(かわぐち はやと、1985年8月7日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(外野手)。 神奈川県相模原市出身。双子の兄である川口寛人と、大月短大附高、山梨学院大学で二遊間を組んだ。 大学卒業後、隼人はOBC高島へ、寛人は西多摩倶楽部へそれぞれ入団した。2009年末にOBC高島で起きた騒動により滋賀・高島ベースボールクラブに移籍。同チームでは主に1番打者として活躍し、チーム初の都市対抗野球2次予選出場に貢献した。 2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから育成3位指名を受けた。また、寛人も読売ジャイアンツから育成7位指名を受けたため、双子のプロ野球選手が誕生した。
川口 寛人(かわぐち ひろと、1985年8月7日 - )は、… 川口 寛人(かわぐち ひろと、1985年8月7日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 2011年の現役引退後は、道とん堀が運営する「アスリートセカンドキャリアサポート」(ASS)を立ち上げる。現在は、日本リアライズ株式会社のPSS(プロフェッショナル・セカンドキャリア・サポート)事業部に所属。元プロ野球選手のセカンドキャリアをサポート活動を行っている。 なお、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属していた川口隼人は双子の弟。 大月短大附高・山梨学院大学時代は二塁手。遊撃手である実弟の隼人とともに二遊間を守った。 大学卒業後にクラブチームの西多摩倶楽部へ加わると、肩の強さを買われて遊撃手へ転向。
伊藤 彰(いとう あきら、1978年12月21日 - )は、… 伊藤 彰(いとう あきら、1978年12月21日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、野球指導者。1997年から1999年の登録名は「アキラ」背番号は11番。ドラフト一位指名。高校で世代ナンバーワンと言われた本格派左腕。 元山梨学院大学硬式野球部コーチ。 調布リトルシニアから山梨学院大付高へ進学、1年生だった1994年秋は県大会優勝で関東大会初戦で先発したが敗れた。2年生だった1995年に夏の甲子園で注目され、3年生だった1996年にも夏の甲子園に出場した。同年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから1位指名を受けて入団。同期には岩村明憲らがいた。当初は近鉄バファローズも獲得の意思を表明していたが「左肩に不安がある」という理由からメディカルチェックを要望。
木村 一喜(きむら かずよし、1977年10月5日 - )は… 木村 一喜(きむら かずよし、1977年10月5日 - )は、日本の元プロ野球選手(捕手)。2008年の登録名は「木村 考壱朗(きむら こういちろう)」。現在は飲食店経営者として活動している。 山梨県北巨摩郡小淵沢町(現:山梨県北杜市)出身。小学校4年生の時に捕手として野球を始める。それ以来、捕手一筋でやってきた。小学校と中学校では最高学年で主将を務めた。 高校は帝京第三高等学校に進学。1年の秋に4番・捕手になり、2年春は県大会優勝で関東大会でも準優勝。2年の秋から3年の夏までは主将を務めたが、3年春の県大会は優勝したが夏は山梨大会の決勝戦で2年生エースの伊藤彰を擁する山梨学院大学付属高に敗れた。