張本 優大(はりもと まさひろ、1990年10月13日 - … 張本 優大(はりもと まさひろ、1990年10月13日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 豊中市立第十中学校時代は豊中リトルシニアに所属した。 菊華高等学校(愛知県)では2年秋の秋季愛知県大会で 、捕手として全試合に出場したが準決勝で東邦高等学校に敗れた。3年夏の甲子園予選は3回戦で本塁打を放ったが、岡崎商業に敗れた。 佛教大学では1年春から京滋リーグ戦に出場し、2011年・2年春には一塁手としてベストナインを獲得した。関西地区大学選手権では4試合を2点に抑える配球でチームの関西代表選出に貢献した。第42回明治神宮野球大会では5番・捕手として出場したが1回戦で愛知学院大学に完封負けした。
大野 雄大(おおの ゆうだい、1988年9月26日 - )は… 大野 雄大(おおの ゆうだい、1988年9月26日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
河野 秀数(かわの ひでかず、1987年12月14日 - )… 河野 秀数(かわの ひでかず、1987年12月14日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 山城高時代、3年時の夏は京都府予選4回戦で京都成章高に1-6で敗れた。甲子園出場経験はなし。 佛教大学社会学部現代社会学科に進学すると、京滋大学野球連盟に加盟している硬式野球部に入部する。4年時に第40回明治神宮野球大会に出場し、準決勝の立正大学戦で登板している。1学年後輩に大野雄大がいる。 大学卒業後、社会人野球の新日本製鐵広畑に入団。1年目から公式戦に登板。第81回都市対抗野球大会では、1回戦のJFE東日本戦で救援登板し1回を無失点に抑えるが、チームは1-3で敗退した。第37回社会人野球日本選手権大会でも、1回戦の明治安田生命戦で救援登板している。
西川 明(にしかわ あきら、1984年4月2日 - )は、三… 西川 明(にしかわ あきら、1984年4月2日 - )は、三重県多気郡明和町出身の元プロ野球選手(内野手)、指導者。 三重高校では、1年春からレギュラーに抜擢され、定着。1年秋にはクリーンナップに座る。またチーム事情から投手にも挑戦し、3年時には「エースで4番」として活躍(1学年上には同じく清水昭信がいた。清水が1浪したため2人揃ってのプロ入りとなった)。 法政大学では、1年時から東京六大学野球リーグ戦に出場し、クリーンナップ(3年時は主に3番、4年時には4番)を打ち、三遊間を組む大引啓次らとともに2005年秋・2006年春の法大の2連覇に貢献した。リーグ通算87試合出場、267打数73安打、打率.273、6本塁打、31打点。
多田 晃(ただ あきら、1978年5月20日 - )は、大阪… 多田 晃(ただ あきら、1978年5月20日 - )は、大阪府出身の高校野球指導者、社会科・情報科教諭。 学生時代は履正社高校で、岡田龍生監督(現:東洋大姫路監督)の下、捕手としてプレーし、主将も務めた。高校卒業後の1997年からは東芝の工場で冷蔵庫をつくりながら、同社の軟式チームでプレーした。仕事と軟式野球の合間を縫って、高校卒業後も履正社の練習に顔を出していた。 工場勤務の傍らで佛教大学の通信教育課程を卒業し、教員免許を取得。桜宮高校での非常勤講師を経て、2007年より母校・履正社の教員となる。 履正社の硬式野球部では、2006年からコーチ、2021年から部長を歴任。2022年3月の岡田の監督退任に伴い、4月より監督に就任した。
丸尾 英司(まるお えいじ、1972年4月26日 - )は、… 丸尾 英司(まるお えいじ、1972年4月26日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)。2008年から2015年まで社会人野球のパナソニック野球部にてヘッドコーチを務めていた。 網干中学では完全試合を記録するなど活躍し、東洋大姫路から勧誘を受けたが、のびのびした環境を求めて地元の姫路南高校に進学した。高校では1年夏からエースとなり、2年および3年の夏に兵庫大会で5回戦まで進出している。 高校卒業後は佛教大学に進学。京滋大学リーグで通算30試合に登板し25勝1敗。最優秀選手3回、最優秀投手2回、ベストナイン4回受賞。4年春にかけて18連勝のリーグ記録を樹立する。1992年秋季の京都学園大戦でノーヒットノーランを達成する。
山本 巧(やまもと たくみ、1972年〈昭和47年〉 - )… 山本 巧(やまもと たくみ、1972年〈昭和47年〉 - )は、日本の教育者、高校野球指導者。兵庫県立社高等学校硬式野球部監督、地歴科教諭。兵庫県多可町出身。 高校時代は社高校で、一塁手としてプレー。卒業後は民間会社勤務や学校職員などを経て佛教大で教員免許を取得した。 教員免許取得後は、西脇工業高校、小野高校の硬式野球部で監督を務め、小野では2008年夏の西兵庫大会で8強入りを果たした。 2014年春には社高校に赴任し、硬式野球部副部長に就き、同年夏からは橋本智稔前監督が顧問となり、監督に就任した。両氏は小野高校でも共に教職員として働いていた時期があり、旧知の仲である。 2021年、秋季兵庫県大会で、就任後初の県大会優勝・近畿大会出場(学校としては2003年以来18年ぶり)を果たした。