呉 徳俊(吳德俊、オ・ドクチュン、오덕준)は大韓民国の軍人。 1921年、慶尚南道金海に生まれる。1943年、関西大学法科卒業。学徒出陣して福知山陸軍予備士官学校(福知山中部軍教育隊)卒業。広島県の中国軍管区歩兵第5補充隊(第48部隊)に勤務し、ここで原爆にあって顔半分を被曝し皮膚の色が違っていた。終戦時、日本軍少尉。韓国に帰国後は朝鮮建国準備委員会慶南支部軍事顧問。 1946年2月28日付で、軍事英語学校卒業の扱いで任少尉(軍番10059番)、第5連隊(釜山)付。同年3月、第5連隊B中隊(中隊長:李致業少尉)副官。1947年、第5連隊作戦主任(大尉)。1947年12月1日、第3旅団人事参謀(少領)。
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