瀧口 友里奈(たきぐち ゆりな、1987年8月1日 - )は… 瀧口 友里奈(たきぐち ゆりな、1987年8月1日 - )は、ビジネスジャーナリスト、経済キャスター、セント・フォース所属。SBI新生銀行社外取締役。テラスカイ社外取締役。エイベックス社外取締役。東京大学工学部アドバイザリーボード。東京大学文学部行動文化学科卒業。東京大学公共政策大学院在学中。三極委員会日本代表。世界経済フォーラム・ヤンググローバルリーダーズ(YGL)日本代表(日本人のキャスターとして史上初選出)「イノベーションやテクノロジーの社会実装」を主軸のテーマとして、政治学・法学・経済学の分野を包括的に研究中。ビジネスカンファレンスのモデレーターを多数務め、経営者らに「難しいテーマだいたい司会してる人」と称される。
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高安 健将(たかやす けんすけ、1971年 - )は、日本の… 高安 健将(たかやす けんすけ、1971年 - )は、日本の政治学者、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。成蹊大学法学部名誉教授。日本政治学会理事長。専門は比較政治学、政治過程論。 東京都出身。1994年早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科を経て、2003年ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにおいて博士号取得 (Ph.D. in Political Science: University of London)。北海道大学大学院法学研究科リサーチ・フェロー、北海学園大学法学部非常勤講師、北海道大学大学院法学研究科講師を経て、2006年より成蹊大学助教授、2007年同准教授、2010年同教授、2023年より早稲田大学教育・総合科学学術院教授。
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上淵 寿(うえぶち ひさし、1965年 - )は、日本の心理… 上淵 寿(うえぶち ひさし、1965年 - )は、日本の心理学者、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。専門は教育心理学、発達心理学。 早稲田大学教育学部教育学科教育心理学専修、東京学芸大学大学院教育学研究科修士課程学校教育専攻、東京大学大学院教育学研究科修士課程教育心理学専攻、東京大学大学院教育学研究科博士後期課程総合教育科学専攻(教育心理学コース)に所属。2006年に「達成目標が学習及び情動に及ぼす影響 : 統合的なモデルを目指して」で東京学芸大学より博士号(教育学)を授与される。 1997年より東京学芸大学教育学部心理学科での講師、助教授、同大学教育学部教育心理学講座での准教授、教授を経て、2017年より早稲田大学教育・総合科学学術院教授に着任。
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石濱 裕美子(いしはま ゆみこ、1962年6月6日 - )は… 石濱 裕美子(いしはま ゆみこ、1962年6月6日 - )は、日本のチベット学者、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。チベット仏教世界(チベット・モンゴル・満洲)の歴史と文化を研究。東京都大田区出身。 1990年早稲田大学大学院文学研究科東洋史専攻後期課程単位取得退学。早稲田大学教育学部助教授、2007年准教授、教育・総合科学学術院教授。1997年 早稲田大学文学博士。博士論文は「チベット仏教世界の歴史的研究 -菩薩王としてのチベット、モンゴル、満州王侯の事績について」。
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今井 雅之(いまい まさゆき、1961年〈昭和36年〉4月2… 今井 雅之(いまい まさゆき、1961年〈昭和36年〉4月21日 - 2015年〈平成27年〉5月28日)は、日本の自衛隊員・俳優・演出家・脚本家・タレント・エッセイスト。兵庫県城崎郡日高町生まれで現在の豊岡市出身。代表作は「自分の魂」と形容している神風特別攻撃隊が主題の『THE WINDS OF GOD』や、出身地で撮影した初監督作『SUPPINぶるうす ザ・ムービー』など。最終所属先はオスカープロモーション。 幼い頃から映画やテレビドラマが好きだった。特に千葉真一の熱狂的なファンで、『キイハンター』に影響され、友達と『キイハンター』ごっこで遊ぶ時には千葉に扮していた。 兵庫県立豊岡高等学校卒業後、俳優になろうと志すが、俳優になりたいのであれば自活するよう自衛官の父に言われ、1980年(昭和55年)4月に陸上自衛隊へ一般曹候補学生で入隊。
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園池 公毅(そのいけ きんたけ、1961年2月9日 - )は… 園池 公毅(そのいけ きんたけ、1961年2月9日 - )は、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。理学博士(東京大学、1988年)。専門は植物生理学、とくに光合成。ウェブサイト『光合成の森』などを通じて、一般向けの光合成の情報発信をする。応用物理学者・園池実覧の長男。1990年代前半には清子内親王の結婚候補者の一人に名が挙がっていた。 また、1983年7月から、宮内庁 式部職 嘱託。和歌の披講や装束の衣紋といった伝統文化の継承にも携わり、歌会始の儀の披講所役を約40年にわたって務めている。息子の園池実方は歌会始講師。 妻の日原由香子(園池由香子)は生物学者で埼玉大学大学院教授。 すべての著作は光合成の森「研究業績」で掲載されている。
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箸本 健二(はしもと けんじ、1959年 - )は、流通地理… 箸本 健二(はしもと けんじ、1959年 - )は、流通地理学、経済地理学、都市地理学をキーワードとして人文地理学を専門とする日本の地理学者、早稲田大学教育・総合科学学術院教授(社会科地理歴史専修所属)、教育学部長。 法政大学大学院人文科学研究科修士課程を修了し、1987年7月に財団法人流通経済研究所の研究員となった後、1994年に松商学園短期大学専任講師となった。このころ、東京大学総合文化研究科に在籍し、1999年3月に博士論文「情報化にともなう流通システムの空間構造変容に関する地理学的研究」により、課程博士として博士(学術)を取得した。 1999年4月には、大阪学院大学企業情報学部専任講師となって、2002年に助教授に昇任した。
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藤井 千春(ふじい ちはる、1958年6月13日 - )は日… 藤井 千春(ふじい ちはる、1958年6月13日 - )は日本の教育学者、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。早稲田大学博士(教育学)。 千葉県市川市生まれ。同志社大学文学部文化学科哲学および倫理学専攻卒業。筑波大学大学院博士課程教育学研究科修了。大阪府立大学総合科学部助手、京都女子大学文学部専任講師、茨城大学教育学部助教授などを経て現職。 1995年、日本デューイ学会研究奨励賞受賞。2000年度トロント大学オンタリオ州立教育研究所客員教授。平成21年・平成30年版高等学校学習指導要領総合的な学習(探究)の時間解説及び指導資料作成協力者、文部科学省スーパーグローバルスクール企画評価委員、経済産業省初等中等段階における起業家教育委員会委員長などを歴任。
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小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没… 小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は中佐。福岡県出身。駆逐艦「早苗」や「如月」の艦長を務め、ウェーク島沖にて1941年12月11日に戦死した。 旧制福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)を卒業後、海軍兵学校に入校(第57期卒業)。1941年4月15日に「早苗」艦長。1941年10月1日、「如月」艦長となる。 第6水雷戦隊第30駆逐隊所属の「如月」は、1941年12月の太平洋戦争開戦劈頭、ウェーク島攻略(ウェーク島の戦い)任務に就き、第6水雷戦隊旗艦である軽巡洋艦「夕張」等とクェゼリン環礁を出撃した。12月11日、「如月」はウェーク島ピーコック岬の南で、島内のアメリカ海兵隊基地に所属するF4F戦闘機の機銃掃射を受けて爆沈し、その際に小川は戦死した。
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家島 彦一(やじま ひこいち、1939年10月 - )は、日… 家島 彦一(やじま ひこいち、1939年10月 - )は、日本の歴史学者、東京外国語大学名誉教授、元早稲田大学教育・総合科学学術院(教育学部社会科地理歴史専修)特任教授。専門は歴史学、イスラーム商業史。 1939年、東京生まれ。1962年慶應義塾大学文学部史学科を卒業。1966年、同大学院博士課程中退。在学中は、前嶋信次に師事した。1974年「イエメン・ラスール朝史に関する新写本の校訂とその史料価値の分析」を提出して文学博士。 1966年より東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所アラビア部門助手。1975年助教授、1987年教授、1998年より宇都宮大学国際学部併任教授。2002年に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所を定年退官、東京外国語大学名誉教授、早稲田大学教育学研究科特任教授。
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荒木 幸雄(あらき ゆきお、1928年〈昭和3年〉3月10日… 荒木 幸雄(あらき ゆきお、1928年〈昭和3年〉3月10日 - 1945年〈昭和20年〉5月27日)は、群馬県桐生市出身の大日本帝国陸軍軍人、操縦士、陸軍特別攻撃隊第72振武隊員。 「子犬を抱いた少年兵」(右図)の写真で知られる。 1928年(昭和3年)3月10日、桐生市宮前町で菓子屋を営む荒木丑次・ツマの次男として生まれる。 1940年(昭和15年)3月、桐生市西小学校を卒業。翌年、太平洋戦争(大東亜戦争)が始まる。 1943年(昭和18年)3月5日、海軍飛行予科練習生(予科練)試験に合格するも、その後の入隊時の身体検査で不合格となった。そのため体を鍛えて同年8月に陸軍少年飛行兵(15期乙)試験を受けて合格。
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渡部 敬太郎(わたなべ けいたろう、1927年〈昭和2年〉1… 渡部 敬太郎(わたなべ けいたろう、1927年〈昭和2年〉1月15日 - 1997年〈平成9年〉11月26日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官である。陸軍予科士官学校卒業(第60期)。第18代陸上幕僚長、第15代統合幕僚会議議長。息子渡部直己は文芸評論家で、元・早稲田大学文学学術院教授。陸海空自衛隊を通じ初の昭和生まれの幕僚長。 福島県相馬中学から仙台陸軍幼年学校を経て陸軍予科士官学校を卒業、陸軍士官学校本科(第60期)に入校直後に終戦を迎える。1950年(昭和25年)、警察予備隊に2等警査(2等陸士)として入隊する。その後は在ソビエト日本大使館付防衛駐在官、第2普通科連隊長、陸幕人事部長、第10師団長と、陸上自衛隊の成長とともに歩んでいった。
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秋草 鶴次(あきくさ つるじ、昭和2年(1927年) - 平… 秋草 鶴次(あきくさ つるじ、昭和2年(1927年) - 平成30年(2018年)3月30日)は、元大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍一等兵曹(通信兵)。 全国各地で自身の戦争体験を伝える講演活動を行っている。 2018年3月30日午前0時7分、老衰のため栃木県足利市の病院で死去。90歳没。
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吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 20… 吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 2003年3月24日)は、日本の元軍人、政治家。海兵74期。最終階級は少尉。戦後、衆議院議員(通算7期)、参議院議員(連続2期)。奈良県磯城郡田原本町出身。位階は従三位。
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村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月2… 村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月20日 - 1986年(昭和61年)11月15日)は日本の教育者、日本海軍軍人。 一般的には村上雄蔵と表記。父秋太郎、母繁子の長男として兵庫県神戸市に出生。幼少より困窮に苦しむ。神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)夜間部に通う傍ら、神戸川崎造船所(後の川崎重工業神戸造船所、現在の川崎重工業船舶海洋ディビジョン神戸工場)に勤務。 1944年(昭和19年)、帝国海軍飛行予科練習生(甲飛15期)、三重海軍航空隊から浦戸海軍航空隊(高知)に移り終戦(終戦時2等飛行兵曹)。戦後は神戸に戻り、GHQからの払い下げ品を闇市で販売して生計を立てる。この時実践的な英会話を身に付ける。
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笠井 智一(かさい ともかず、1926年(大正15年)3月8… 笠井 智一(かさい ともかず、1926年(大正15年)3月8日 - 2021年(令和3年)1月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍上等飛行兵曹。第二次世界大戦(大東亜戦争)における戦闘機パイロット。共同撃墜10機を記録。 1926年(大正15年)3月8日、兵庫県多紀郡篠山町(現・丹波篠山市)の農家に男3人女2人の兄弟の末っ子として生まれた。体は大きく運動神経も良かったが、乗り物に弱くバス酔いする体質であった。鳳鳴中学2年の時、母校の先輩であり渡洋爆撃で知られていた小谷雄二大尉の帰郷講演を聞いて感動し海軍航空隊を志す。中学4年の時、甲種予科練に合格する。同期生に神風特別攻撃隊「敷島隊」隊員となった谷暢夫がいる。
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楊 燦宇(ヤン・チャヌ、朝鮮語: 양찬우、1926年1月25… 楊 燦宇(ヤン・チャヌ、朝鮮語: 양찬우、1926年1月25日 - 2011年2月14日)は、 大韓民国の陸軍軍人、政治家。元慶尚南道知事、第29代内務部長官。第7・8・9・10代韓国国会議員。本貫は清州楊氏。号は東人(トンイン、동인)。 日本統治時代の釜山府(現・釜山広域市釜山鎮区)に生まれた。志願兵として日本軍に入隊。終戦直後、満州国軍出身者によって組織された新京保安司令部に所属。 陸軍士官学校第3期、アメリカ合衆国陸軍歩兵学校、陸軍大学、慶熙大学校政治外交学科を経て同校経営大学院卒業。早稲田大学大学院国際政治学科修了。 将校に任官(軍番10385番)後、陸軍歩兵第3連隊中隊長・大隊長、第11師団第20連隊長、第15師団副師団長を経て、1955年に陸軍准将、1956年に陸軍教育総本部作戦教育処処長、1959年4月に第32師団長、同年8月に陸軍少将、12月に第21師団長、東南アジア地域軍事使節を歴任した。
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栗田 裕夫(くりた ひろお、1926年1月7日 - 2016… 栗田 裕夫(くりた ひろお、1926年1月7日 - 2016年7月19日)は、日本の自衛隊員、実業家。位階は従四位。 陸上自衛隊第11師団長・陸将や、セブン-イレブン・ジャパン社長を務めた。 1943年、旧制上田中学校(現長野県上田高等学校)卒業。1945年、陸軍士官学校卒業。日本の降伏後、陸上自衛隊に入隊。1979年、陸上自衛隊第11師団長。1981年にセブン-イレブン・ジャパン入社。1992年には鈴木敏文の後任としてセブン-イレブン・ジャパン社長に就任した。1995年の阪神・淡路大震災ではヘリコプターを使って弁当を空輸し、「ライフライン」で第12回新語・流行語大賞トップテンに入賞した。1997年、健康上の理由で退任。
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出村 龍聖(でむら りゅうせい、1926年 - 1989年)… 出村 龍聖(でむら りゅうせい、1926年 - 1989年)は、八大龍王神八江聖団の創始者、教祖・元海軍軍人。本名は出村 勝雄。北海道檜山郡江差町出身。 漁業を営む父母の元に長子として出生。幼少の砌より信仰心が殊の外厚く、地元の賢光稲荷や福幸稲荷の社の掃除を地元の高等小学校の登校前に率先して行い日課にしたという。10歳の時に霊夢をみて、以来霊感による予言を始める。その後、横須賀市の海軍航空技術廠付属工業学校を卒業し、海軍工作科予備補習生を経て、第1海兵団に入団。1943年千歳海軍航空隊に配属され、北千島や横須賀第1海兵団などに転属。空母「信濃」に従事し、戦闘機設計にも携わった。終戦後、復員し、混乱した世相の中、滝修行や断食など生命を賭した荒修行を重ね、その荒修行の中で、八大龍王神が龍聖の体に降臨したという。
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中嶋 豊蔵(なかじま とよぞう、1926年 - 1945年6… 中嶋 豊蔵(なかじま とよぞう、1926年 - 1945年6月3日)は、大日本帝国陸軍軍人。1945年6月3日に第48振武隊隊員として、沖縄方面にて特攻戦死、享年19歳。 愛知県豊橋市の農家に生まれる。家が貧しかったことから、15歳の時に両親の承諾を経て、陸軍少年飛行兵を受験し、これに合格。少年飛行兵第12期生として大刀洗飛行学校に入校。入校間の給与は、その殆どを故郷の両親に宛てて送金している。昭和19年10月、内地から台湾に渡る途中、同僚で親友だった松本真太治(またじ)軍曹と共に、のちに陸軍最大の特攻隊出撃地となる知覧飛行場に立ち寄り、10日間そこに滞在している。この時、中嶋軍曹たちが食事をしていた所が富屋食堂で、そこの主人が鳥浜トメだった。
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東條 敏夫(とうじょう としお、1925年(大正14年)11… 東條 敏夫(とうじょう としお、1925年(大正14年)11月9日 - 2014年(平成26年)10月30日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。陸士59期。 陸軍大将で内閣総理大臣を務めた東條英機の三男。陸軍士官学校在校中に昭和20年(1945年)の敗戦を迎えた。戦後は航空自衛隊に入り、空将補(空軍少将相当)で退官した。
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川戸 正治郎(かわと まさじろう、1925年(大正14年)9… 川戸 正治郎(かわと まさじろう、1925年(大正14年)9月19日 - 2001年(平成13年)12月17日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海軍航空隊戦闘機搭乗員。太平洋戦争(大東亜戦争)における戦闘機パイロット(撃墜数18)。丙飛12期、飛練28期。最終階級は海軍上等飛行兵曹。 1925年(大正14年)9月19日、京都府竹野郡丹後町(現・京丹後市丹後町)で農家の子として生まれた。1942年(昭和17年)5月、舞鶴海兵団入団。1942年(昭和17年)7月20日に丙種飛行予科練習生入隊、履修期間はわずか2か月で切り上げられ、9月、第28期飛行練習生となり、岩国、谷田部、徳島、出水、木更津などで訓練を受ける。
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宮川 三郎(みやがわ さぶろう、1925年6月5日 - 19… 宮川 三郎(みやがわ さぶろう、1925年6月5日 - 1945年6月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。 1925年に、新潟県北魚沼郡城川村(現・小千谷市)で農業を営む宮川松太郎・マツの8人の子供の末っ子として誕生。非常に読書好きで算術と理科が得意だったことから、教育熱心な父に薦められて新潟県立工業学校(旧制 現・新潟県立長岡工業高等学校)へ進学すると、卒業するまで首席だった。高校時代は、クラスの学級長を松崎義勝と競い合うほどで、運動神経抜群・性格温厚・成績優秀と三拍子揃った美男子の三郎は、一躍村の人気者になった。 1941年に新潟県立工業学校を卒業すると、第三設計課に在籍中で高校の先輩だった大野敬三の誘いで立川飛行機へ入社する。
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永峰 肇(ながみね はじめ、1925年4月1日 - 1944… 永峰 肇(ながみね はじめ、1925年4月1日 - 1944年10月25日)は、大日本帝国海軍軍人。 1925年4月1日に宮崎県住吉村の貧しい農家に長男として生まれる。家計が貧しかったことから学費をかけずに勉強し、地元では優秀な生徒として知られていた。1942年5月に佐世保第二海兵団へ入団し、同年8月に駆逐艦「初春」へ乗り組む。同年12月1日には三重海軍航空隊へ入隊(丙飛15期)、1943年3月27日には谷田部海軍航空隊(第31期飛行練習生)を経て、同年9月20日には徳島海軍航空隊(戦闘機専修)を終えている。1944年1月29日には築城海軍航空隊を経て、同年2月11日には南方方面へ行くよう命令を受けている。
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池田 清(いけだ きよし、1925年3月21日- 2006年… 池田 清(いけだ きよし、1925年3月21日- 2006年4月3日)は、日本の海軍軍人、政治学者。海兵73期。最終階級は海軍中尉。東北大学名誉教授。専攻は政治外交史。息子に国際政治学者の池田明史がいる。 鹿児島県日置郡日吉町(現日置市)出身。1944年(昭和19年)3月、海軍兵学校(73期)卒業。重巡洋艦「摩耶」に乗組、砲術士としてレイテ沖海戦に参加。「摩耶」が撃沈された後、戦艦「武蔵」に救助されるが、「武蔵」も撃沈され九死に一生を得た。帰還後は海軍潜水学校普通科を経て「伊四七潜」砲術長兼通信長となり、回天「多聞隊」を乗せて出撃した。 戦後は公職追放を経て、歴史学を志す。1952年(昭和27年)、東京大学法学部政治学科卒業。
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左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年… 左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年)2月11日 - 2013年(平成25年)6月30日)は、大日本帝国海軍の軍人、海上自衛官。最終階級は海軍大尉、海将。鹿児島県出身。海兵72期。 海軍中将左近允尚正の次男。多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として「島風」沈没時(多号作戦)に戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)は兄にあたる。 兄の正章と同じく旧制横須賀中(30期)から海軍兵学校へ入校。1943年(昭和18年)9月に卒業(第72期)、海軍少尉候補生。伊勢型戦艦1番艦「伊勢」乗組。乗艦実習の後、11月15日附で最上型重巡洋艦4番艦「熊野」乗組を命ぜられる。なお、兄の正章も太平洋戦争開戦時に海軍少尉として「熊野」に勤務している。
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海法 秀一(かいほう ひでいち、1925年1月23日 - 2… 海法 秀一(かいほう ひでいち、1925年1月23日 - 2004年6月22日)は、大日本帝国の陸軍軍人(戦闘機操縦者)。画家。元競輪選手(選手登録番号3065)。日本における空戦画の先駆者かつ第一人者。現在の東京都江東区深川佐賀町出身。墓標は大田区萩中の真光寺。 陸軍少年飛行兵第13期卒。教育飛行隊や加藤隼戦闘隊として有名な飛行第64戦隊附を経て、太平洋戦争(大東亜戦争)末期には、陸軍軍曹として本土防空戦に参加。その時の体験が、その後の創作活動に強く影響したと生前語っている。本土防空戦ではB-29等に対して航空機で突入する空中特攻が一時期実施されていた。2004年にNHKで放送された「アメリカ捕虜の戦争体験」という番組では、空中戦で海法に撃墜され、捕虜となったB-29乗員が戦後に再会する様が放送されている。
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勝山 淳(かつやま じゅん、1924年〈大正13年〉11月1… 勝山 淳(かつやま じゅん、1924年〈大正13年〉11月11日 - 1945年〈昭和20年〉7月24日)は、日本の海軍軍人。海兵73期。大東亜戦争(第二次世界大戦)の末期、人間魚雷「回天」で出撃し、米護衛駆逐艦「アンダーヒル」を撃沈した。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少佐。 1924年(大正13年)11月11日に茨城県那珂郡那珂町(現在の那珂市)で生まれる。色白・真面目でいつも「自分は水戸っぽだ」と周囲に言っていた。旧制水戸中学校を卒業後、海軍兵学校(73期)へ進学する。1944年(昭和19年)3月22日に海軍兵学校を卒業すると、柱島泊地から戦艦「大和」に乗艦し、訓練を続けながらシンガポールのリンガ泊地へ向かい、そこで軽巡洋艦「能代」へ乗り組んで実習を重ねる。
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前田 優(まえだ まさる 、1924年(大正13年)8月26… 前田 優(まえだ まさる 、1924年(大正13年)8月26日 - 2011年(平成23年)2月9日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。第14代海上幕僚長。 兵庫県出身。旧制加古川中学校を経て海軍兵学校に入校。太平洋戦争中は空母「鳳翔」などに乗組む。戦後は復員業務に従事したのち海上警備隊に入隊。海上自衛隊では第1術科学校長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官等の要職を歴任し、第14代海上幕僚長に就任。2年余の任期中、海自にとって永年の懸案だった補給実施要領や自衛艦乗員服務規則など各種の内規を整備して実施に移したほか、P-3C部隊の新編、シーレーン防衛議論への対応などに務めた。
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生田目 修(なまため おさむ、1924年(大正13年)8月2… 生田目 修(なまため おさむ、1924年(大正13年)8月24日 - 1999年(平成11年)6月20日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官。第16代航空幕僚長。 陸軍航空士官学校卒業後は岐阜基地で実用機の訓練中に終戦を迎える。 戦後は郷里の茨城・日立に帰り農協に勤めるが、警察予備隊の旧軍出身者第一陣として1951年(昭和26年)6月に入隊。入隊後は普通科連隊の中隊長等を務めるが、1954年(昭和29年)9月、航空自衛隊創設と同時に転官。浜松でパイロットのリフレッシュ訓練を受けるが健康上の理由で要撃管制要員へ転換。 1955年(昭和30年)に要撃管制の米国留学第1期生として米国で訓練を受ける。その後の勤務は航空幕僚監部、航空総隊等で、作戦・運用と防衛一筋のエリートコースをたどり、3次防、4次防の策定、さらに空幕防衛部長として「防衛計画の大綱」の策定に携わった。
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橋口 寛(はしぐち ひろし、1924年(大正13年)7月15… 橋口 寛(はしぐち ひろし、1924年(大正13年)7月15日 - 1945年(昭和20年)8月18日)は、日本の海軍軍人。海兵72期。太平洋戦争の末期、人間魚雷「回天」の搭乗員となるが出撃する機会を得ず、終戦後自決した。最終階級は海軍大尉。 1924年(大正13年)7月15日に鹿児島県鹿児島市上荒田町にて、橋口盛秀の長男として生まれる。荒田尋常高等小学校から旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校へ進学したが、1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が開戦すると、橋口が通っていた学校でも例外なく軍事教練が厳しさを増していった。国の存亡を決定づける大戦を感じていた成績優秀な橋口は、迷うことなく卒業後に海軍兵学校(72期)への進学を決断した。
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杉田 庄一(すぎた しょういち、1924年(大正13年)7月… 杉田 庄一(すぎた しょういち、1924年(大正13年)7月1日 - 1945年(昭和20年)4月15日)は、日本の海軍軍人。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少尉。 1924年7月1日、新潟県東頸城郡安塚村(現上越市)で大農家の次男として生れる。家が山中にあったので険しい山道を渡って麓にある学校に通い、雪の日でも休むことはなかった。そのため足腰が鍛えられ、杉田はよく「軍は厳しいとよく言うが俺の家の方がずっと厳しい」と語っていた。1940年(昭和15年)、舞鶴海兵団に入団。1941年2月、予科練丙3期に入り、戦闘機専修練習生となる。同期生には杉野計雄、谷水竹雄らがいる。 1942年(昭和17年)4月、第6航空隊に配属。
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村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12… 村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12月6日 - 2003年(平成15年)1月6日)は日本の陸軍軍人、評論家、作家。本名は宏城(ひろき)。兄は武藤電機創業者の村上稔夫。
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金 在植(キム・ジェシク、朝鮮語: 김재식、1923年11月… 金 在植(キム・ジェシク、朝鮮語: 김재식、1923年11月20日 - 2016年3月1日)は、大韓民国の政治家、陸軍軍人(陸軍大領)、実業家。元水産庁長、第16代全羅南道知事、第10代韓国国会議員。 本貫は金海金氏、号は老農(ノノン、노농)。円仏教徒。 日本統治時代の全羅南道の長城郡に生まれた。1944年に拓殖大学を卒業後、1955年に工兵基地廠長を務め、1960年に陸軍大学校を卒業した。1963年に農林部水産局長を務め、1964年に水産業協同組合中央会長、1968年に水産庁長を歴任した。1969年10月25日から1973年9月25日まで第16代全羅南道知事を務め、1972年に全南大学校行政大学院を修了し、1973年より東立産業振興公社株式会社の社長を務めた。
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川久保 輝夫(かわくぼ てるお、1923年(大正12年)9月… 川久保 輝夫(かわくぼ てるお、1923年(大正12年)9月22日 - 1945年(昭和20年)1月12日)は、日本の海軍軍人。海兵72期。大東亜戦争の末期、人間魚雷「回天」で出撃して戦死した。死後二階級特進し、最終階級は海軍少佐。 1923年(大正12年)9月22日に鹿児島県鹿児島市で、川久保二之介・静の五男として生まれる。家族は長男から、輝夫の後に生まれた六男まで全員が男兄弟だった。1943年(昭和18年)9月15日に海軍兵学校(海兵72期)を卒業すると、1944年(昭和19年)8月に海軍潜水学校普通科学生へ対する発令があり、同年9月6日に人間魚雷「回天」を創案した黒木博司大尉・仁科関夫大尉と共に第一特別基地隊大津島基地に着任、「回天」搭乗員として出撃までの時間を訓練にて過ごす。
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山田 良市(やまだ りょういち、1923年(大正12年)9月… 山田 良市(やまだ りょういち、1923年(大正12年)9月3日 - 2013年(平成25年)2月27日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。第15代航空幕僚長。海兵71期。海軍での最終階級は海軍大尉。航空自衛隊での最終階級は航空幕僚長たる空将。 1923年(大正12年)9月3日、福岡県に生まれる。戸畑中学を経て1939年(昭和14年)海軍兵学校第71期生として入校。1942年(昭和17年)11月14日、卒業、少尉候補生。戦艦「武蔵」、敷設艦「津軽」乗組を経て1943年(昭和18年)6月、少尉任官、霞ヶ浦海軍航空隊40期飛行学生に入隊。大分空・筑波空で戦闘機操縦訓練を受けた。 1944年(昭和19年)6月末「紫電」装備の341空戦闘第402飛行隊に配属。
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臼淵 磐(うすぶち いわお、1923年(大正12年)8月22… 臼淵 磐(うすぶち いわお、1923年(大正12年)8月22日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。 海兵71期。太平洋戦争末期の天一号作戦(坊ノ岬沖海戦)に参加して戦死。個人的に親交があり、同作戦に参加して生還した作家の吉田満(当時・海軍少尉)の著書『戦艦大和ノ最期』や、その列伝作品『臼淵大尉の場合――進歩への願い』で取り上げられたことによって、戦後、広く知られるようになった。 なお、吉田満『戦艦大和ノ最期』を出典として広く知られている臼淵の発言 は、吉田満の創作である(→人物/エピソード/戦艦大和出撃時の挿話〈吉田満の創作〉)。 1923年(大正12年)8月22日、臼淵清忠・海軍機関中佐の長男として東京府東京市青山(現:東京都青山)に生まれる。
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北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月1… 北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月11日 - 1981年〈昭和56年〉7月18日)は、日本の海軍軍人、政治家、宗教家。公明党所属の参議院議員(1期、1965年 - 1971年)、第4代創価学会会長。 前任会長の池田大作が執筆した小説『人間革命』の登場人物「十条潔」のモデルとなる。 神奈川県三浦郡葉山町生まれ。北条釐三郎の長男として生まれる。先祖は、後北条氏河内狭山藩初代藩主の北条氏盛(後北条氏第3代北条氏康の孫の一人)であり、その嫡流にあたる。ただし、祖父・北条氏恭が伊達政宗の子孫(伊達氏→堀田氏→狭山藩北条氏と養子入りした家系)であるため、男系の血筋上は伊達氏の末裔である。
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鈴木 敏通(すずき としみち、1923年〈大正12年〉7月5… 鈴木 敏通(すずき としみち、1923年〈大正12年〉7月5日 - 2008年〈平成20年〉3月15日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸士57期。第16代陸上幕僚長。 中学2年から仙台陸軍幼年学校に入校し陸軍士官学校へ進む。旧軍では歩兵。満州勤務の後、終戦直前は高知で陣地作りに従事した。復員し福井に帰郷後は旧制福井工専で電気を学び、エンジニアとして川崎の自動車会社に就職したが、1951年(昭和26年)12月に旧軍人組採用と同時に警察予備隊に1等警察士で入隊。以後、職種は通信科へ進むが、北部方面通信群長の他は、防衛や人事畑が主だった。 第13師団長、中部方面総監等を歴任し、第16代陸上幕僚長に就任。
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矢田 次夫(やだ つぎお 、1923年〈大正12年〉5月1日… 矢田 次夫(やだ つぎお 、1923年〈大正12年〉5月1日 - 2012年〈平成24年〉4月24日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海兵72期。第13代海上幕僚長、第13代統合幕僚会議議長。 鳥取県倉吉市出身。旧制鳥取県立倉吉中学校を経て海軍兵学校を卒業。太平洋戦争中は主として潜水艦に乗組み、終戦は太平洋上で当時世界最大の潜水艦「伊四〇一」で迎えた。横須賀に帰港した途端、他の姉妹艦2隻の乗員とともに全員捕虜となった。伊四百型潜水艦を接収するための整備補修を命じられ、終戦後にもかかわらず米軍の監視の下、約40日間収容所生活を送った。その後、復員局に召集され復員輸送に従事し、公職追放となる。 海上自衛隊に入隊後は海幕防衛部長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などの要職を経て第13代海上幕僚長に就任。
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阿南 惟晟(あなみ これあきら、1923年〈大正12年〉5月… 阿南 惟晟(あなみ これあきら、1923年〈大正12年〉5月 - 1943年〈昭和18年〉11月20日)は、日本の陸軍軍人。太平洋戦争末期の陸軍大臣、阿南惟幾の三男。 1941年東京府立第一中学校を卒業後、[要出典]陸軍士官学校に入学。同校56期卒業生。 陸軍砲兵少尉として太平洋戦争に出陣したが、1943年(昭和18年)11月20日、常徳殲滅作戦に於いて戦死。20歳没。戦死後、一階級昇進し中尉となった。墓所は多磨霊園。
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仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10… 仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10日 - 1944年(昭和19年)11月20日)は、日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐。 1923年(大正12年)4月10日に滋賀県大津市で生まれる。その後大阪府へ転居し、大阪府女子師範附属小学校を卒業後に大阪府立天王寺中学校を四年で修了し、海軍兵学校(71期)へ入学する。地理学や各訓練などに才能を如何なく発揮し、1942年(昭和17年)11月14日に優秀な成績で卒業。当時の海軍兵学校校長は井上成美海軍中将。卒業式には高松宮宣仁親王(軍令部大佐、昭和天皇弟宮)が出席した。
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小森 義峯(こもり よしみね、1923年〈大正12年〉3月1… 小森 義峯(こもり よしみね、1923年〈大正12年〉3月19日 - 2022年〈令和4年〉2月1日)は、日本の憲法学者、海軍軍人、民族派。法学博士(京都大学・論文博士・1966年)。佐賀県小城郡牛津町(現・小城市)出身。大石義雄の門下。門下生は皇學館大学名誉教授の富永健。 1942年旧制佐賀高等学校文科乙類卒業。1943年大日本帝國海軍に応召。その後、中尉に昇進。1945年9月復員。1946年京都帝国大学法学部政治学科卒業。 1947年佐賀龍谷中学校教諭。1948年4月京都府立桃山高等学校教諭。1948年12月京都師範学校附属桃山中学校教諭。 1953年3月京都大学大学院法学研究科修士課程修了(指導教授:大石義雄)。
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桃井 真(ももい まこと、1923年2月4日 - 2004年… 桃井 真(ももい まこと、1923年2月4日 - 2004年4月18日)は、日本の陸軍軍人、国際政治学者、軍事アナリスト。 翻訳家・編集者としても活躍した。女優の桃井かおりの父。位階は従四位。 神奈川県鎌倉市生まれ。長野県佐久市出身。陸軍委託学生として東京外国語学校英語科を卒業、陸軍中野学校へ送られ参謀本部第二部に属した後、陸軍予備士官学校を卒業し、任官と同時に参謀本部第二部第六課で放送傍聴に従事。 終戦後は、経歴を偽り進駐米軍属として一時勤務。のち、北日本貿易、エイジアン・エコノミックレビュー、ブリティッシュ・インポート、日本商工会議所アジア経済研究会などを経て、1954年に防衛庁防衛研修所(のち防衛研究所)に入所、ハーバード大学に派遣された。
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小高 登貫(こだか のりつら、1923年2月 - 1992年… 小高 登貫(こだか のりつら、1923年2月 - 1992年3月)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争における撃墜王。第三四三海軍航空隊に所属し、紫電改を乗機とした。 1923年2月長野県東筑摩郡島内村(現:松本市)に生まれる。1938年、島内尋常高等小学校卒業後、名古屋市千種区陸軍工廠に勤務。1941年5月、横須賀海兵団に入り、新兵として二か月間の教育を受けた。第12海軍航空隊に勤務。海軍航空兵を志願し、1942年、第10期普通科海軍操縦練習生卒業。飛行訓練を受け、戦闘機搭乗員となる。同年、第25期高等科海軍操縦練習生卒業。九六式艦戦で実用機訓練を受ける。練習生時代の射撃で一番の成績だった。富高空に配属。
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張 都暎(장 도영、チャン・ドヨン、1923年1月23日 -… 張 都暎(장 도영、チャン・ドヨン、1923年1月23日 - 2012年8月3日 )は、大韓民国の軍人・政治家。軍での最終階級は陸軍大将。原名は張道英で、創氏改名による日本名は長原道英。本貫は仁同張氏。 第14代陸軍参謀総長を務め、参謀総長在任中に発生した5・16軍事クーデターでは傍観に徹した後、クーデターを主導した朴正煕などによって擁立され国家再建最高会議議長に就任したが、短期間で失脚した。太極武功勲章授与者。 龍川郡のクリスチャンの家庭で生まれる。新義州東中学校に通い、在学中は陸上選手として活躍した。創氏改名の際、当初苗字の読みを「ながわら」としていたが、国語教師から藤原氏のようだとからかわれたため「ながはら」に変更した。
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本田 耕一(ほんだ こういち 1923年 - 1945年5月… 本田 耕一(ほんだ こういち 1923年 - 1945年5月14日)は、日本の元アマチュア野球選手、大日本帝国海軍軍人。兵庫県出身。 旧制日本大学第三中学校(現・日本大学第三中学校・高等学校)在学中に、甲子園に3回出場(春2回〔1938年、1939年〕,夏1回〔1938年〕)。当時のチームメイトに、鬼頭政一(のち名古屋,西鉄などでプレー。元太平洋監督),坂本茂(のち巨人などでプレー)がいた。卒業後は法政大学に進学。大学時代は一塁手として活躍した。 大学に在学していたが、1944年春の学徒出陣によって召集される。本田は海軍飛行科を希望し、第14期飛行専修予備学生として筑波海軍航空隊に配属され、1945年に神風特別攻撃隊に志願して特攻隊員となる。
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長島 厚(ながしま あつし、1923年 - ) は、日本の陸… 長島 厚(ながしま あつし、1923年 - ) は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。1945年8月の「占守島の戦い」の生き残り。 佐賀県武雄市出身。1938年(昭和13年)に、陸軍予科士官学校進学のため佐賀県立武雄中学校を中退する。 1938年(昭和13年)陸軍予科士官学校に入学する。1941年(昭和16年)7月、陸軍士官学校(55期)卒業後、関東軍戦車第四連隊に配属となり、第五方面軍将校として札幌に赴任するが、第九十一師団戦車第十一連隊指揮官として千島列島の占守島に着任する。 1945年(昭和20年)8月15日にソ連軍が爆撃を開始。8月18日未明にはソ連軍部隊が占守島の竹田浜に上陸し、その「占守島の戦い」に大尉として応戦することとなる。
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梨本 徳彦(なしもと のりひこ、1922年(大正11年)11… 梨本 徳彦(なしもと のりひこ、1922年(大正11年)11月19日 - 2007年(平成19年)2月7日)は、日本の海軍軍人、皇族、華族。位階は従四位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終階級は海軍大尉。お印は鳳凰。梨本家(旧梨本宮家)前当主。皇族時代は徳彦王(久邇宮家)といい、臣籍降下後に梨本伊都子(梨本宮守正王妃)の養子となるまでは龍田 徳彦という。 1922年(大正11年)11月19日午後5時15分、久邇宮家の多嘉王と静子妃の第三王子として生まれる。 京都府立京都第一中学校を経て、1942年(昭和17年)、海軍兵学校を卒業(第71期)。同期には野村実など。同年11月19日に貴族院皇族議員となる。
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小川 清(おがわ きよし、1922年(大正11年)10月23… 小川 清(おがわ きよし、1922年(大正11年)10月23日 - 1945年(昭和20年)5月11日)は、大日本帝国海軍軍人。 1922年に群馬県高崎市で生まれる。群馬県立高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)、第二早稲田高等学院を経て、1942年秋に早稲田大学政治経済学部へ進学するが、大日本帝国海軍に憧れて1943年12月10日に横須賀第二海兵団に海軍二等水兵として入団する。1944年2月1日に海軍予備学生(14期飛行専修)となり、土浦海軍航空隊に入団すると、学問や飛行訓練などで頭角を現し、同年5月25日に基礎教程を修了、同日付で谷田部海軍航空隊に配属された。谷田部航空隊でも練習機を用いて飛行訓練を行い、同年9月28日に修了、同日付で神ノ池海軍航空隊に入隊した。
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