経塚 作太郎(きょうづか さくたろう、1925年12月31日… 経塚 作太郎(きょうづか さくたろう、1925年12月31日 - 2013年2月19日)は、日本の法学者、中央大学名誉教授。専門は国際法。 新潟県出身。1945年中央大学予科修了。1948年3月中央大学法学部英法科卒業、1948年9月同大学院(旧制)中退、1948年9月中央大学日本比較法研究所助手。1953年6月中央大学法学部助教授。1962年9月中央大学法学部教授。1966年米国・エール大学客員教授。1972年11月中央大学通信教育学部長。1974年4月中央大学学生部長。1977年「条約法の研究」で中央大学にて法学博士。1996年定年退職、名誉教授。1996年名城大学法学部教授、1998年退職、日本学術会議会員。
因藤 壽(いんどう ひさし、1925年12月30日 - 20… 因藤 壽(いんどう ひさし、1925年12月30日 - 2009年8月8日)は北海道稚内市生まれの現代美術家。 モノクローム絵画が特徴。 1942年、北海道庁立苫小牧工業学校本科電気科(現在の北海道苫小牧工業高等学校)を卒業。卒業後、北海道大学超短波研究所に勤務。 1947年頃より仕事の傍ら、クレヨン画を始める。その後、喜茂別や倶知安の中学校の教員に転身。道内の美術展に積極的に出品する。1950年第2回読売アンデパンダン展に出品。以後も継続して出品。 1963年、大宮市(現さいたま市)に移り、首都圏の画廊で個展を開催。その後も精力的に制作活動に取り組んだ。 2009年8月8日、他界。 北海道立旭川美術館、北海道立近代美術館、埼玉県立近代美術館などが作品を所蔵する。
田村 逸也(たむら いつや、1925年12月29日 - 20… 田村 逸也(たむら いつや、1925年12月29日 - 2022年2月13日)は、日本の実業家。株式会社タムラ製作所元代表取締役会長・社長。藍綬褒章受章。 1925年12月29日、タムラ製作所(前・田村ラヂオ商会)創業者・田村得松の長男として生まれる。 1950年3月、立教大学経済学部卒業。同月、株式会社タムラ製作所入社。 1953年9月、同社取締役副社長就任。1960年5月、同社代表取締役社長就任。 1999年6月、同社代表取締役会長就任。2001年6月、同社取締役会長就任。 父で創業者である得松の後継者として、約40年間(1960~1999年)にわたって2代目社長を務めた。この間、高度経済成長期の波の中で、生産や販売などの面において国内外で業績を拡大させ、会社の成長をけん引した。
日比野 和幸(ひびの かずゆき、1925年12月28日 - … 日比野 和幸(ひびの かずゆき、1925年12月28日 - 2009年1月5日)は日本のジャーナリスト、エッセイストである。
岩崎 正視(いわさき まさみ、1925年12月27日 - 2… 岩崎 正視(いわさき まさみ、1925年12月27日 - 2019年3月1日)は、日本の実業家。勲等は勲二等。学校法人名城大学名誉顧問。 トヨタ自動車工業株式会社常務、トヨタ自動車株式会社副社長、トヨタ自動車株式会社副会長、株式会社名古屋グランパスエイト社長(第2代)、社団法人日本自動車工業会会長(第7代)、学校法人名城大学理事長(第13代)などを歴任した。 静岡県出身。1948年神戸経済大学(現神戸大学)卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。 1973年取締役に昇格。1979年常務取締役。1982年専務取締役。1986年取締役副社長。1992年取締役副会長。 1995年には豊田達郎社長が病気のため不在となるなかで、日本自動車工業会会長に就任し、豊田章一郎トヨタ自動車会長とともに日米自動車交渉にあたった。
森永 大(もりなが ひろし、1925年〈大正14年〉12月2… 森永 大(もりなが ひろし、1925年〈大正14年〉12月27日 - 1995年〈平成7年〉3月18日)は、日本の政治家。福井県大野市出身。札幌文科専門学院(現札幌学院大学)経済本科中退。元・北海道歌志内市長(1980年-1988年)。位階は従六位。 1951年歌志内町役場に入り、税務課長、水道課長、民生部長を経て、1971年同市助役。1980年に歌志内市市長選挙に出馬し当選。以後、2期8年市政を担うが、1988年の市長選挙で落選。1995年3月18日、肝臓癌のため死去。死没日付をもって従六位に叙された。 囲碁、観劇、絵画を好んだという。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
佃 實夫(つくだ じつお、1925年(大正14年)12月27… 佃 實夫(つくだ じつお、1925年(大正14年)12月27日 - 1979年3月9日)は、日本の小説家、文献学者。 徳島県阿南市出身。徳島青年師範学校中退。郵便局員、教員、徳島県立図書館司書、横浜市立図書館司書。 1959年「ある異邦人の死」で芥川賞候補。晩年徳島に在住したモラエスを描いたもので、1966年には大部の『わがモラエス伝』を上梓した。幕末・明治期を舞台として、『阿波自由党始末記』などの小説を書いた。1969年にポルトガル文化勲章受章。また文献学にも通じ、日外アソシエーツの『現代日本執筆者大事典』の編纂に携わった。 ポルトガル文化勲章(1969年) この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
田中 茂(たなか しげる、1925年(大正14年)12月26… 田中 茂(たなか しげる、1925年(大正14年)12月26日 - 2012年(平成24年)7月13日)は、昭和から平成時代の政治家。医師。埼玉県和光市長(第6代〜第8代)。 福岡県出身。旧制豊山中学校、清水高等商船学校(現東京海洋大学)を経て、1950年(昭和25年)慶應義塾大学医学専門部卒業。1951年(昭和26年)和光市にて開業する。1960年(昭和35年)慶應義塾大学生理学教室にて博士号を受ける。1962年(昭和37年)から1976年(昭和51年)まで朝霞地区医師会会長。ほか、埼玉県医師会役員、日本医師会代議員、日本・ラテンアメリカ医学協会役員などを歴任した。 1989年(平成元年)和光市長に当選し、同年5月から2001年(平成13年)5月まで3期務めた。
関谷 定夫(せきや さだお、1925年12月26日 - 20… 関谷 定夫(せきや さだお、1925年12月26日 - 2017年6月11日)は、日本の聖書学者。西南学院大学名誉教授、旧約聖書学・聖書考古学専攻。 東京出身。1945年旧制福岡高等学校卒業。1949年旧制熊本医科大学卒業。1952年西南学院大学神学専攻卒業。西南学院大学講師、助教授、1969年教授。1968-1969年、イスラエル・ヘブライ大学に学ぶ。1970年西南学院大学神学部長(1978年再任)。1996年定年、名誉教授。 1970-1975年日本基督教学会理事。1983-1995年、西日本宗教学会理事。日本イスラエル文化研究会理事。
太田 次郎(おおた じろう、1925年(大正14年)12月2… 太田 次郎(おおた じろう、1925年(大正14年)12月26日 - 2018年7月7日)は、日本の生物学・植物学者。学位は、理学博士(東京大学・1960年)。お茶の水女子大学名誉教授。従三位勲二等瑞宝章。岳父は赤木正雄。 神奈川県横浜市生まれ。1948年東京帝国大学理学部植物学科卒業。1960年「粘菌類、変形体の原形質流動に関する研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。東京大学大学院特別研究生、1952年お茶の水女子大学講師、助教授、1969年教授、1973 - 1976年東京工業大学教授併任、1976 - 1979年お茶大図書館長、1982 - 1984年理学部長、1985年同人間文化研究科長、1991年名誉教授、1992 - 1997年学長。
野口 廣(のぐち ひろし、1925年12月26日 - 201… 野口 廣(のぐち ひろし、1925年12月26日 - 2017年5月31日)は、日本の数学者、国際あやとり協会顧問、数学オリンピック財団前理事長、早稲田大学名誉教授。初期は野口宏の筆名を用いた。 東京出身。東北帝国大学理学部数学科卒業、1948年同大学副手、1952年早稲田大学講師、1956~1957年湯川奨学金による大阪大学内地留学、1958年ミシガン大学に留学、1960年大阪大学より理学博士号取得。1965年早稲田大学理工学部教授。1966年~米国National Science Foundationの招待によるイリノイ大学客員教授。1996年早大定年、名誉教授。1991年の数学オリンピック財団設立に尽力。
浜林 正夫(はまばやし まさお、1925年12月25日 - … 浜林 正夫(はまばやし まさお、1925年12月25日 - 2018年5月19日)は、日本の歴史学者。専門は、イギリス近代史でマルクス主義の立場からピューリタン革命と名誉革命を中心に研究していた。一橋大学名誉教授。日本学術会議会員、日本科学者会議代表幹事、全国革新懇代表世話人、労働者教育協会副会長、憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員など護憲組織を歴任。 北海道小樽市生まれ。旧制小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)、仙台陸軍予備士官学校を経て、1948年東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学在学中はボート部に所属。村松恒一郎ゼミ出身。 1947年に小樽経済専門学校(現小樽商科大学)教授を務めていた父が結核のため死去。
宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 19… 宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 1991年4月22日)は、日本の小説家、医師。 千葉県野田市生まれ。本名・真(しん)。慶應義塾大学医学部卒業。学生時代から『文芸首都』同人となり小説を書く。のち第三次『批評』に参加し、1963年「鼠浄土」で中央公論新人賞、「なっこぶし」で農民文学賞 を受賞し、郷里で小児科医として開業しながら作家活動をおこなう。リアリズムの系列と幻想文学の系列とがあり、関心はアンコール・ワットおよびアジアの多神教、浮世絵、民俗学など多方面にわたった。
亀井 節夫(かめい ただお、1925年12月25日 - 20… 亀井 節夫(かめい ただお、1925年12月25日 - 2014年5月23日)は、日本の古生物学者。野尻湖でのナウマンゾウの発掘などに関わった。父親は海軍少将の亀井凱夫。伯父(凱夫の実兄)は社会大衆党議員で元外交官の亀井貫一郎。叔父(貫一郎と凱夫の義弟)の毛里英於菟(ひでおと)は、大蔵省と企画院の官僚で、迫水久常などと並ぶ革新官僚の代表格。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制神奈川県立湘南中学校、北海道帝国大学理学部を経て、1949年東京大学理学部卒業。1950年信州大学文理学部助手、1961年「日本列島のデボン系の研究」で、北海道大学より理学博士の学位を取得。1956年信州大学講師、62年助教授、1963年京都大学理学部助教授、66年教授、1989年定年退官、名誉教授、信州大学理学部教授、1992年~1999年徳島県立博物館館長。
原 宏(はら こう、1925年〈大正14年〉12月24日 -… 原 宏(はら こう、1925年〈大正14年〉12月24日 - 2010年〈平成22年〉11月)は、日本の通商産業技官、電磁気学者、計測工学者。工学博士。元通商産業省工業技術院電子技術総合研究所標準計測部量子計測研究室長。東京大学名誉教授。 新潟県新潟市出身。1942年(昭和17年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1944年(昭和19年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1947年(昭和22年)10月に逓信省電気試験所に入所、1957年(昭和32年)11月からカナダ国立研究機構で研究、1959年(昭和34年)3月に帰国、通商産業省工業技術院電気試験所標準器部第一標準器課単本位研究室主任を経て、1962年(昭和37年)2月に第一標準器課長に就任、4月に第一標準器課の第一標準研究室への改称に伴い第一標準研究室長に就任、1965年(昭和40年)1月に第一標準研究室の計測基礎研究室への改組に伴い計測基礎研究室長に就任、1970年(昭和45年)7月に電気試験所の電子技術総合研究所への改称と標準器部計測基礎研究室の標準計測部量子計測研究室への改組に伴い電子技術総合研究所標準計測部量子計測研究室長に就任。
三木 成夫(みき しげお、1925年12月24日 - 198… 三木 成夫(みき しげお、1925年12月24日 - 1987年8月13日)は、香川県丸亀市出身の解剖学者、発生学者である。 丸亀中学から六高を経て、九州帝国大学工学部航空工学科が廃科となり、東京大学医学部と進み、東大助手を経て、東京医科歯科大学助教授、東京芸術大学教授。また、弟子の河野邦雄筑波大学教授の招きで、筑波大学開学以来非常勤講師も務めた。 1963年「オオサンショウウオに於ける脾臓と胃の血管とくに二次静脈との発生学的関係について」で東大医学博士。 1987年、脳出血のため死去。享年63(61歳没)。 生前に出版された本は二冊(『胎児の世界』中公新書、『内臓のはたらきと子どものこころ』築地書館)にすぎないが、死後続々と遺稿が出版され、解剖学者・発生学者としてよりも、むしろ特異な思想家・自然哲学者として注目されている。
中村 雅哉(なかむら まさや、1925年12月24日 - 2… 中村 雅哉(なかむら まさや、1925年12月24日 - 2017年1月22日)は、日本の実業家。バンダイナムコエンターテインメント創業者。東京都出身。 1948年、横浜工業専門学校(後の横浜国立大学理工学部)造船科卒業。家業は東京・神田の銃砲店であったが、銃刀法による規制が強いという業界に折り合いを付けられず、1955年に有限会社中村製作所を設立。横浜の松屋デパート(後に横浜松坂屋本店)屋上に事務所を構え、デパートの屋上遊園用遊具製造・管理を手がける。 1971年より中村製作所の英語名(NAkamura Manufacturing COmpany)の略称である「namco」ブランドの使用を開始、1977年には社名をナムコへ改める。
中村 龍夫(なかむら たつお、1925年12月22日 - 2… 中村 龍夫(なかむら たつお、1925年12月22日 - 2012年11月18日)は、日本の経営者。日本鉱業社長を務めた。茨城県出身。 1948年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本鉱業に入社。1974年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格し、同年8月には共同石油取締役にも就任した。1992年12月に日本鉱業と共同石油との合併により、日鉱共石副会長に就任し、1993年6月から相談役を務めた。 1991年11月に藍綬褒章を受章し、1999年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2012年11月18日心不全のために死去。86歳没。
小笠原 環山(おがさわら かんざん、1925年12月22日 … 小笠原 環山(おがさわら かんざん、1925年12月22日 - 2000年11月24日)は、日本の書家、水墨画家。本名は小笠原 一郎、「環山」は雅号。山梨県櫛形町(現・南アルプス市)の出身。1990年に刊行された『小笠原環山書画集』は美術評論家の田宮文平による書評の対象となり、1999年には月刊誌『趣味の水墨画』の特集「今月の画家」で取り上げられた。 山梨県出身。幼少の頃、曾祖父・小笠原蘭侯と父・補暠から書・詩の影響を受けた。立正大学文学部国文科を中退、在学中は中村星湖研究に関心を寄せた。のちに『墨象』誌上で「夏目漱石と中村星湖の手紙」「相馬御風の書簡 中村星湖との交流」「星湖先生の書」などの文章を発表している。
池田 重子(いけだ しげこ、1925年(大正14年)12月2… 池田 重子(いけだ しげこ、1925年(大正14年)12月21日 - 2015年(平成27年)10月13日)は、神奈川県出身のアンティーク着物収集家。明治以降の和装品コレクションで知られる。着物ブランド「夢工房」「池田重子きものコレクション」等のデザインを手がけ、「日本のおしゃれ展」や「時代布と時代衣裳池田」を主宰した。 横浜市生まれ。1942年(昭和17年)神奈川県立第一高等女学校卒業。1947年(昭和22年)文化服装学院卒業。1973年(昭和48年)新宿京王百貨店にて「時代布屏風展」開催。1976年(昭和51年)東京目黒で「時代布と時代衣裳 池田」開店。1978年(昭和53年)から着物のデザインを発表し始める。
小林 治雄(こばやし はるお、1925年12月21日 - 2… 小林 治雄(こばやし はるお、1925年12月21日 - 2010年1月26日)は日本の漫画家、随筆家。 1925年、山梨県にて出生。1943年、甲府工業学校土木科卒業。1954年、毎日新聞にて「フクちゃん」を連載していた横山隆一に勧められ、時事風刺の1コマ漫画『ヒトクチ漫画』の連載を開始し、以後1990年まで続いた。漫画集団の一員で、随筆、マンガ等を寄稿しつつ、70歳よりMacintoshを学び精力的に執筆活動を行った。 2010年1月26日、横浜市内の病院にて心不全で死去。84歳没。
碇 義朗(いかり よしろう、1925年〈大正14年〉12月2… 碇 義朗(いかり よしろう、1925年〈大正14年〉12月21日 - 2012年〈平成24年〉10月16日[要出典])は、日本の航空・自動車研究家、著作家である。 奄美大島生まれ。鹿児島県名瀬町(現:奄美市)出身。東京都立航空工業学校(現:東京都立産業技術高等専門学校)卒業後、1942年(昭和17年)12月より陸軍航空技術研究所に勤務。1949年、横浜工業専門学校(現:横浜国立大学)卒業。 航空機・自動車研究家として各誌に執筆。著書に 『最後の撃墜王』『紫電改の六機』『陸軍「隼」戦闘機』『戦闘機入門』『最後の二式大艇』『夢の超特急走る』『ハイブリッドカーの時代』『ペルシャ湾の軍艦機』『飛龍天に在り』など多数。
内垣 啓一(うちがき けいいち、1925年(大正14年)12… 内垣 啓一(うちがき けいいち、1925年(大正14年)12月20日 - 1989年(平成元年)8月17日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家、演劇・音楽評論家、舞台演出家、オペラ演出家。東京大学名誉教授。 京都府京都市に生まれる。京都第一中学校(旧制)、第一高等学校(旧制)を経て、1950年(昭和25年)京都大学文学部ドイツ文学科卒。1951年(昭和26年)に東京大学教養学部助手となり、1953年(昭和28年)戦後初めてのドイツ学術交流会招聘留学生としてハンブルクにおいて研究を続け、以後ドイツ文学、ドイツ演劇、比較文学、比較演劇の講師、助教授、教授を務め、1986年定年退官。 ドイツ文学のエキスパートとして古典から現代までの数多くの文学作品や戯曲を翻訳し出版しているのみならず、研究領域はドイツ演劇に加え、ドイツオペラから新劇や伝統芸能に至るまで舞台芸術全般に及んだ。
柴田 高好(しばた たかよし、1925年12月20日 - )… 柴田 高好(しばた たかよし、1925年12月20日 - )は、日本の政治学者。東京経済大学名誉教授。 北海道苫小牧市生まれ。1943年北海道庁立釧路中学校卒業。1945年官立静岡高等学校文科卒業。1946年九州大学法学部入学、具島兼三郎教授に師事。1949年九州大学法学部政治学科卒業。1952年同大学法学部大学院特別研究生修了、県立静岡法経短期大学助手。静岡大学の鈴木安蔵教授と交流する。1957年春から1960年頃まで黒田寛一と交流し、黒田から方法論として武谷三男の三段階論・技術論についての示唆を受ける。1964年静岡大学法経短大部教授。1972年東京経済大学教授。1996年定年退職、名誉教授。
岩田 久利(いわた ひさとし、1925年12月18日 - 1… 岩田 久利(いわた ひさとし、1925年12月18日 - 1994年1月8日)は、日本のガラス工芸家。ガラス工芸家二代目岩田藤七の長男。母・くにの父は、彫刻家の竹内久一。妻は、ガラス工芸家の岩田糸子。長女は、イワタルリ。次女は、岩田マリ。 ガラス工芸家岩田藤七の長男として東京府に生まれる。東京美術学校工芸部図案科に学び、在学中の同24年第5回日展に「硝子ぶどうの鉢」で初入選し以後も日展に出品を続ける。同26年東京美術学校を卒業。制作のかたわら、東京工業大学でガラスの組成を研究する。同30年第11回日展に「藻」を出品して特選、同31年第12回同展には「萌生」を出品して二年連続特選となった。同30年より光風会にも出品。
佐藤 恒夫(さとう つねお、1925年12月18日 - 19… 佐藤 恒夫(さとう つねお、1925年12月18日 - 1992年9月16日)は宮城県出身(宮城県桃生郡廣渕村、現在の石巻市広渕)の元スピードスケート選手である。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
木下 航二(きのした こうじ、1925年12月16日 - 1… 木下 航二(きのした こうじ、1925年12月16日 - 1999年11月19日)は、教育者、作曲家。 東京府出身。東京府立一中、旧制一高を経て、東京大学文学部東洋哲学専攻卒業。すぐに都立日比谷高等学校教諭となる。1954年、ビキニ環礁上にて水爆実験が行われ、第五福竜丸が被爆、原水爆反対の署名運動に参加し、「原爆を許すまじ」を独学で作曲した。曲は当時の「うたごえ運動」にのって全国に広まり、翌年に第1回原水爆禁止世界大会で参加者に歌われた。また1955年には、作曲した「しあわせの歌」(作詞:石原健治)が労働運動の広がりとともに広く歌われるようになった。 1960年代後半まで校歌・組合歌など80曲あまりを作曲したが、以後作曲から手を引き、昇進も断り母校にて独自の教材を基に倫理・社会教諭として1991年まで教壇にたった。
山口 幸生(やまぐち こうせい、1925年12月16日 - … 山口 幸生(やまぐち こうせい、1925年12月16日 - 2011年10月25日 )は、日本の俳優。 京都府出身。立命館大学(1944〜1948)卒業。 元新春座座員。。」かつてビックワンウエストに所属していた。 水戸黄門や必殺シリーズなど数多くの時代劇に出演。特撮テレビ番組『仮面の忍者 赤影』(第2部まんじ党編)では、全身緑衣装で顔も緑に塗っている忍者むささび道軒を演じ、強い印象を残した。また同作品ではナレーターも担当した。
山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2… 山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2015年6月18日)は、昭和・平成期の歌人。北海道南富良野町生まれ。北海道歌人会設立に参画。第33回日本歌人クラブ賞、第61回北海道文化賞受賞。 父の山名薫人も短歌雑誌・結社の『潮音』に所属した歌人である。 1925年(大正14年)12月15日、北海道上川管内南富良野町に生まれる。1940年(昭和15年)、15歳で短歌結社(雑誌)『潮音』『新墾()』に入会。現在の札幌光星高等学校を卒業。明治大学に進学。大学在学中より特別幹部候補生として苫小牧市沼ノ端の独立旅団に入隊し、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦を迎える。 戦後は1948年(昭和23年)、北海道新聞社に入社。
黒川 洋一(くろかわ よういち、1925年12月15日 - … 黒川 洋一(くろかわ よういち、1925年12月15日 - 2004年9月23日)は、日本の中国文学者。大阪大学名誉教授。 広島県出身。京都大学文学部中国文学科で、吉川幸次郎・小川環樹に師事。 四天王寺女子大学助教授、大阪大学教養部教授、1979年「杜甫の研究」で、京都大学より文学博士の学位を取得。89年定年退官、名誉教授、奈良女子大学教授。近世漢文学の研究論考もある。 2004年9月23日、肺炎のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉田 晶(よしだ あきら、1925年12月15日 - 201… 吉田 晶(よしだ あきら、1925年12月15日 - 2013年1月15日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。文学博士。岡山大学名誉教授。 兵庫県出身。陸軍士官学校59期生。1949年京都大学文学部卒業。高校教員を経て大阪電気通信大学教授。1978年岡山大学法文学部(現文学部)教授。1991年3月に退官後、甲子園大学教授を務めた。1986年「日本古代村落史序説」で大阪大学文学博士。岡山大学名誉教授。2013年1月15日、心不全で死去、87歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
本山 博(もとやま ひろし、1925年12月15日 - 20… 本山 博(もとやま ひろし、1925年12月15日 - 2015年9月19日)は、日本の超心理学者、心理学者、宗教家。国際宗教・超心理学会(IARP)初代会長、宗教心理学研究所初代所長、玉光神社名誉宮司、カリフォルニア人間科学大学院大学(CIHS)創設者。 香川県小豆郡(小豆島)出身。東京文理科大学(現筑波大学)卒業。 本山は、のちに玉光神社を開いた母の指導の下で、幼少の頃より滝行や断食、般若心経の読誦などの修行をしていた。 クンダリニー・ヨーガの研究者であり、立花隆によればその研究は世界的に有名であり、ユネスコ本部は、本山を世界の著名な超心理学者十人の一人に選出したという[要ページ番号]。心霊手術やユリ・ゲラーの超能力、外気功、福来友吉の念写の研究、霊の憑依現象、輪廻転生等に肯定的な発言をしている。
大沼 正則(おおぬま まさのり、1925年12月15日 - … 大沼 正則(おおぬま まさのり、1925年12月15日 - 2001年7月16日)は、日本の科学史家、東京経済大学名誉教授。化学史を研究。マルクス主義の立場から反科学・反技術主義を批判した。 東京府出身。東京工業大学卒業。東京経済大学助教授、1966年教授。1997年定年退任、名誉教授。
小渡 三郎(おど さぶろう、1925年12月14日 - 19… 小渡 三郎(おど さぶろう、1925年12月14日 - 1988年7月28日)は、琉球政府及び日本の政治家。琉球政府行政副主席。衆議院議員(2期、自由民主党)。海兵76期。 1925年、朝鮮京城で弁護士の小渡良忠の長男として生まれる。1938年、沖縄に戻り、沖縄県立第二中学校2年に編入。スポーツ万能で勉強は理系が得意だった。1944年、沖縄県立第二中学校卒業後、海軍兵学校入学。 1958年、沖縄県中頭郡美里村議会議員に初当選。1963年、琉球政府八重山地方庁長。労働局長、通商産業局長を経て、1967年、琉球政府行政副主席となる。琉球政府職員として経済復興、自治権拡大、軍用地問題、祖国復帰対策に尽力する。
小田 啓二(おだ けいじ、1925年12月14日 - 200… 小田 啓二(おだ けいじ、1925年12月14日 - 2006年9月9日)は日本の実業家。熊本市出身。兼松株式会社元代表取締役社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大木豊(おおき ゆたか、1925年12月14日 - 1976… 大木豊(おおき ゆたか、1925年12月14日 - 1976年9月1日)は、演劇評論家。東京生まれ。1949年早稲田大学文学部芸術科卒。演劇評論家協会会員。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
安川 茂雄(やすかわ しげお、1925年12月13日 - 1… 安川 茂雄(やすかわ しげお、1925年12月13日 - 1977年10月23日)は、日本の登山家、ノンフィクション作家、登山史研究家。 本名は長越成雄。東京出身。早稲田大学文学部仏文科卒。 中学時代から登山を好み、登山家、編集者として働きながら、「霧の山」などの山岳小説を発表。 1966年RCCヒンズークシ登山隊長。三笠書房編集長、朋文堂、あかね書房などの顧問を経て、1974年四季書館を設立、社長を務めた。
若菜 正(わかな ただし、1925年12月12日 - 200… 若菜 正(わかな ただし、1925年12月12日 - 2002年5月10日)は、株式会社集英社の第3代社長。『マーガレット』『セブンティーン』の創刊編集長。福島県出身。 慶應義塾大学文学部卒。『明星』編集部を経て、『マーガレット』『セブンティーン』を創刊させる。1964年に役員に昇格後、『non-no』『MORE』『月刊プレイボーイ』などを創刊。1988年に集英社代表取締役に就任し1996年まで務める。退任後は集英社特別顧問。日本雑誌協会副理事長も歴任した。2002年5月10日に肺塞栓で死去。 週刊少年ジャンプ第3代編集長・西村繁男の著書「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」(94年版)では、若菜の社内人事により西村が退社を決意する経緯が書かれているが、出版に際して若菜自身の許可もあった事が明記されており、その「度量」に謝意を述べられている。
斎藤 正二(さいとう しょうじ、1925年〈大正14年〉12… 斎藤 正二(さいとう しょうじ、1925年〈大正14年〉12月11日 - 2011年〈平成23年〉1月21日 )は、日本の教育学者、創価大学名誉教授。 東京府(現東京都八王子市)生まれ。1953年、東京大学文学部教育学科卒業。雑誌『日本短歌』(日本短歌社)編集長、『現代日本詩人全集』(東京創元社)編集長、雑誌『短歌』(角川書店)編集長、などを歴任。日本大学文理学部および芸術学部講師、國學院大學文学部講師、二松学舎大学教授、東京電機大学理工学部教授、創価大学教育学部教授、1996年定年、名誉教授。1979年「日本的自然観の研究」で名古屋大学教育学博士。 「日本的自然観」「やまとだましい」「サクラ(桜)」等の言葉に象徴される日本伝統イデオロギーの構造を、歴史的に解明した著述がある。
徳山陽(とくやま よう、1925年(大正14年)12月11日… 徳山陽(とくやま よう、1925年(大正14年)12月11日 - )は、ジャズ・ピアニスト、音楽家。父は「侍ニッポン」や「ルンペン節」で有名な流行歌手徳山璉。守安祥太郎、穐吉敏子と並び評される、戦後モダン・ピアノ三傑の一人である。 神奈川県藤沢市出身。久我山電波工業大学(久我山大学)卒業。卒業後は会社員をしていたが、1951年、森亨バンドに入りプロのピアニストとなる。 1952年には、沢田駿吾とダブル・ビーツに加入。退団後の1954年、稲垣次郎5、西条孝之助4などを経て、1975年、自身のトリオを結成し、中牟礼貞則とのデュオも行う。その後は、ジャズメン・クラブなどに出演する傍ら、ヤマハの講師も勤めた。
清水 照久(しみず てるひさ、1925年12月10日 - 1… 清水 照久(しみず てるひさ、1925年12月10日 - 1987年2月22日)は、日本の経営者、工学博士。富士電機社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1948年に京都大学工学部を卒業し、同年に富士電機製造(のちの富士電機)に入社。1974年11月に取締役に就任し、1976年1月に常務、1979年6月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1986年6月に社長に昇格。 1983年4月に藍綬褒章を受章。 1987年2月22日急性心不全のために死去。61歳没。
大谷 杉郎(おおたに すぎお、1925年12月10日 - 2… 大谷 杉郎(おおたに すぎお、1925年12月10日 - 2010年7月1日)は日本の化学者、工学博士。 1962年より群馬大学工学部教授。1991年より東海大学開発工学部教授、群馬大学名誉教授。コールタールピッチや石油ピッチを原料とする、ピッチ系炭素繊維を発明したことで知られる。 専門は炭素材料の研究で、炭素化過程の基礎研究と新材料開発に従事した。 1963年、ピッチを原料にして炭素繊維を作ることに成功。1969年には、ピッチを熱処理して得られるメゾフェーズ・ピッチを原料に用いると性能の高い炭素繊維が得られることを発見し、ピッチ系メゾフェーズ炭素繊維を発明した。これを受けて1970年には呉羽化学工業株式会社(現・株式会社クレハ)がピッチ系炭素繊維(等方性)の生産を開始している。
武井 正直(たけい まさなお、1925年(大正14年)12月… 武井 正直(たけい まさなお、1925年(大正14年)12月10日 - 2012年(平成24年)2月3日)は、日本の銀行家。日本銀行考査局次長および北洋銀行頭取などを歴任した。 山梨県に生まれる。陸軍予科士官学校卒業後、満州国に赴任する。戦後の一時期は鳥取県で農協に就職するがやがて慶應義塾大学法学部に進学し、1950年に卒業する。 大学卒業後は日本銀行に就職し、市中銀行の経営状態を調べる部門である考査局に通算17年勤め、考査局次長にまで昇進した。 1978年6月、北洋相互銀行専務に就き、1980年の同社副社長就任を経て、1982年6月に社長となる。1989年2月には、北洋相互銀行が普通銀行の「北洋銀行」となるのに伴い、初代頭取となる。
田川 茂(たがわ しげる、1925年12月10日 - 202… 田川 茂(たがわ しげる、1925年12月10日 - 2023年7月12日)は、日本の教育者で、暁星国際学園理事長を務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永井 信一(ながい しんいち、1925年12月9日 - )は… 永井 信一(ながい しんいち、1925年12月9日 - )は、日本の美術史家、美術評論家。女子美術大学名誉教授。 神戸市生まれ。本籍は群馬県。京城帝国大学予科在学中に敗戦を迎え、引揚後、旧制松本高等学校理科甲類に編入。1948年東北帝国大学文学部東洋芸術史学科卒業後、東北帝国大学助手、1949年女子美術大学芸術学部講師、助教授、教授を歴任。1989年から1991年まで女子美術大学付属高等学校・中学校長(第十代)。1991年に女子美術大学を定年退職し、名誉教授の称号を得る。同年、沖縄県立芸術大学教授に就任し、1999年に沖縄県立芸術大学を退職。
高野 真二(たかの しんじ、1925年(大正14年)12月8… 高野 真二(たかの しんじ、1925年(大正14年)12月8日 - )は、日本の俳優。旧芸名及び本名は高野 眞二。 神奈川県出身。関東学院高商部卒業。松竹出身。かつては同人会ミヤプロに所属し、2013年の時点では、宝映テレビプロダクションに所属していた。 身長は170cm。血液型はB型。 1954年、松竹に入社。時代劇、現代劇を問わず多くの松竹映画に出演。1965年、フリーとなって以降は、東映や日活の映画やテレビに出演。芸歴50年以上の、映画・テレビの名脇役である。 『水戸黄門』での出演回数は歴代2位の56回で、藩主、悪代官、悪奉行、善家老、悪家老、悪徳商人、道中奉行などを演じた。三代目水戸光圀役・佐野浅夫とは幼馴染みでもある。
清水 茂(しみず しげる、1925年12月8日 - 2008… 清水 茂(しみず しげる、1925年12月8日 - 2008年2月3日)は、日本の中国文学者。京都大学名誉教授。 1925年、京都府宇治市で生まれた。京都大学文学部を卒業。同・大学院に進み吉川幸次郎に師事した。 1952年、京都大学文学部助手に採用された。以後、助教授、教授に昇格。師の吉川が手掛けた『水滸伝』の翻訳を引き継ぎ、長年かけ訳した。1989年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。
三木 壽子(みき ひさこ、1925年12月8日 - )は、日… 三木 壽子(みき ひさこ、1925年12月8日 - )は、日本の植物学者。理学博士。元神奈川歯科大学教授。お茶の水女子大学ジェンダー研究センター研究協力員。レイチェル・カーソン日本協会会員。元花粉学会会長。 趣味はバード・ウォッチング。日本野鳥の会、鎌倉自主探鳥会グループなどに所属。探鳥と専門の植物観察のため、世界中を旅行する。世界のペンギン全種を観察したことは、日本野鳥の会神奈川支部では良く知られている。 (物理学史ノート 第11号 2008年9月1日発行 物理学史通信刊行会編より) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
笠原 慶一(かさはら けいいち、1925年12月8日 - 2… 笠原 慶一(かさはら けいいち、1925年12月8日 - 2024年10月26日)は、日本の測地学者、地震学者、東京大学名誉教授。 1948年東京帝国大学理学部地球物理学科卒、1960年理学博士。東大地震研究所助手、1961年助教授、65年教授。79-81年所長。86年定年退官、名誉教授、早稲田大学理工学部客員教授。2003年瑞宝中綬章。 2024年10月26日、病気のため死去。98歳没。
大石 真(おおいし まこと、1925年12月8日 - 199… 大石 真(おおいし まこと、1925年12月8日 - 1990年9月4日)は、日本の児童文学作家。 埼玉県北足立郡白子村(後に和光市へ合併)出身。父は医師で、「大石医院」を営んでいた。白子尋常小学校に入学後、豊島区の西巣鴨第五尋常小学校に転校。同級生に童話作家の松谷みよ子がいる。 戦争を嫌い、兵役を逃れるために科学の道を志し、早稲田大学の理系学部に1945年入学。1947年、第一文学部英文学科に編入。早大童話会に入会し、坪田譲治のコネにより小峰書店で編集のアルバイトをしつつ大学生活を送り、1950年に大学を卒業すると小峰書店の正社員となった。1951年7月、早大童話会から派生した「びわの実会」の旗揚げに参加し、創作活動に専念。