安楽 宙斗(あんらく そらと、2006年〈平成18年〉11月… 安楽 宙斗(あんらく そらと、2006年〈平成18年〉11月14日 - )は、日本のスポーツクライマー。株式会社JSOL所属。シニアデビューした2023年にはIFSCクライミングワールドカップにおいてボルダーとリードの2種目で年間王者となったが、この2種目を同時に獲得した史上初のクライマーでもある。2023年10月に開催された2022年アジア競技大会では、ボルダー&リード部門で金メダルを獲得している。 小学2年生の夏休みに父親がダイエット目的で近所にできたクライミングジムへ通い始めたのをきっかけに、一緒にクライミングを始める。 2018年、第1回アクアバンクボルダリング小学生競技大会で優勝。 2023年、IFSCクライミングワールドカップにて、ボルダーとリードの2種目で年間王者となる。
伊藤 ふたば(いとう ふたば、2002年4月25日 - )は… 伊藤 ふたば(いとう ふたば、2002年4月25日 - )は、日本のクライマー。専門はスポーツクライミング。 2002年4月25日、岩手県盛岡市出身。盛岡市立松園中学校、盛岡中央高等学校卒業。 父がスポーツクライミングを趣味にしていたことから、自身も小学校3年からクライミングを始める。競技を初めて間もなく、一発で15mも登ってしまい、父らを驚かせるなど、早いうちから天賦の才を発揮したという。 2014年から公式競技会に出場するようになり、第17回JOCジュニアオリンピックカップ大会(富山県南砺市)のリード競技のアンダーユースBで2位入賞を果たす。 2015年はクライミング日本ユース選手権リード競技(アンダーユースB部門)、全日本クライミングユース選手権ボルダリング競技大会(ユースC)の二大会を制覇した。
土肥 圭太(どひ けいた、2000年10月17日 - )は、… 土肥 圭太(どひ けいた、2000年10月17日 - )は、日本のスポーツクライマー。神奈川県平塚市出身。 2018年10月 アルゼンチンのブエノスアイレスで開催された「第3回 ユースオリンピック競技大会 スポーツクライミング 複合種目」で優勝する。鹿児島県山岳・スポーツクライミング連盟 所属。
楢﨑 明智(ならさき めいち、1999年5月13日 - )は… 楢﨑 明智(ならさき めいち、1999年5月13日 - )は、日本のスポーツクライマー。栃木県宇都宮市出身。 小学校2年からクライミングを始め、中学校では世界大会にも参戦。 海外遠征も多いクライミング競技と学業との両立のため、地元県立高校から第一学院高等学校に転入。 2018年11月、鳥取県倉吉市で開催された「クライミング アジア選手権 ボルダリング・複合種目」で優勝する。身長186cm。TEAMau所属。兄楢﨑智亜もクライマー。
原田 海(はらだ かい、1999年3月10日 - )は、日本… 原田 海(はらだ かい、1999年3月10日 - )は、日本のスポーツクライマー。大阪府岸和田市出身。 2018年9月 オーストリアのインスブルックで開催された「IFSC クライミング 世界選手権 ボルダリング種目」で優勝する。岸和田市立大宮小学校卒業、羽衣学園高等学校 卒業、神奈川大学山岳部出身(中退)。日新火災所属。
大場 美和(おおば みわ、1998年3月7日 - )は、日本… 大場 美和(おおば みわ、1998年3月7日 - )は、日本のフリークライマー。身長163cm。O型。マネジメント契約先はスポーツビズ。 愛知県岡崎市出身。岡崎市立竜海中学校卒業、光ヶ丘女子高等学校卒業、フェリス女学院大学文学部中退。 父は歯科医。9歳からクライミングを始める。近所にジムがなかったため、父がつくった3面の自宅ウォールで練習に励んでいた。この壁は「MIWA-WALL」と呼ばれ、後に野口啓代や小山田大など名だたる選手が訪れている。知人には不定期に開放され、2015年には「MIWA-CUP」というコンペも開催した。 13歳のとき、JFAユース選手権女子リード種目、第14回JOCジュニアオリンピックカップ大会で優勝。
南谷 真鈴(みなみや まりん、1996年12月20日 - )… 南谷 真鈴(みなみや まりん、1996年12月20日 - )は、日本の女性登山家・冒険家・環境活動家。七大陸最高峰日本人最年少登頂記録保持者。神奈川県川崎市出身。東京学芸大学附属国際中等教育学校卒業、早稲田大学政治経済学部を経てコロンビア大学へ転入し在学中。 神奈川県で生まれたが、父が貿易関係の仕事をしていたこともあり、1歳半でマレーシアに渡り、その後、大連、上海、香港とアジア各地を転々とした。幼い頃からバイオリン、ピアノ、ギター、マリンバ、ドラムを習い、部活もバレー、陸上、乗馬を同時にやっていた。香港に住んでいた13歳の時に学校行事で初めて山に登る機会があり、そこから山に本格的に興味を持ち、エベレストを目指すようになった。
山内 誠(やまうち まこと、1994年11月14日 - )は… 山内 誠(やまうち まこと、1994年11月14日 - )は、日本のフリークライマー。神奈川県出身。神奈川大学人間科学部卒。神奈川県相模原市でクライミングを始め、身長165cmと小柄ながら登攀ルートを的確に描く想像力が武器。2014年にはジャパンカップで優勝を飾り、日本ボルダリング界の頂点に立つ。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
野村 良太(のむら りょうた、1994年10月21日 - )… 野村 良太(のむら りょうた、1994年10月21日 - )は、日本の登山家、山岳ガイド。大阪府豊中市出身。北海道札幌市在住。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。第27回植村直己冒険賞受賞。 1994年10月21日、大阪府豊中市に生まれる。2010年、大阪府立北野高等学校に入学。野球部に所属した。 高校を卒業後、1年間の予備校生活の後、2014年に北海道大学水産学部に入学した。新入生歓迎活動の中でワンダーフォーゲル部の活動に魅力を感じて入部。水産学部は3年時から函館キャンパスに移動するため、多くの水産学部生は3年時で部活動・サークル活動を引退するが、活動を継続したいと考えた野村は大学に2年間の休学届を提出し、部活動を継続した。
安田 あとり(やすだ あとり、1994年9月 - )は、日本… 安田 あとり(やすだ あとり、1994年9月 - )は、日本のスポーツクライマー、フリークライマー。山梨県出身。神奈川大学人間科学部卒。小学校4年生でクライミングを始め、2006年にはJFAユース選手権ユースB(16歳未満)で優勝し、注目を集める。
小田 桃花(おだ ももか、1994年3月6日 - )は、日本… 小田 桃花(おだ ももか、1994年3月6日 - )は、日本のスポーツクライマー。2012年8月、オーストリアイムストで開催されたIFSCクライミングワールドカップリード部門で日本人女子として初優勝した。IFSCクライミングワールドカップ・2013年世界ランキング:リード部門3位、ボルダー部門7位、種目総合3位。 山口県出身。山口市のイベント会場で山口県山岳連盟が催したクライミング教室に参加したのがきっかけで、クライミングを始める(当時7歳)。山口市立小郡中学校在学中の2008年、14歳でワールドユース選手権(オーストラリア・シドニー大会)ユースB(16歳未満)で優勝し、頭角をあらわす。 山口県立防府高等学校在学中の、2010年5月のワールドカップのボルダリング部門、オーストリア(ウィーン)大会でワールドカップ初出場にて準優勝。
中嶋 徹(なかじま とおる、1993年 - )は日本のフリー… 中嶋 徹(なかじま とおる、1993年 - )は日本のフリークライマー。トラッド、スポート、ボルダリングすべてで国内トップレベルの実績を残すオールラウンドクライマー。長野県出身。 4歳でクライミングに初めて触れ、8歳から本格的にクライミングを始める。11歳で瑞牆山「燃えた地図」(三段)を完登。15歳のとき、単身渡英したことをきっかけに活躍の場を世界に広げる。2009年にはイギリスにおいてE9×3本、E8×3本を完登するという大きな成果を上げた。また、2010年12月には、平山ユージが2003年に初登して以来、再登されていなかった国内最難のボルトルートである二子山「フラットマウンテン」(5.14d/15a) を第2登した。
杉本 怜(すぎもと れい、1991年11月13日 - )は、… 杉本 怜(すぎもと れい、1991年11月13日 - )は、日本のスポーツクライマー。兵庫県出身。北海道札幌西高等学校、早稲田大学先進理工学部応用物理学科卒業。
柴沼 潤(しばぬま じゅん、1990年3月27日 - )は、… 柴沼 潤(しばぬま じゅん、1990年3月27日 - )は、日本のフリークライマー。 京都大学入学とともにクライミングを始める。自然の岩場でのボルダリングを中心に活動し、バベル(塩原)、The Dagger(クレシアーノ)、UMA(塩原)、アガルタ(豊田)、ククゼン(御手洗)など多数の五段以上の高難度のボルダー課題を完登している。大学時代にキャンパストレーニングをやり込み、"キャンパスの達人"と言われる。2016年に会社員にしてボルダリング・ワールドカップに出場したが、2017年に会社員を辞めた。片手懸垂師を名乗り、片手で懸垂23回の記録を持つ。回文作家でもあり、2023年からクライミング雑誌『ROCK & SNOW』に回文の連載をしている。
野口 啓代(のぐち あきよ、1989年5月30日 - )は、… 野口 啓代(のぐち あきよ、1989年5月30日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の日本のスポーツクライマー。夫はスポーツクライマーの楢﨑智亜。 東洋大学附属牛久高等学校、東洋大学ライフデザイン学部健康スポーツ学科を中退。身長:165cm、体重:49kg。 ワールドカップ優勝は通算21勝を数え、「日本クライミング界の女王」と呼ばれる。 2000年、小学校5年生の夏に家族旅行で訪れたグアムのゲームセンターでフリークライミングを体験する。帰国後もクライミングへの興味を持ち続け、自宅近くのつくば市にオープンしたばかりのPUMPスポーレクライミングジムに通いはじめる。小学校から中学校に進学する期間の春休みに開催された全日本ユース選手権では中高生を押しのけて優勝。
芝田 将基(しばた まさき、1988年5月19日 - )は、… 芝田 将基(しばた まさき、1988年5月19日 - )は、栃木県宇都宮市出身の日本のフリークライマー。埼玉県川越市在住。 帝京大学精密機械システム工学科を卒業。身長:172.5cm、体重:62kg。
小阪 健一郎(こさか けんいちろう、1988年 - )は、日… 小阪 健一郎(こさか けんいちろう、1988年 - )は、日本の登山家、ロッククライマー、沢登り家で医師(国際山岳医)。 2024年時点では京都大学大学院医学研究科皮膚科研究室に在籍している。「けんじり」という筆名も使用する。 大阪府岸和田市出身。2008年に京都府立医科大学に進学する。この学生時代に登山を始めた。雑誌『岳人』などに投稿をしていた。 2015年頃、ナポレオン岩の登攀をきっかけに辺境にある滝などのクライミングを志向するようになる[要出典]。雑誌『ロックアンドスノー』には30を超える記録が掲載されている。 2016年に京都府立医科大学を卒業した。2021年より京都大学大学院に在籍。皮膚科の医師として、登山中にマダニの咬傷に見舞われた場合の対応について登山雑誌の取材に答え、さらには共同研究で論文にも発表している。
小林 真秀(こばやし まほ、1986年10月12日 - )は… 小林 真秀(こばやし まほ、1986年10月12日 - )は日本のフリークライマー。JMCC(日本モダンクライマーズクラブ)所属。茨城県那珂郡東海村出身。水戸第三高等学校、茨城キリスト教大学卒。2009年現在、MALVAサッカー・フットサルスクール水戸校在学。妹は同じくフリークライマーの小林由佳。 小学校4年生の時、先にクライミングを始めていた妹・由佳に影響され自らもクライミングを始める。大学入学後、成人を機に1度は競技から離れるも、近年は競技会やコンペにも出場するなど再び競技に復帰している。 2019年には茨城国体のリハーサル大会に当たる第6回日本学生対校スポーツクライミング選手権大会に於いて15年ぶりに妹・由佳とチームを組んだ。
倉上 慶大(くらかみ けいた、1985年12月14日 - 2… 倉上 慶大(くらかみ けいた、1985年12月14日 - 2024年6月26日)は、日本のフリークライマー。 高校山岳部でクライミングに出会い、大学進学を機に移り住んだ新潟でボルダリングにのめり込む。2012-13年頃は京都に住み京都大学のクライミングウォール(京大wall)でトレーニングし、京都笠置のシンクラックプロジェクトを初登した。2013-16年頃はハイボールをノーマットグラウンドアップで登ることに傾倒し、2015年以降は、トラッドルートやマルチピッチルートの開拓など活動範囲を広げた。 2021年11月マウンテンバイク乗車中に意識を消失し救急隊によるAEDで蘇生され、その後運動誘発型の冠攣縮性狭心症と診断された。
中島 健郎(なかじま けんろう、1984年10月19日 - … 中島 健郎(なかじま けんろう、1984年10月19日 - 2024年7月27日)は、日本の登山家、山岳ガイド、山岳カメラマン。ピオレドール賞を3度受賞した。 1984年、奈良県高取町生まれ。少年期に父に山へ連れられていたことが、登山に親しむきっかけとなった。 2003年4月、関西学院大学入学。山岳部に所属し、登山の基礎を学ぶ。在学中に3度の海外遠征を経験し、2つの未踏峰に登頂。 2008年3月大学卒業後、貫田宗男が設立したWECトレックに所属、海外高峰の山岳ガイドを務め、海外山岳・辺境地域における過酷な環境下での山岳カメラマン(写真、TV)として活動。竹内洋岳からの信頼が厚く、チョ・オユーやダウラギリ等、数々の挑戦にパートナー兼カメラマンとして同行している。
青木 達哉(あおき たつや、1984年9月24日 - )は、… 青木 達哉(あおき たつや、1984年9月24日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン市出身の日本人登山家・アルパインクライマー。東海大学在学中に登山を始め、2006年・21歳の時に、世界の精鋭登山家に最も険しいと恐れられるK2に世界最年少で登頂。また、2012年にはキャシャール南ピラー初登攀、その功績が評価され、2013年に第21回ピオレドール賞(仏)及び、アジアピオレドール賞を受賞した。
長澤 奏喜(ながさわ そうき、1984年 - )は、日本の登… 長澤 奏喜(ながさわ そうき、1984年 - )は、日本の登山家。世界初の「ラグビー登山家」である。 ラグビー登山の創始者。愛知県立明和高等学校時代にラグビー部に所属し、大学でもラグビーを続けた。ラグビーワールドカップ2019のPRのため、「ワールド・トライ・プロジェクト」を掲げ、過去の全出場国にあたる25か国の国と地域の最高峰にラグビーボールをトライする活動を実施。 七大陸最高峰や8000m峰14座を筆頭にピークハント(英語版)は欧米で生まれ、それが日本に伝えられるものが多い中、世界の最高峰を舞台にしたピークハントを設計、及び自ら実践した初めての日本人としての価値が長澤の冒険の中には潜んでいる。
三戸呂 拓也(みとろ たくや、1984年 - )は、日本の登… 三戸呂 拓也(みとろ たくや、1984年 - )は、日本の登山家。長野県大町市生まれ。 2003年4月、明治大学理工学部入学。山岳部に所属し、のちに主将を務める。2008年9月、日本クーラカンリ登山隊(加藤慶信,有村哲史,中村進,高橋和弘,桜井孝憲,志賀尚子,三戸呂拓也)に最年少で参加したが、10月1日に加藤慶信,有村哲史,中村進の3名が雪崩に巻き込まれて死亡するという事故が発生し、登山計画が中止となった。2009年3月、アイスクライミング中に滑落、左足首を骨折。 2009年3月、大学卒業。1年間江東区立深川第八中学校にて数学講師を勤めた。その後、ミウラ・ドルフィンズのスタッフとして働き始める。
増本 さやか(ますもと さやか、1984年 - )は日本の登… 増本 さやか(ますもと さやか、1984年 - )は日本の登山家、フリークライマー。 1984年東京生まれ。2004年立教大学山岳部に入部し登山を始め、在学中にネパールの未踏峰パンバリヒマール6887mを初登頂した。2019年に日本人女性としてはじめて、ヨセミテのエルキャピタンをワンプッシュのフリークライミングで登り切った。現在、夫であるクライマーの増本亮と2021年に生まれた娘と3人で、山梨県北杜市に暮らす。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 - 201… 栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 - 2018年5月21日)は、日本の登山家。実業家として個人事務所の株式会社たお代表取締役を務めた。北海道瀬棚郡今金町出身。北海道檜山北高等学校 を経て札幌国際大学人文社会学部社会学科を卒業。よしもとクリエイティブ・エージェンシーと2011年9月から業務提携した。 「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で「単独無酸素」を標榜して高所登山を行っていた。エベレストには、頂上からのインターネット生中継 を掲げ、2009年にチベット側、2010年と2011年にネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退。
渡邊 直子(わたなべ なおこ、1981年10月27日 - )… 渡邊 直子(わたなべ なおこ、1981年10月27日 - )は、日本の登山家。日本人としては竹内洋岳、石川直樹に次いで3番目、日本人女性としては初めて8000メートル峰14座全てに登頂した。また女性としては史上初めてマナスルに4回登頂した。 1981年10月27日、福岡県大野城市に生まれる。家族の影響を受けて3歳から登山を始める。10歳のときに冬の登山を経験する。12歳のときに日本人とパキスタン人の子供達とパキスタンの雪山4700mを登り、フジテレビのニュースJAPANで放送された。 大野城市立大利小学校、大野城市立大利中学校を経て、2000年福岡県立春日高等学校卒業。2003年韓国・済州大学校交換留学。
渡辺 大剛(わたなべ はるひさ、1981年(昭和56年)8月… 渡辺 大剛(わたなべ はるひさ、1981年(昭和56年)8月25日 - 2012年(平成24年)12月26日)は、日本の冒険家、登山家である。22歳292日で達成した七大陸最高峰登頂は日本人の中では、2番目に若い記録である。 静岡県周智郡森町出身。磐田東高等学校に入学。高校2年の冬、自転車で単独日本縦断(静岡〜四国〜岡山)をした。九州産業大学芸術学部写真学科に入学後、山岳部に在籍し、本格的に登山を始めた。2002年、シルクロードを旅し、ヘルディンに日本人として初めて登頂した。 世界各地を巡る旅をしていた同年9月、アフリカ最高峰のキリマンジャロに登頂したのを機に、七大陸最高峰登頂を目指すようになり、2003年には、2月に南米アコンカグア、6月に新欧州エルブルース、旧欧州モンブラン、同7月にオセアニアコジウスコと立て続けに登頂した。
横山 勝丘(よこやま かつたか、1979年4月5日 - )は… 横山 勝丘(よこやま かつたか、1979年4月5日 - )は日本の登山家。パタゴニアクライミングアンバサダー、国立登山研修所講師。神奈川県相模原市出身。 信州大学理学部物質循環学科卒業。在学中は山岳部に入り、エル・キャピタン、ヨーロッパアルプス、冬壁、各地で岩場開拓を経験する。2005年のアラスカを皮きりに、アンデス、ヒマラヤ、パタゴニアなどを放浪。同時に、北米やヨーロッパのフリークライミングツアーへの参加や、辺境の地での岩場開拓に奮闘。2011年にはローガン山南東壁初登攀に成功し、第19回ピオレドール賞を受賞した。
石川 直樹(いしかわ なおき、1977年6月30日 - )は… 石川 直樹(いしかわ なおき、1977年6月30日 - )は、日本の写真家、登山家。東京都渋谷区出身。祖父は芥川賞作家の石川淳。 23歳で七大陸最高峰を当時の最年少記録で制覇した。2024年には日本人としては竹内洋岳に次いで2番目となる8000メートル峰全14座登頂を達成した。 渋谷区初台で生まれ育つ。幼稚園から高校までの14年間を暁星学園で過ごす。中学2年で「青春18きっぷ」を使い、野宿しながら坂本龍馬を生んだ高知県に初めての長い一人旅をした。高校2年の時には沢木耕太郎の『深夜特急』に刺激を受け、学校には内緒で1ヶ月に渡ってインドとネパールへ旅をした。浪人生活を経て2001年9月、早稲田大学第二文学部歴史・民俗系専修卒業。
花谷 泰広(はなたに やすひろ、1976年8月6日 - )は… 花谷 泰広(はなたに やすひろ、1976年8月6日 - )は、日本の登山家。兵庫県神戸市出身。 兵庫県立神戸高等学校時代より山岳部に所属、1995年に同校卒業後は信州大学教育学部に進み2001年に卒業。大学卒業後は富士山で登山ガイドを開始し、富士吉田市公認の富士山登山案内人として10年間富士山と関わった。2003年から2シーズン、富士山測候所において冬の強力を行った。 2004年、インドのヒマラヤ・ガンゴトリ山群メルー中央峰北東壁「シャークスフィン」(6,459 m) 登攀中に靭帯断裂の大怪我を負い、1年半にわたり登山を中断。2007年日本山岳ガイド協会の検定に合格、認定登攀ガイドとなり、オーダーメイドガイド「First Ascent」を主宰。
木下 徳彦(きのした のりひこ、1974年8月2日 - 20… 木下 徳彦(きのした のりひこ、1974年8月2日 - 2022年8月11日)は、日本の登山家、沢登り家。 称名滝ワンプッシュ初登、剱沢大滝D滝右壁初登、日本百名谷遡行50本、台湾遠征12回を誇る日本屈指の沢登り家で、キャニオニング技術も取り入れた沢登りにも取り組んでいた。慶應大学ワンダーフォーゲル部出身で、東京岳人倶楽部、チーム84、日本山岳会青年部、SAWA MAFIAなどの社会人山岳会、山岳同人に所属した。2022年8月に南アルプス釜無川神宮川笹ノ沢を遡行中に滝から滑落し死亡した。 受験生時代は、大学への数学、日々の演習モニターであり、岩瀬大輔と一緒であった。
高橋 和弘(たかはし かずひろ、1974年 - )は、日本の… 高橋 和弘(たかはし かずひろ、1974年 - )は、日本の登山家。 1996年8月14日、当時最年少で、K2(8,611m/パキスタン) 登頂。1996年、明治大学文学部卒業。明治大学在学中の成績はかなり優秀であったため、ある教授から大学院に進学することを強く勧められた。しかし、ヒマラヤの登山を優先するため、大学院へ進学しなかった。卒業後は明治大学山岳部OB会である炉辺会に所属。 1997年10月8日、マナスル(8,163m/ネパール)登頂(三谷統一郎、山本篤、加藤慶信ら7名)。1999年5月9日、リャンカンカンリ(未踏峰、7,535m/チベット) 初登頂(鈴木清彦、角谷道弘、竹内洋岳、加藤慶信、山本篤、中村進、小林尚礼、高橋純一、佐藤大輔)。
野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、日本… 野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、日本の登山家(アルピニスト)、環境活動家。亜細亜大学国際関係学部卒業。 NPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表(2020年時点)として、ヒマラヤ・富士山での清掃活動といった環境保護への取り組み、また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」やヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動を行っている。 亜細亜大学客員教授、SBC東京医療大学客員教授、徳島大学医学部運動機能外科非常勤講師。 日本人(元外交官の野口雅昭)の父親と、ギリシャ系エジプト人の母親(野口モナ)の次男としてボストンで生まれ、同時にフランス人とレバノン人の血も引いている。
栗秋 正寿(くりあき まさとし、1972年8月15日 - )… 栗秋 正寿(くりあき まさとし、1972年8月15日 - )は、日本の登山家。冬季アラスカ山脈登山の第一人者。冬季マッキンリー単独登頂(世界で4人目、史上最年少)、冬季フォレイカー単独登頂(世界初)、植村直己冒険賞受賞。「山の旅人」と自称。
谷口 けい(たにぐち けい、1972年7月14日 - 201… 谷口 けい(たにぐち けい、1972年7月14日 - 2015年12月22日)は、日本の女性登山家、アルパインクライマーの第一人者。自身では“世界の山を巡る旅人”と称していた。本名、谷口桂。 和歌山県和歌山市生まれ。千葉県我孫子市育ち。アルパインクライマー。 小学校時代に冒険家植村直己の著書と出会い、大人になったら植村の消えたデナリに登りに行こうと決めていた。 10代前半はあまり快活ではなかったが、高校3年でアメリカに留学し、活発な性格が開花する。親の資金援助を一切受けず明治大学の二部文学部史学地理学科に入学し、昼は働き夜に講義を受ける学生生活を送る。またサイクルツーリングクラブに所属し、自転車で日本と世界を積極的に旅する。
竹内 洋岳(たけうち ひろたか、1971年1月8日 - )は… 竹内 洋岳(たけうち ひろたか、1971年1月8日 - )は、日本の登山家。世界で29人目で、日本人初の8000メートル峰全14座の登頂者。身長180cm、体重65kg。東京都出身。立正大学仏教学部卒業。株式会社ハニーコミュニケーションズ所属。立正大学客員教授。『文部科学大臣顕彰、スポーツ功労者顕彰』、第17回「植村直己冒険賞」、第15回「秩父宮記念山岳賞」を受賞。 祖父の手ほどきで、幼少より登山とスキーを始め、高校、大学の山岳部で国内の登山の経験を積み、20歳で初めての8000m峰登山を経験した。 1995年に日本山岳会隊に参加して、マカルー(8,463m)東稜下部より登頂し、初めて8000m峰を登頂する。
安東 浩正(あんどう ひろまさ、1970年1月23日 - )… 安東 浩正(あんどう ひろまさ、1970年1月23日 - )は、日本の冒険家、サイクリスト、登山家、飛行家。広島県出身。現在は神奈川県藤沢市に在住。 1970年、広島県に生まれる。福山市立福山高等学校を経て、鳥取大学工学部機械工学科卒業。植村直己に憧れ、大学在学中は山岳部に所属した。山岳少数民族への関心から、中国・雲南大学に留学。海外の高所登山、トレッキング、辺境旅行のガイドとして「ワンダートレック」を主催している。日本国際自転車交流協会(日本アドベンチャーサイクリストクラブ・JACC)の評議員を務める。また、日本気球連盟の熱気球パイロットでもある。 海外:ロシア・コムソモールプラウダ、アラスカ・DailyNews-Miner等共同通信、時事通信により地方各紙、世界中のメディアに発信された
三浦 豪太(みうら ごうた、1969年8月10日 - )は、… 三浦 豪太(みうら ごうた、1969年8月10日 - )は、日本のプロスキーヤー、登山家、実業家。博士(医学)(順天堂大学)取得者である。身長166cm。愛称は「ゴンちゃん」。三浦雄一郎の次男、山岳スキーヤーの三浦敬三は祖父。 1994年リレハンメルオリンピック・1998年長野オリンピックフリースタイルスキー競技男子モーグル日本代表選手。神奈川県鎌倉市生まれ。東京都老人科学研究所研究員、国士舘大学ハイテクリサーチセンター研究員。ワオ係数の提唱者である。2014年ソチオリンピックでは、スキークロスをはじめとしたフリースタイルスキーでの独特の解説が「詳しすぎる解説」として話題になる。 2025年現在はリゾート開発を手掛ける「北海道グローバル」社の社長を務め、旭川市のカムイスキーリンクス(神居山)周辺にホテル・コテージなどを含めたスキーリゾートを開設する事業を進めている。
長久保 浩司(ながくぼ こうじ、1969年4月2日 - )は… 長久保 浩司(ながくぼ こうじ、1969年4月2日 - )は、日本の登山家、会社員。 1969年4月2日、埼玉県に生まれる。 高校時代より山岳部に所属。1993年東京農業大学林学科卒業後、海外遠征を続け、8000m峰5座に登頂。 現在、八海醸造勤務。東京農業大学山岳部コーチ。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
馬目 弘仁(まのめ ひろよし、1969年3月1日 - )は日… 馬目 弘仁(まのめ ひろよし、1969年3月1日 - )は日本の登山家。ザ・ノース・フェイスグローバルアスリート。福島県いわき市出身。 福島県立磐城高等学校、信州大学農学部林学科卒業。高校時代より山岳部に所属し、大学時代は社会人クラブでロッククライミングに熱中した。2009年ネパールヒマラヤテンカンポチェ峰(6500m)北東壁初登攀ほか、国内外の山々を多数登攀。2012年にはキャシャール南ピラー(6,770m)初登攀に成功し、第21回ピオレドール賞を受賞した。
服部 文祥(はっとり ぶんしょう、旧姓・村田、1969年 -… 服部 文祥(はっとり ぶんしょう、旧姓・村田、1969年 - )は、日本の登山家、著述家。神奈川県横浜市出身。1994年、東京都立大学フランス文学科卒業。山岳雑誌『岳人』の編集部員。
續 素美代(つづき すみよ、1967年12月29日 - )は… 續 素美代(つづき すみよ、1967年12月29日 - )は日本の女性登山家、冒険家、フリーライター。ヒマラヤ山脈やカラコルム山脈の8000m峰の登頂記録を持つ。 熊本県玉名郡玉東町生まれ。幼い頃は大人しく、人見知りも激しかった。外で遊ぶより自宅で読書をしたり、フェルトで人形を作ったり、刺繍をするなどして過ごすことが多かった。母親のしつけは厳しく、特に家事は3、4歳頃から仕込まれた。 國學院大學4年生のときに行ったフランス旅行の帰りの飛行機の中でドイツ人の男性登山家に登山に誘われる。「富士山くらいなら一緒に登ってもいいか」という程度の軽い気持ちで電話番号を教えたが、その後本当に誘いの電話がありエベレスト登山隊に同行することとなった。
星野 龍史(ほしの りゅうし、1967年11月27日 - 2… 星野 龍史(ほしの りゅうし、1967年11月27日 - 2001年10月14日)は、日本の登山家。 1967年11月27日、群馬県勢多郡黒保根村に生まれる。群馬ミヤマ山岳会に所属、数多くの海外遠征に参加し、8000m峰5座に登頂した。 幼少より絵画が得意で「電気を安全に使いましょうポスター群馬児童作品展」「読書鑑賞画展」などに入賞した。1982年群馬県立桐生工業高等学校入学、山岳部に所属。1986年北関東造形美術専門学校入学後、群馬県ミヤマ山岳会入会。在学中に群馬県勤労者美術展に2年連続入選を果たす。 1990年より、キリマンジャロ、カンチェンジュンガ、サガルマータ西壁、チョー・オユー、サガルマータ南西壁、ウルタルⅡ峰、ガッシャーブルムI峰、ガッシャーブルムII峰、シシャパンマと、海外登山に参加、この間に山のスケッチを続ける。
谷川 太郎(たにがわ たろう、1967年6月27日 - )は… 谷川 太郎(たにがわ たろう、1967年6月27日 - )は、日本の登山家。1990年東京農業大学造園学科卒業。 1967年6月27日、千葉県に生まれる。1990年東京農業大学造園学科卒業。大学卒業後、1991年ブロードピーク(8,047m)に登頂して以降、8000m峰8座登頂。「超人的な体力と偏執的なまでのモチベーションが要求され、結果的に高所登山人口の先細りを招く」として近年のアルパインスタイル偏重には批判的で、大学山岳部や社会人山岳部による育成システムとしての極地法に一定の評価を置いている。 現在八海醸造勤務、六本木にある八海山アンテナショップ「千年こうじや」の店長を務める。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。
奥田 仁一(おくだ まさかず、1966年9月13日 - )は… 奥田 仁一(おくだ まさかず、1966年9月13日 - )は、日本の登山家、山岳ガイド。 1966年9月13日、三重県に生まれる。関西大学出身。大学時代は山岳部に所属し、1989年には関西学生山岳連盟委員長を勤め、卒業後は関西大学山岳部コーチを務めた。 1998年5月、カンチェンジュンガ(8,586m)北壁登頂後、下山時にビバークとなり2名の隊員は遭難死、他の隊員2名とともに生還したが凍傷で手足の指11本と鼻の一部を失った。 2002年、全盲の弁護士竹下義樹をサポートし、アイランドピーク(6,160m)登頂に成功。2005年5月同じく竹下義樹をサポートし、チョ・オユーに挑戦するが天候不良のため7,950m地点で断念。
田村 聡(たむら さとし、1965年1月28日 - )は、東… 田村 聡(たむら さとし、1965年1月28日 - )は、東京都立川市生まれの登山家・山岳アスリート。生まれながらの全ろう者(聴覚障害者)である。 山好きの父親と大学山岳部出身の伯父に影響され、13歳で登山を始める。学生時代から社会人山岳会「東京ろうあ者山の会」に所属し、ろう者としての登山技術を学び、山スキーの技術も磨いた。16歳で免許を取ったバイクではパリ・ダカールラリー参戦経験も持っており、HONDA XR400Rを駆るもリタイヤとなった。またアルペンスキー競技では四年に一度のろう者の国際競技会であるデフリンピックにも日本代表として出場している。 1980年に重広恒夫・尾崎隆によるエベレストの北壁初登頂を報せる新聞記事を見て、「いつかはエベレストに登頂したい」と望みを抱く。
角谷 道弘(かどや みちひろ、1963年10月7日 - )は… 角谷 道弘(かどや みちひろ、1963年10月7日 - )は大阪府出身の登山家、山岳ガイド。 1988年、信州大学農学部を卒業。1995年に勤務していた会社を退社して山岳ガイドを始めた。2000年に日本テレビの番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ』内でマッターホルン (4,478 m) 登頂部のコーチを務め、2010年からは同局の番組『世界の果てまでイッテQ!』の番組内企画であるイッテQ登山部のガイドとして登山企画などに関わる。 2012年3月8日、八ヶ岳で日本山岳ガイド協会試験の講師を務めていたところ、受験者の滑落事故に巻き込まれ、大腿部の付根および骨盤の一部を粉砕骨折。人工骨を埋め込むこととなった。
片山 右京(かたやま うきょう、男性、1963年5月29日 … 片山 右京(かたやま うきょう、男性、1963年5月29日 - )は、神奈川県相模原市出身のレーシングドライバー、登山家、自転車競技選手。KATAYAMA PLANNING株式会社 代表取締役。 神奈川県相模原市の名誉観光親善大使、白山ジオトレイル名誉顧問、大阪産業大学工学部客員教授。 東京都生まれ、神奈川県相模原市(南区)鵜野森育ち。相模原市立鹿島台小学校に通い、登山愛好家だった父の影響もあり、この頃から自転車や登山にいそしむ。将来は植村直巳のような地球をめぐる冒険をしたいと憧れていた少年だった。 中学・高校は、日本大学第三中学校・高等学校に進学。陸上部に入部し、長距離走の選手だった。大学の体育学部への進学を志望していたが、受験日直前にオートバイの転倒事故を起こし負傷。
山本 篤(やまもと あつし、男性、1962年10月7日 - … 山本 篤(やまもと あつし、男性、1962年10月7日 - )は、日本の登山家。福岡県出身。明治大学卒業。日本山岳ガイド協会認定登攀ガイドで国立登山研修所の講師を務める。 國學院大學久我山高等学校のワンダーフォーゲル部に所属し本格的な登山を開始。明治大学山岳部では主将を務めた。1987年のパキスタン・ラカポシ峰(7,788m)の遠征を皮切りに数々の海外遠征に参加。1992年には当時未踏峰としては最高峰だったナムチャバルワの初登頂に成功。文部省スポーツ功労賞、読売新聞社日本スポーツ賞を受賞した。 現在、明治大学体育会山岳部ヘッドコーチ、日本山岳ガイド協会認定登攀ガイド、国立登山研修所講師。 1992年10月30日 - ナムチャバルワ(未踏峰/7,782m/チベット)初登頂。
近藤 謙司(こんどう けんじ、1962年9月13日 - )は… 近藤 謙司(こんどう けんじ、1962年9月13日 - )は、日本の登山家、国際山岳ガイド、会社経営者。