野村 良太(のむら りょうた、1994年10月21日 - )… 野村 良太(のむら りょうた、1994年10月21日 - )は、日本の登山家、山岳ガイド。大阪府豊中市出身。北海道札幌市在住。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。第27回植村直己冒険賞受賞。 1994年10月21日、大阪府豊中市に生まれる。2010年、大阪府立北野高等学校に入学。野球部に所属した。 高校を卒業後、1年間の予備校生活の後、2014年に北海道大学水産学部に入学した。新入生歓迎活動の中でワンダーフォーゲル部の活動に魅力を感じて入部。水産学部は3年時から函館キャンパスに移動するため、多くの水産学部生は3年時で部活動・サークル活動を引退するが、活動を継続したいと考えた野村は大学に2年間の休学届を提出し、部活動を継続した。
中島 健郎(なかじま けんろう、1984年10月19日 - … 中島 健郎(なかじま けんろう、1984年10月19日 - 2024年7月27日)は、日本の登山家、山岳ガイド、山岳カメラマン。ピオレドール賞を3度受賞した。 1984年、奈良県高取町生まれ。少年期に父に山へ連れられていたことが、登山に親しむきっかけとなった。 2003年4月、関西学院大学入学。山岳部に所属し、登山の基礎を学ぶ。在学中に3度の海外遠征を経験し、2つの未踏峰に登頂。 2008年3月大学卒業後、貫田宗男が設立したWECトレックに所属、海外高峰の山岳ガイドを務め、海外山岳・辺境地域における過酷な環境下での山岳カメラマン(写真、TV)として活動。竹内洋岳からの信頼が厚く、チョ・オユーやダウラギリ等、数々の挑戦にパートナー兼カメラマンとして同行している。
田中 陽希(たなか ようき、1983年6月5日 - )は、日… 田中 陽希(たなか ようき、1983年6月5日 - )は、日本のプロアドベンチャーレーサー、アウトドアガイド(リバーガイド等)。2007年から2024年7月末までアドベンチャーレースのプロチーム Team EAST WIND に所属していた。 埼玉県生まれ。父が『北の国から』に影響を受けたため6歳のときに北海道富良野市に移住。旭川大学高等学校、明治大学卒業。大学時代はスキー部でクロスカントリースキーの選手として活躍する。 2006年にアドベンチャーレースと出会い、2007年にTeam EAST WINDのトレーニング生、2008年4月に正式メンバーになり、後述のグレートトラバース実行中以外の時は同団体代表の田中正人の右腕のアドベンチャーレーサーとしてチームを支え、2022年からチームキャプテンを務め、2024年7月末に脱退するまで所属した。
山田 淳(やまだ あつし、1979年5月8日 - )は日本の… 山田 淳(やまだ あつし、1979年5月8日 - )は日本の登山ガイド。元七大陸最高峰最年少登頂記録保持者。
秋元広行 (あきもと ひろゆき、Hiroyuki Akimo… 秋元広行 (あきもと ひろゆき、Hiroyuki Akimoto、 1977年2月11日 - ) はフォルクローレ歌手、作詞家、作曲家、通訳&翻訳家、日本語教師、ツアーガイド、楽器販売店店主。 兵庫県加西市で生まれ、大阪で育つ。創価大学時代にラテンアメリカ音楽研究会に入りフォルクローレに魅せられ、卒業後は単身ボリビアに渡る。ギターをフアン・カルロス、声楽をコチャバンバ国立音楽学校校長の藤井康一に師事。ラパス市在住 (2000年4月 - 現在)で、10年目となる2010年より毎年日本へ帰国しては様々な音楽家とコンサートを行う。 好きな食べ物は、うどん、レチョン。 所属グループ (2025年現在)は、アナタボリビア (Anata Bolivia)とワイラ ハポナンデス (Wayra JaponAndes)、3人アンデス。
江本 悠滋(えもと ゆうじ、1976年12月24日 - )は… 江本 悠滋(えもと ゆうじ、1976年12月24日 - )は、愛知県名古屋市出身の山岳ガイド 幼少期から名古屋市でスキー店を営む両親の影響によりスキーを始める。 名古屋学院中学(現-名古屋中学)スキー部に所属し全国大会に2度出場。高校は名古屋学院高校(現-名古屋高校)へ進学するが1年の夏にフランスへ留学することを決意し単身でフランスへスキー留学をする。 フランス・オーツサヴォワにあるLe Grand Bornad スキークラブに所属しスキー選手育成高校へ通う。 FISレース、フランスナショナルカップをメインに出場。 膝の怪我が原因によりアルペンスキー選手を断念、フランス国立スキー登山学校(ENSA)へ入学しフランス国家スキー指導員資格を取得。
田中 彰(たなか あきら、1972年11月10日 - )は、… 田中 彰(たなか あきら、1972年11月10日 - )は、日本の渓谷探検家、キャニオニングガイド。兵庫県淡路島出身。国際キャニオニング協会(CIC)認定インストラクター一般社団法人ジャパンキャニオニング協会 副理事Commission Internationale de Canyon (CIC) certified instructorDeputy Director, Japan Canyoning Association 関西大学文学部・地学地理学科を卒業。在学中は探検部に所属。[要出典] マダガスカルで樹冠研究の方法開発のために樹上で1か月滞在した。 卒業後は、吉野川でラフティングガイドを生業としていたが、29歳の時に日本にはなかったアクティビティ「キャニオニング」と出会いその世界に没頭する。
花房 観音(はなぶさ かんのん、本名非公表。1971年 - … 花房 観音(はなぶさ かんのん、本名非公表。1971年 - )は、日本の小説家・バスガイド。女性。夫は放送作家・フリーライターの吉村智樹。京都市在住(2017年9月現在)。 兵庫県生まれ。兵庫県立豊岡高等学校卒業。京都女子大学文学部教育学科中退。派遣添乗員や旅行会社勤務、映画会社勤務など様々な職を経験する。30歳のころに借金が溜まり、兵庫の生まれ故郷に戻って閉塞、図書館で山田風太郎の作品を貪り読んだ。 2009年から小説家を志して、多くの新人賞に応募をする。新潮社主催のR-18文学賞に応募して一次選考を通過し、手ごたえを感じた。『幽』怪談文学賞や野性時代フロンティア文学賞にも応募していた。2010年、「花祀り」で第1回団鬼六賞(無双舎主催)の大賞を受賞する(優秀作は深志美由紀『花鳥籠』)。
小川 さゆり(おがわ さゆり、1971年 - )は、長野県の… 小川 さゆり(おがわ さゆり、1971年 - )は、長野県の登山ガイド。南信州山岳ガイド協会所属の信州登山案内人。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド、中央アルプス地区遭対協救助隊員。 長野県駒ヶ根市生まれ。スノーボードのトレーニングをきっかけに山を登り始める。2000年代にはマッターホルンやグランド・ジョラスなどへの登山歴がある。 駒ヶ根市を拠点に、中央アルプスを中心とした山域でガイドや救助隊員として活動する。得意な山域は中央アルプス、北アルプス、御嶽山。 2014年9月27日、ツアーの下見のために単独で御嶽山を訪れ、山頂に到達して火口から500mほど離れたところでお鉢巡りをしていたところ、火山噴火に遭う。
柏 澄子(かしわ すみこ、1967年7月25日 - )は、日… 柏 澄子(かしわ すみこ、1967年7月25日 - )は、日本のライター、ジャーナリスト、登山ガイド。千葉県出身。 1967年、千葉県千葉市に生まれる。 千葉県立千葉女子高等学校を経て、1991年に獨協大学外国語学部ドイツ語学科を卒業した。高校・大学で山岳部に所属する。 卒業後、外国食器メーカーを経て、日本ユネスコ協会連盟 事務局に勤務した。識字教育の部署から、日本が世界遺産条約に批准するタイミングで世界遺産条約に部署へ異動。その後、広報・出版部にてニューズレターや書籍の制作に従事した。 1997年、ライターとして独立する。「登山に関わるあらゆること、山岳地域に住む人々」をテーマとする。 山岳雑誌(『山と溪谷』、『ROCK & SNOW』、『岳人』、『ランドネ』、『PEAKS』、『WILDERNESS』、『Packers』、『Stuben』など)、新聞(毎日新聞、日本経済新聞など)、WEBなどに執筆している。
奥田 仁一(おくだ まさかず、1966年9月13日 - )は… 奥田 仁一(おくだ まさかず、1966年9月13日 - )は、日本の登山家、山岳ガイド。 1966年9月13日、三重県に生まれる。関西大学出身。大学時代は山岳部に所属し、1989年には関西学生山岳連盟委員長を勤め、卒業後は関西大学山岳部コーチを務めた。 1998年5月、カンチェンジュンガ(8,586m)北壁登頂後、下山時にビバークとなり2名の隊員は遭難死、他の隊員2名とともに生還したが凍傷で手足の指11本と鼻の一部を失った。 2002年、全盲の弁護士竹下義樹をサポートし、アイランドピーク(6,160m)登頂に成功。2005年5月同じく竹下義樹をサポートし、チョ・オユーに挑戦するが天候不良のため7,950m地点で断念。
角谷 道弘(かどや みちひろ、1963年10月7日 - )は… 角谷 道弘(かどや みちひろ、1963年10月7日 - )は大阪府出身の登山家、山岳ガイド。 1988年、信州大学農学部を卒業。1995年に勤務していた会社を退社して山岳ガイドを始めた。2000年に日本テレビの番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ』内でマッターホルン (4,478 m) 登頂部のコーチを務め、2010年からは同局の番組『世界の果てまでイッテQ!』の番組内企画であるイッテQ登山部のガイドとして登山企画などに関わる。 2012年3月8日、八ヶ岳で日本山岳ガイド協会試験の講師を務めていたところ、受験者の滑落事故に巻き込まれ、大腿部の付根および骨盤の一部を粉砕骨折。人工骨を埋め込むこととなった。
近藤 謙司(こんどう けんじ、1962年9月13日 - )は… 近藤 謙司(こんどう けんじ、1962年9月13日 - )は、日本の登山家、国際山岳ガイド、会社経営者。
北村 俊之(きたむら としゆき、1962年 - )は、日本の… 北村 俊之(きたむら としゆき、1962年 - )は、日本の登山家、山岳ガイド。 1962年、東京都に生まれる。小学校より野外活動、登山に親しむ。早稲田大学入学後、学内クラブおよび社会人山岳会で本格的登山に取り組む。1985年早稲田大卒業後、日本石油に就職。大学時代のクラブや社会人山岳会で本格的に登山に取り組み、1993年に日本石油を退社。 その後ブロードピーク三山無酸素アルパインスタイル縦走、ナンガパルバット登頂(個人隊)、チョ・オユー無酸素単独登頂など、8000m峰7座登頂(うち4座無酸素)を果たした。2004年に国際山岳ガイド資格取得。毎年世界の高峰山岳ガイドを行う。海外ガイド歴は、アコンカグア、ペルーアンデス、キリマンジャロ、マナスル等。
倉岡 裕之(くらおか ひろゆき、1961年8月3日 - )は… 倉岡 裕之(くらおか ひろゆき、1961年8月3日 - )は、日本の登山家、山岳ガイド。エベレスト登頂11回は日本人最多。 1961年8月3日、東京都に生まれる。我孫子市内の小中学校を卒業。中学校時代から丹沢で登山に親しむ。高校進学後、山岳部がなかったために毎日手賀沼で10kmタイムトライアルを行って身体を鍛えた。 大学進学後、登攀クラブ蒼氷でクライミングを始め、1984年木本哲らとともにエンゼルフォール(1,283m)を未踏ルートで初登攀成功。 1985年、映画「植村直己物語」の撮影スタッフとして5月マッキンリー登頂、10月エベレストロケに参加する。帰国後、懸垂下降時に事故で大怪我を負い、約12年間クライミングから遠ざかる。
上坂 浩光(こうさか ひろみつ、1960年2月23日 - )… 上坂 浩光(こうさか ひろみつ、1960年2月23日 - )は日本の映画監督、フルドームCGクリエーター、CGアーティスト、日本のアニメーション監督、CGプロダクション有限会社ライブ経営、プログラマー、天体写真家として撮影した天体写真が天文ガイド、星ナビで数回受賞している。小惑星探査機はやぶさ、はやぶさ2(宇宙航空研究開発機構)に関わる映像作品を製作。 学生の頃から天体に興味を持ち、中学生時代は自宅裏で星空を観察してノートに記録し続けた。大学ではデザインを専攻し、卒業後は映像制作会社に入社。一時天体への興味は薄れるが、1990年代にカメラ技術の発達によって天体を高画質で撮影できるようになると、再び天体観測を始めるようになった。
木本 哲(きもと さとし、1956年2月26日 - )は、日… 木本 哲(きもと さとし、1956年2月26日 - )は、日本の登山家、クライマー、山岳ガイド。 1956年2月26日、大分県竹田市生まれ。 1976年、埼玉谷峰山岳会に入会。主に夏場に沢登りを中心に活動する。1979年、山学同志会に入会し、国内外のクライミングや高峰登山で活躍。1980年9月、日英岩登り交流会でイギリスを訪れ、イギリスのクライミング事情を知る。 1985年10月30日、植村直己物語撮影隊としてエベレスト登頂。下山中、自力下山が不能になったカメラマンを救出に向かい重度の凍傷を負い、全両足指を切断する。 1986年、キリマンジャロ南西壁登攀後、急性高山病になったツアー登山者に遭遇。
貫田 宗男(ぬきた むねお、1951年3月21日 - )は、… 貫田 宗男(ぬきた むねお、1951年3月21日 - )は、日本の登山家、山岳ガイド。山口県出身。中央大学卒業。 株式会社ウェック・トレック顧問、日本山岳ガイド協会公認ガイド、社団法人日本山岳協会海外常任委員、社団法人日本山岳会会員(海外委員会委員長、医療委員会委員)、日本勤労者山岳連盟顧問。 山口県熊毛郡生まれ。世田谷区松原育ち。 佼成学園中学校・高等学校登山部で登山を始める。中央大学入学と同時に「日本エキスパートクライマーズクラブ(JECC)」へ入会。21歳でヨーロッパアルプスを経験。23歳で渡米。1979年、ダウラギリV峰(7,618m/ネパール)登頂。中央大学卒業後は、アメリカ、カナダで登山ガイドに従事。
糸数 慶子(いとかず けいこ、1947年10月11日 - )… 糸数 慶子(いとかず けいこ、1947年10月11日 - )は、日本のバスガイド、政治家。オール沖縄共同代表。 参議院議員(3期)、沖縄社会大衆党委員長(第11代)、沖縄県議会議員(3期)を務めた。 1947年、中頭郡読谷村生まれ。米軍統治下で育ち、米軍基地・読谷補助飛行場で実施されたパラシュート演習で投下されたトレーラーに小学生の少女が圧殺された事件(1965年6月11日)をきっかけにはじまった米軍抗議集会に初参加。 1966年に琉球政府立読谷高等学校卒業後、琉球放送の番組「土曜ワイド」アシスタントや、沖縄バス・東陽バス等のバスガイドに勤務。沖縄県の歴史や現状を県外、国外の人に伝えるバスガイド経験は20年以上におよぶ。
浜田 義史(はまだ よしふみ、1947年5月14日 - )は… 浜田 義史(はまだ よしふみ、1947年5月14日 - )は、日本のマーケティングエンジニア、クリエーター、ビジネスマン、特許保有ビジネス、服飾コンサルタント、食ガイド。 日本のパーソナルコンピューター黎明期に活躍した企業「アスキー」の創業者・西和彦の右腕として知られる。 東京都目黒区生まれ。サレジオ高等学院卒業。獨協大学法学部中退。青年期には学生運動に参加し、逮捕・投獄を経験。さらに重い病を患い、精神的にも過酷な青春時代を送った。 1982年2月、アスキーの関連会社「ASCII Consumer Products(ACP)」に入社。当時アスキーマイクロソフト部門事業部長だった古川享(のちのMicrosoft日本法人初代社長)は、浜田の会社でアルバイトをしていた縁があり、京都セラミック(現・京セラ)社長稲盛和夫からの支援を受ける。
木村 殖(きむら しげる、1905年 - 1974年12月2… 木村 殖(きむら しげる、1905年 - 1974年12月22日)は、日本の登山家、山岳ガイド、山小屋経営者。北アルプス山中の上高地に永く定住し、山小屋の経営などにあたるかたわら、第二次世界大戦の前後を通して千数百件におよぶ山岳遭難救助活動を行なった。 1905年当時の長野県南安曇郡三田村田多井(現在の安曇野市堀金三田田多井)に生まれる。 1925年、志願兵として陸軍第19師団歩兵第75連隊に入り、会寧の国境守備大隊に配置された。入営後1年半ほどしてから、選抜されて陸軍歩兵学校に学んだ。 兵役を終えた後、外交官を志し、普通文官試験の受験勉強に取り組むべく、1927年に父親が管理人をしていた上高地の温泉ホテルに住み込む。
宇都宮 とみ子(うつのみや とみこ)は、日本のジオガイド、市… 宇都宮 とみ子(うつのみや とみこ)は、日本のジオガイド、市民活動家。愛媛県西予市出身。三瓶町の須崎海岸などでジオパークのガイドを行っている。四国西予ジオガイドネットワーク・ガイド部会長。いよココロザシ大学講師。 愛媛県西予市三瓶町出身。 生まれ育った三瓶町の須崎海岸の食べ物や暮らしをテーマにイベントを開催している。 2012年7月にジオパーク解説会に参加したことをきっかけに「ジオパーク」という言葉を知った。そこで、知名度が低く観光資源が少ないと考えていた西予市をジオパークとして売ることを考えついた。翌年からジオパーク現地研修会へ参加。須崎海岸を歩き、4億年かけてできた地層を目の当たりにした。その後記事には、「歴史は好きですが、ジオという地球の歴史は理系の苦手な私には「難しい」科目でした。
東恩納 琢磨(ひがしおんな たくま)は、日本の政治家、環境活… 東恩納 琢磨(ひがしおんな たくま)は、日本の政治家、環境活動家、エコツアーガイド。名護市議会議員(4期、無会派)。オール沖縄参加団体のヘリ基地反対協議会事務局長、元共同代表。ジュゴン保護基金委員会事務局長。エコツーリズム事業を行う環境保護団体「じゅごんの里」代表。沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団団長。 沖縄県名護市瀬嵩出身。1977年に名護市立久志中学校を卒業、1980年に沖縄県立宜野座高等学校を卒業。 1982年、那覇市の設計コンサルタント会社に勤務。 1987年、潜水士免許を取得し、海洋調査などに携わる。 1996年、建設会社に勤務働しつつ、1級土木施行管理技士となる。 1997年、名護市の人材育成市民講座「親方塾」にて「久志山海塾」を設立、塾長を2期務め、同年の名護市米軍ヘリ基地建設の是非を問う住民投票に参加し、建設会社を退社。