角幡 唯介(かくはた ゆうすけ、1976年2月5日 - )は… 角幡 唯介(かくはた ゆうすけ、1976年2月5日 - )は、日本のノンフィクション作家・探検家。北海道芦別市生まれ。神奈川県鎌倉市在住。
職業が探検家:34人
角幡 唯介(かくはた ゆうすけ、1976年2月5日 - )は… 角幡 唯介(かくはた ゆうすけ、1976年2月5日 - )は、日本のノンフィクション作家・探検家。北海道芦別市生まれ。神奈川県鎌倉市在住。
渡辺 雅史(わたなべ まさし、1975年2月1日 - )は、… 渡辺 雅史(わたなべ まさし、1975年2月1日 - )は、日本の放送作家、Uber Eats配達員、フリーライター、鉄道作家、時刻表探検家。ウーバーイーツユニオン執行委員長。埼玉県入間市出身。身長181cm。体重82kg。 学生時代より伊集院光のラジオ番組のハガキ職人をしていた。当時のペンネームはさば味噌煮。ニッポン放送の前で幾度となく出待ちを繰り返した結果、伊集院にスカウトされ、同局のアルバイトとして放送に関わるようになり現在に至る。 現在は、『伊集院光 日曜日の秘密基地』の後番組となった『爆笑問題の日曜サンデー』などで構成を担当。かつて、構成を担当していた『伊集院光 深夜の馬鹿力』においては「構成渡辺」、「構成の渡辺くん」と称されていた。
田中 彰(たなか あきら、1972年11月10日 - )は、… 田中 彰(たなか あきら、1972年11月10日 - )は、日本の渓谷探検家、キャニオニングガイド。兵庫県淡路島出身。国際キャニオニング協会(CIC)認定インストラクター一般社団法人ジャパンキャニオニング協会 副理事Commission Internationale de Canyon (CIC) certified instructorDeputy Director, Japan Canyoning Association 関西大学文学部・地学地理学科を卒業。在学中は探検部に所属。[要出典] マダガスカルで樹冠研究の方法開発のために樹上で1か月滞在した。 卒業後は、吉野川でラフティングガイドを生業としていたが、29歳の時に日本にはなかったアクティビティ「キャニオニング」と出会いその世界に没頭する。
山崎 哲秀(やまさき てつひで、1967年10月2日 - 2… 山崎 哲秀(やまさき てつひで、1967年10月2日 - 2023年11月29日)は、日本の犬ぞり探検家。グリーンランドの北極圏で自ら探検家として活動するとともに、日本の極地調査研究活動を支援した。「アバンナット北極プロジェクト」を設立し、犬ぞりによる北極圏の観測調査遠征をおこなったほか、エスキモー文化の継承や、エスキモー社会と日本社会の友好交流を図る活動を行った。 兵庫県出身。父は原子力発電所の技術者。洛南高校(京都府)卒業後、植村直己に憧れて大学に進学せずにアルバイトを繰り返して海外旅行に出かけた。 1988年にアマゾン河イカダ下り単独行を経て、1989年からは北極圏(主にグリーンランド)遠征を繰り返し、グリーンランド北部エスキモー式の犬ぞり技術や狩猟技術を継承。
髙橋 大輔(たかはし だいすけ、1966年 - )は、日本の… 髙橋 大輔(たかはし だいすけ、1966年 - )は、日本の探検家、作家。秋田県秋田市出身。探検家クラブ(ニューヨーク)および王立地理学協会のフェロー会員。 明治大学政治経済学部在学中から世界六大陸を放浪。「物語を旅する」をテーマに世界各地の神話や伝説を検証し、文献と現場への旅を重ねている。 2005年、米国のナショナルジオグラフィック協会から支援を受けたロビンソン・クルーソー島国際探検隊でエクスペディション・リーダー(探検隊長)を務め、ロビンソン・クルーソーのモデルであったアレクサンダー・セルカークの住居跡を発見した。
広部 俊明(ひろべ としあき、1965年4月29日 - )は… 広部 俊明(ひろべ としあき、1965年4月29日 - )は、日本の水中探検家。本名は旧字体の廣部(ひろべ)。 1986年に友人らと結成したロックバンド「夢工場」(1988年に「The Blimp Club」と改名)のボーカルでもある。HERO-β名義でソロアーティストとしても活動している。マリンドリーム夢塾オーナーガイド。沖縄県恩納村在住 。 2011年5月5日、約2年の交際を経て、女優の羽田美智子と結婚。広部の生活の拠点としている沖縄と、羽田が仕事の拠点としている東京とを行き来する、云わば通い婚のような生活を続けた。2017年に離婚していたことを2018年3月に発表した。 父は薬学者で東京大学名誉教授の廣部雅昭。
瀬戸 圭祐(せと けいすけ、1960年4月 - )は日本の自… 瀬戸 圭祐(せと けいすけ、1960年4月 - )は日本の自転車愛好家、アウトドアアドバイザー、野湯探検家。 トヨタ自動車株式会社勤務、NPO法人自転車活用推進研究会理事、(⼀社)グッドチャリズム宣言プロジェクト理事、読売カルチャーセンター講師。公益財団法人日本サイクリング協会常任委員 大阪府生まれ。1972年中学1年生の時に自転車での淡路島一周を皮切りに、中学高校時代に日本全国を自転車で走破。自転車にて乗鞍岳(3026m)御嶽(3067m)に登頂し、富士山(3776m)には6合目から頂上までを1時間50分で担ぎ上げて最短記録を樹立。 国内の2000m以上の峠や主だった峠を全て自転車で制覇。 登山では国内の標高3000m以上の21座全てに登頂した「3Kサミッター」 日本百名山のほとんどに登頂(80座以上で更新中) 1979年同志社大学経済学部入学。
山田 高司(やまだたかし、1958年 - )は、日本の探検家… 山田 高司(やまだたかし、1958年 - )は、日本の探検家、環境活動家、イラストレーター。[要出典] 東京農業大学拓殖学科(現・国際農業開発学科)卒業。在学中、東京農業大学探検部に所属。 アマゾン川、コンゴ川、長江等、世界の川を中心に旅し、環境NGOを始める。 2024年、「イラクの巨大湿地帯(アフワール)探検」により植村直己冒険賞をノンフィクション作家の高野秀行とともに受賞。 高野秀行とは、高野が早稲田大学探検部在籍時代に知り合い、高野は山田を唯一の師匠としている。
舟津圭三(ふなづ けいぞう、1957年 - )は、日本の探検… 舟津圭三(ふなづ けいぞう、1957年 - )は、日本の探検家。犬ゾリレーサーとして、現在アラスカのフェアバンクスに在住。1989年12月から1990年3月にかけて行われた犬ゾリによる世界初の南極横断を達成。
舟津 圭三(ふなつ けいぞう、1956年 - )は、日本の探… 舟津 圭三(ふなつ けいぞう、1956年 - )は、日本の探検家。大阪市出身。 犬ゾリレーサーとして、アラスカのフェアバンクスに在住経歴あり。2015年より北海道、仁木町にあるワイナリーNIKI Hills Wineryにて総支配人を勤める。1989年7月から1990年3月にかけて行われた犬ゾリによる世界初の南極横断を達成した人物として知られる。極地探検家・ガイド。
上温湯 隆(かみおんゆ たかし、1952年11月29日 - … 上温湯 隆(かみおんゆ たかし、1952年11月29日 - 1975年5月29日、22歳没)は、日本の冒険家、探検家。 高校中退後、国内沿海航路貨物船の見習いコックとして働き、資金を貯めた上温湯は、1970年2月1日、50か国にわたる“世界放浪”へ旅立つ。 東京-沖縄-台湾から旅は始まり、アジア、ヨーロッパを経てアフリカへ入る。アフリカでは、エジプト - スーダン - エチオピア - ケニア - タンザニア - マラウイ - モザンビーク - ザンビア - ザイール - 中央アフリカ - カメルーン - ナイジェリア - ダオメー - トーゴ - ガーナ - コートジボワール - マリ - ニジェール - アルジェリアを通り、ヨーロッパへ一度戻りアルバイトで資金を貯めてから、モロッコ - 西サハラ - モーリタニア - マリ - セネガルへと旅を続けた。
星野 道夫(ほしの みちお、1952年9月27日 - 199… 星野 道夫(ほしの みちお、1952年9月27日 - 1996年8月8日)は、写真家、探検家、詩人。千葉県市川市出身。
根本 純(ねもと じゅん、1951年 - )は、日本のラリー… 根本 純(ねもと じゅん、1951年 - )は、日本のラリードライバー、自動車評論家、ドライビングインストラクター、環境探検家。神奈川県藤沢市鵠沼生まれ、東京都文京区在住。元文京区区議会議員、元衆参議院政策秘書。 第3回パリ・ダカールラリーに日本人として初出場し、13回完走6回。テレビ取材など、世界55カ国を 体感、実感、共感。大地に寝泊り、人と自然に接してきたなかで砂漠化、温暖化、飢餓など地球規模の環境悪化を体感した実践派。 19歳からラリーに参加し、大自然と対峙し己とパートナー、そしてクルマとの三位一体を求めるラリー競技の魅力にはまり代表の「Five & Quarter Rally Club」53年目。
関野 吉晴(せきの よしはる、1949年1月20日 - )は… 関野 吉晴(せきの よしはる、1949年1月20日 - )は、日本の探検家・人類学者・外科医。武蔵野美術大学名誉教授。1999年植村直己冒険賞、2000年旅の文化賞(旅の文化研究所)。 東京都墨田区出身。父は小学校教諭。1975年一橋大学法学部卒業、1976年一橋大学社会学部中退、1982年横浜市立大学医学部医学科卒業。 一橋大学在学中に自ら探検部を創設。大学3年次の1971年に1年間休学し、3人で部隊を組みアマゾン川全流域を下る。その後南米中を旅行する。早稲田大学探検部にも参加し、現在は早稲田大学探検部OB会の二木会会員。留年、休学、編入と、7年間大学に在籍。 7年かけて法学部を卒業した後、一橋大学社会学部3年に編入して、探検家に必要な知識を身につけるため社会人類学のゼミを受講していた。
青木 章(あおき あきら、1948年 - 2023年)は日本… 青木 章(あおき あきら、1948年 - 2023年)は日本の火山探検家。 立正大学探検部時代に、諏訪之瀬島で火山の噴火を目撃し、大きな感動をうけて火山の虜になり、以後諏訪之瀬島、伊豆大島三原山、阿蘇山、桜島、浅間山、昭和新山、焼山などの火山で火口近くから火山活動を観測・撮影に取り組んできた。1969年に諏訪之瀬島の富立岳を初登頂し、2023年に富立岳白水の滝源流で遭難死した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡村 隆(おかむら たかし、1948年 - 2025年7月9… 岡村 隆(おかむら たかし、1948年 - 2025年7月9日)は日本の探検家、作家、編集者。NPO法人南アジア遺跡探検調査会理事長、第23回植村直己冒険賞受賞。 1948年、宮崎県小林市に生まれる。宮崎県立小林高校を経て、1972年に法政大学文学部日本文学科を卒業する。在学中は探検部で活動し、1969年、独立直後で鎖国状態のインド洋モルディブへ特例で入国、日本人初の長期滞在者となり、半年間の民俗調査ののちスリランカの密林遺跡探検に転じる。大学卒業後は著述業や東海教育研究所の月刊誌『望星』編集長などの本業の傍ら、法政大学探検部などを母体に探査隊を組織して、これまでに同国で約250カ所、モルディブで11カ所の遺跡を発見、調査する。
藤岡 弘、(ふじおか ひろし、1946年〈昭和21年〉2月1… 藤岡 弘、(ふじおか ひろし、1946年〈昭和21年〉2月19日 - )は、日本の俳優、タレント、武道家、声優、歌手、探検家、実業家。本名は藤岡 邦弘(ふじおか くにひろ)。旧芸名は藤岡 弘(読み同じ)。 1971年から1973年にかけて放送された特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の本郷猛役で主演を務め、一躍人気俳優となる。また、日本人として初めて全米映画俳優組合(SAG、現在のSAG-AFTRA)のメンバーとなったことでも知られる。2002年(平成14年)に川口浩の後任として「藤岡弘、探検シリーズ」が開始されて以降、“藤岡隊長”が愛称になっている。 愛媛県上浮穴郡久万町(現・久万高原町)出身。松山聖陵高等学校卒業。
馬場 章夫(ばんば ふみお、1939年〈昭和14年〉7月1日… 馬場 章夫(ばんば ふみお、1939年〈昭和14年〉7月1日 - )は日本のタレント、ラジオパーソナリティ、探検家。滋賀県高島郡高島町(現在の高島市)出身。既婚。 中学2年時まで滋賀県高島町で生活した後に、岡崎中学校の3年に編入。左京区北白川別当町に居住。高校3年時に大学を受験したが、1校も合格に至らず、1年間の浪人生活を経て京都市立芸術大学へ入学した。4人兄弟。8歳上の兄、姉がいる。 京都市立芸術大学への在学中に、探検部を創設。大学を6年がかりで卒業した後に、アフリカやミクロネシアを探検しては、その成果を新聞や雑誌に発表していた。本人によれば、日本人で初めて「プロ探検家」の肩書を名乗ったとされる。
川口 浩(かわぐち ひろし、1936年(昭和11年)8月22… 川口 浩(かわぐち ひろし、1936年(昭和11年)8月22日 - 1987年(昭和62年)11月17日)は、日本の映画俳優・タレント・探検家。作家で大映専務の川口松太郎、女優の三益愛子夫妻の長男。女優の野添ひとみの夫、元俳優の川口恒、川口厚、元女優の川口晶(現在は陶芸家の国重晶)の長兄。元タカラジェンヌで宝塚歌劇団24期生の紀川瑠璃子は母方の叔母にあたる。
向一陽(むこう いちよう、1935年1月22日- )は、日本… 向一陽(むこう いちよう、1935年1月22日- )は、日本のジャーナリスト、探検家。 佐賀県唐津市生まれ。1960年東京外国語大学英米科卒業、共同通信社入社。社会部長、論説委員兼編集委員などをへて95年退社。日本記者クラブ会員。日本山岳会会員。1973-76年奥アマゾン探検隊隊長ほか、アンデス、南極、北極、アラスカ、オセアニア、ミクロネシア、ヒマラヤ、アジア各地で探検、登山、取材をした。
斉藤 実(さいとう みのる、1931年3月7日 - 1999… 斉藤 実(さいとう みのる、1931年3月7日 - 1999年11月22日)は日本の記録映画監督・探検家。1975年(昭和50年)に実施されたヘノカッパⅡ世号での漂流実験が有名。 1931年千葉県に生まれ、中央大学経済部卒業。記録映画の監督となり、自らマグロ漁船に乗り込み、撮影を続けた。 1965年(昭和40年)9月、TV局の依頼を受け、近海マグロ船の取材中に台風26号に遭遇し、乗船は無事だったが、同日に別の漁船が遭難、十数時間後に救助されていたにもかかわらず二人が死亡したこと、また翌10月にマリアナ群島沖で、静岡のカツオ船団が台風に巻き込まれ多くの遭難者を出したこと(マリアナ海域漁船集団遭難事件)に衝撃を受ける。
岩佐 嘉親(いわさ よしちか、1922年〈大正11年〉7月2… 岩佐 嘉親(いわさ よしちか、1922年〈大正11年〉7月21日 - 2014年〈平成26年〉2月17日)は、日本の探検家、研究者。 広島県呉市生まれ。1942年関西高等工業学校(現:大阪工業大学)卒業。1965年太平洋文化研究所を設立して所長となる。1959年より1995年までの間に50数回にわたってポリネシアを中心とした南太平洋海域の民俗学的な調査をする。 太平洋地域の言語の入門書・会話集も多数執筆した。サモア語やフィジー語など、類書がほかになく、その言語を学習する者にとって、日本語で書かれたものとしては唯一の教材であるものもある。オセアニアの諸語だけでなく、パプア・ニュー・ギニアのトク・ピシンについても入門書を執筆している。
菊池 徹(きくち とおる、1921年6月27日 - 2006… 菊池 徹(きくち とおる、1921年6月27日 - 2006年4月10日)は、日本の南極探検家。 1921年、兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)に生まれる。大阪府立北野中学校卒業。中学時代より、登山部に入り登山活動を行う。浪人し、北海道大学予科に入学、1946年3月、北海道大学理学部地質学鉱物学科を卒業する。 大学卒業後、父親の経営する会社の役員につくも、地質学の知識が買われ、商工省の地質調査所に就職する。 1956年、第一次南極地域観測隊の隊員53名の一人に抜擢される。1957年1月29日、南極地域観測隊のメンバーが、南極の東オングル島に上陸する。昭和基地が設営され、菊池徹は、11名の南極越冬隊員の一人となり、1957年の『冬』の越冬活動に参加する。
朝比奈 菊雄(あさひな きくお、1917年〈大正6年〉9月1… 朝比奈 菊雄(あさひな きくお、1917年〈大正6年〉9月17日 - 2003年〈平成15年〉3月13日)は、昭和から平成時代の薬学者、南極探検家。昆虫学者の朝比奈正二郎は兄。 薬学者の朝比奈泰彦の四男として東京府に生まれる。旧制松本高等学校理科乙類を経て、1941年(昭和16年)12月、東京大学医学部薬学科卒業後、海軍短期現役薬剤中尉に任官し、1946年(昭和21年)3月に終戦により復員する。戦後は武田薬品工業研究所に勤務し、1954年(昭和29年)錠剤の管理に関する論文により製剤学の分野で第1号の学位を取得する。1956年(昭和31年)10月、第1次南極地域観測隊に同行し、日刊「南極新聞」の編集を担当する。
蜂須賀 正氏(はちすか まさうじ、1903年〈明治36年〉2… 蜂須賀 正氏(はちすか まさうじ、1903年〈明治36年〉2月15日 - 1953年〈昭和28年〉5月14日)は、日本の鳥類学者、華族(侯爵)、貴族院議員、探検家、飛行家。絶滅鳥ドードー研究の権威として知られた他、沖縄本島と宮古島との間に引かれた生物地理学上の線である蜂須賀線に名をとどめている。徳川家斉の玄孫。 旧徳島藩藩主・蜂須賀家の当主。蜂須賀小六から数えて第18代目にあたる。 1903年(明治36年)2月15日、東京で誕生した。父・蜂須賀正韶は侯爵、貴族院副議長。母・筆子は徳川慶喜の四女。長姉・年子はデザイナー。 学習院初等科に入った頃から生物に著しい関心を示し、先輩の黒田長禮に出会ってから鳥類学に志す。
菅野 力夫(すがの りきお、1887年(明治20年)2月9日… 菅野 力夫(すがの りきお、1887年(明治20年)2月9日 - 1963年(昭和38年)3月12日)は、明治末期から昭和初期にかけて活動した日本の探検家。 8回に及ぶ探検を行い、多くの国々の観光地やその他の土地を訪れ、現地人や日系人と交わった。自身の写真も同時に撮影し、一部は絵葉書としている。講演を多数おこない、旅費を稼いだ。 巨漢で身長5尺8寸(176センチメートル)、1932年に髭を剃るまでは、髭ぼうぼうで顔面を埋め、眼光炯々、三軍を叱咤する風貌であるが、幼児もなつくという性格であった。日本人で菅野をかんのと読む人は多いが、3編の新聞記事ですがのりきおとしている。 福島県安積郡喜久田村(現:郡山市)出身。
矢島 保治郎(やじま やすじろう、1882年(明治15年)8… 矢島 保治郎(やじま やすじろう、1882年(明治15年)8月23日 - 1963年(昭和38年)2月13日)は日本の探検家、軍人。四川省からのルートで初めてチベット入りした人物であり、ダライ・ラマ13世の厚遇を受けてチベットの軍事顧問に就任した。 文献によっては名前が「保次郎」となっているものもあるが、矢島が使っていた名刺や親族からの手紙などには「保治郎」が使われている。 群馬県佐位郡殖蓮村大字上植木(現・伊勢崎市本関町)の裕福な農家の三男に生まれる。群馬県尋常中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を中退後、日露戦争に従軍。乃木希典率いる第三軍で旅順攻囲戦に参加し、突撃隊である白襷隊にも志願した。
波多野 養作(はたの ようさく、1882年3月 - 1935… 波多野 養作(はたの ようさく、1882年3月 - 1935年7月)は、日本の探検家。外務省嘱託。日露戦争末期に外務省の特命で中国西域を探査。
河口 慧海(かわぐち えかい、1866年2月26日(慶応2年… 河口 慧海(かわぐち えかい、1866年2月26日(慶応2年1月12日) - 1945年(昭和20年)2月24日)は、日本の黄檗僧、仏教学者、探検家。幼名は定治郎。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。チベット名はセーラブ・ギャムツォ。チベットでの通称はセライ・アムチー。 日本や中国の漢語仏典に疑問をおぼえ、仏陀本来の教えの意味が分かる書物を求めて、梵語原典やチベット語訳仏典の入手を決意し、日本人として初めてチベットへの入国を果たした。その旅行記は英訳もされ、チベットの聖地伝説化に拍車をかけた。 『西蔵旅行記』『在家仏教』『正真仏教』をはじめとして数多くの著作を残し、慧文社から著作選集も出版されている。
日野 強(ひの つとむ、1866年1月23日(慶応元年12月… 日野 強(ひの つとむ、1866年1月23日(慶応元年12月7日)- 1920年(大正9年)12月23日)は、日本の探検家、大日本帝国陸軍の軍人である。幼名は熊吉。「強」の読み方は戸籍上は「つとむ」であるが、中国で活動していた時期には一般に「きょう」と読まれ、東京地学協会や出口王仁三郎は「つよし」と呼んでいた。日野本人は「きょう」という読み方を使い、「つとむ」の読み方を使っていたのは改まった場面だけだったという。 伊予小松町(現西条市)の常吉、ツヤ夫妻の家に生まれ、一家には強のほかに兄一人、弟二人、妹二人がいた。小学校卒業後に愛媛県師範学校に進み、教職に就くが、転勤先の堀江の小学校の環境に失望する。
白瀬 矗(しらせ のぶ、1861年7月20日〈文久元年6月1… 白瀬 矗(しらせ のぶ、1861年7月20日〈文久元年6月13日〉- 1946年〈昭和21年〉9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。最終階級は陸軍輜重兵中尉。幼名は知教(ちきょう)。 「白瀬中尉」と呼ばれることが多い。 文久元年(1861年)、出羽国由利郡金浦村(現在の秋田県にかほ市)出身。浄蓮寺の住職、白瀬知道・マキエの長男、知教(ちきょう)として生まれた。 南極探検以後になって出版した自伝によると、幼年時代は非常にわんぱくだったという。「金浦の浜辺に漁師が捨てた小魚を狙ってきた狐の尻尾をちぎった」「海に潜って300トンもある千石船の底を潜り抜けようとしたが、抜けられずに溺れて死にかけた」「本堂に引っかった凧を取ろうとして落っこちた」のほか、狼退治や150人と血闘を行ったなどと列挙している。
藤井 宣正(ふじい せんしょう、安政6年3月2日(1859年… 藤井 宣正(ふじい せんしょう、安政6年3月2日(1859年4月4日) - 1903年6月6日)は、日本の宗教家・探検家。島崎藤村の「椰子の葉陰」主人公のモデルとなった人物である。 1859年、越後国三島郡本与板村(現新潟県長岡市与板町本与板)の光西寺に藤井宣界の次男として生まれた。旧制長岡中学を経て慶應義塾に学び、西本願寺からの内地留学生として初めて東京帝大哲学科に学んだ。 東大卒業と同時に西本願寺文学寮教授に就任。当時における仏教学のエキスパートとされ、1891年には日本で初めての仏教通史となる「佛教小史」を著した。1892年に飯山の井上寂英の長女瑞枝と結婚。瑞枝は日本英学校を首席で卒業「心の露」を出版した才媛であり、実家は島崎藤村「破戒」の中で蓮華寺のモデルとなった。
笹森 儀助(ささもり ぎすけ、弘化2年1月25日(1845年… 笹森 儀助(ささもり ぎすけ、弘化2年1月25日(1845年3月3日) - 大正4年(1915年)9月29日)は日本の探検家、政治家、実業家。当時の日本において辺境の地であり、その実態がほとんど分かっていなかった南西諸島や千島列島を調査した他、奄美大島の島司や第2代青森市長も務めている。 また、南西諸島調査の詳細な記録である著書『南嶋探験』は、柳田國男など後の民俗学者に大きな影響を与えた。 1845年(弘化2年)、陸奥国弘前在府町(現・青森県弘前市在府町)に、弘前藩士・笹森重吉の子として生まれる。藩校稽古館(現・東奥義塾高等学校)で学んだ後、弘前藩・青森県に勤め、中津軽郡長も務めるなどしたが、1881年(明治14年)に辞職。
水谷 新六 は、三重県桑名市出身の探検家、実業家である。日本… 水谷 新六 は、三重県桑名市出身の探検家、実業家である。日本人で初めてミクロネシア方面との貿易を開始したと言われ、グランパス島の探検を繰り返す中で南鳥島にたどり着き、その後アホウドリの羽毛採取事業を開始するなど南鳥島の開拓に取り組んだ。またアホウドリなどの資源を追って、沖大東島、東沙諸島、北西ハワイ諸島へとその活躍の場を広げた。その後第一次世界大戦時は、南洋群島の占領を目指す日本海軍の水先案内人を務めた。