久保 卓也(くぼ たくや、1921年12月31日 - 198… 久保 卓也(くぼ たくや、1921年12月31日 - 1980年12月7日)は日本の警察・防衛官僚。元防衛事務次官。
1921年(大正10年)生まれ:698人
久保 卓也(くぼ たくや、1921年12月31日 - 198… 久保 卓也(くぼ たくや、1921年12月31日 - 1980年12月7日)は日本の警察・防衛官僚。元防衛事務次官。
村尾 アサ子(むらお アサこ、旧姓:中村、1921年(大正1… 村尾 アサ子(むらお アサこ、旧姓:中村、1921年(大正10年)12月31日 - 2003年(平成15年))は、日本のオルガニスト。ピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。 東京音楽学校器楽科卒業。香川県高松市出身。 香川県高松市出身。1943年(昭和18年)に東京音楽学校器楽科(現:東京芸術大学音楽学部)を卒業し、オルガンを真篠俊雄、井原秀子に師事する。 大学を卒業後は徳島女子大学音楽学部で講師となり、その後、徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 またこれまでに香川音楽協会、全四国大学音楽学会に所属し、香川県教育委員会音楽指導主事などを歴任した。 2003年(平成15年)、死去。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
近藤 啓吾(こんどう けいご、1921年(大正10年)12月… 近藤 啓吾(こんどう けいご、1921年(大正10年)12月28日 - 2017年(平成29年)12月25日)は、日本の崎門学者。金沢工業大学教授。字は子発。号は紹宇、靖献書屋主人、拾穂書屋主人。 平泉澄の指導を受け、崎門学派の内田周平・岡直養に師事。日本学協会・藝林会・神道史学会・神道宗教学会に所属。 1921年(大正10年)、近藤保二郎(東京高等女学校教頭、松平慶民子爵家の家庭教師)の長男として、静岡県に生まれる。 1940年(昭和15年)3月、旧制麻布中学校卒業。同年4月、大東文化学院本科入学。1942年(昭和17年)10月、大東文化学院本科卒業、大東文化学院高等科入学。内田周平に入門。山崎闇斎の学問の継承を、生涯の業と決意する。
宮田 輝(みやた てる、1921年12月25日 - 1990… 宮田 輝(みやた てる、1921年12月25日 - 1990年7月15日)は、日本のアナウンサー、政治家。参議院議員(3期)。本名、宮田 輝(みやた あきら)。妻は声優の河口恵美子。 東京都足立区出身。血液型B型。明治大学専門部商科卒業。1942年にNHKに入局。NHKにおいて、高橋圭三や青木一雄らと同じく、「芸能番組向けアナウンサー」の先鞭を付けた人物の一人に数えられる。1974年に同局退職後、参議院議員(3期)を務めながらフリーアナウンサーとしても活躍。1990年、議員在職中に死去。 1942年9月に明治大学専門部商科卒業。同年NHKに入局。同期に高橋圭三がいる。1948年10月21日に東京放送劇団の団員であった河口恵美子と結婚。
前川 康男(まえかわ やすお、1921年12月25日 - 2… 前川 康男(まえかわ やすお、1921年12月25日 - 2002年10月14日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 東京出身。1939年早稲田第一高等学院に入学し、「早大童話会」に参加、1942年早稲田大学独文科に入学するが1943年学徒出陣、敗戦後上海に抑留され、1946年帰国。児童文学の出版社に勤めるがこれをやめ児童作家となる決意をし、1950年新潮社でアルバイトを始めそのまま11年間勤める。 1952年「川将軍」「村の一番星」で、児童文学者協会新人賞受賞。1963年「びわの実学校」編集同人となる。1967年『ヤン』で産経児童出版文化賞、1969年『魔神の海』で日本児童文学者協会賞、1981年『かわいそうな自動車の話』で野間児童文芸賞受賞。
三木 良一(みき りょういち、1921年12月23日 - 1… 三木 良一(みき りょういち、1921年12月23日 - 1991年7月8日)は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1946年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に神戸新聞社に入社。1967年に取締役に就任し、1975年に常務、1981年に専務を経て、1982年12月に社長に就任。 1987年2月から1990年2月までに会長を務め、デイリースポーツ社社長も務めた。 1991年7月8日、膵臓癌のために死去。69歳没。
崔 沢元(チェ・テグォン、최택원、1921年12月23日 -… 崔 沢元(チェ・テグォン、최택원、1921年12月23日 - 1995年3月14日)は、大韓民国の軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第四共和国体制で第13代総務処次官。 新義州出身。1943年、日本中央大学卒業。 警備士官学校5期卒業。 在日米軍で研修中に朝鮮戦争開戦を迎え、龍門山の戦いに参加。同年、陸軍大学を経て渡米留学し、米陸軍歩兵学校を卒業。第38師団長、第26師団長、第3師団長等を歴任し、陸軍本部作戦参謀副長で予備役編入後、総務処次官。朴正煕暗殺事件当時、国務会議招集責任者。12.12クーデター直後、行政改革委員長を務めた。 1995年3月14日、ソウル永登浦区汝矣島洞の自宅で老衰により死去した。
藤森 正路(ふじもり まさみち、1921年12月22日 - … 藤森 正路(ふじもり まさみち、1921年12月22日 - 2018年9月6日)は、日本の経営者、工学博士。住友金属鉱山社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1944年に東京帝国大学工学部冶金学科を卒業。1977年6月に住友金属鉱山常務に就任し、1979年6月に専務、1981年6月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1992年6月には相談役に就任。 1982年4月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲一等瑞宝章を受章。 2018年9月6日肝細胞癌のために死去。96歳没。
森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 198… 森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 1987年11月14日)は、日本の実業家、政治家。森下仁丹社長、参議院議員(3期)。 大阪府大阪市出身。森下仁丹創業者森下博の孫。旧制甲南高校から京都帝国大学に進学するも、在学中の1943年3月に祖父の死去に伴い森下仁丹社長に就任。同年9月には戦争の激化に伴い大学を繰り上げ卒業し、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍艦政本部出仕兼海軍航空本部出仕となる。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進。東京監督官事務所監査官付を経て、監督会計官付で終戦を迎えた。
五味 康祐(ごみ やすすけ、1921年12月20日 - 19… 五味 康祐(ごみ やすすけ、1921年12月20日 - 1980年4月1日)は、日本の小説家。 五味の本名は「康祐」であり、ヨミは「やすすけ」であるとされてきた。なお、(公財)練馬区文化振興協会が所蔵する五味自筆の年譜では、本名についての記述はない。一方で、『五味康祐の世界展』図録の添付年譜には、「幼少時は『欣一』または『欣吾』と呼ばれていた」と記載されている。 五味が在学した明治大学に残る史料によると、五味の本名は五味 欣一である。 剣豪を扱った歴史・時代小説を始め数々の作品を発表。特に柳生十兵衛など柳生一族を扱った作品で知られており「五味の柳生か、柳生の五味か」と評された。『週刊新潮』をはじめとする出版社系週刊誌の爆発的流行と軌を一にする、昭和30年代から40年代(1950年代後半から1970年代前半)の流行作家であった。
安田 久雄(やすだ ひさお、Paul Hisao Yasud… 安田 久雄(やすだ ひさお、Paul Hisao Yasuda, 1921年12月20日 - 2016年4月23日)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック大阪大司教区第2代司教。洗礼名は「パウロ」。 福岡県久留米市生まれ。1943年に東京帝国大学農学部水産学科を卒業後、同年から中央気象台化学科生物係、1945年10月から1947年2月まで神戸海洋気象台海洋課化学生物係で働いた。 1951年に東京の上智大学文学部哲学科を卒業し、同年7月から1955年6月までアメリカ合衆国に留学。ボルティモアの聖マリア大学で学び、1955年5月21日に司祭に叙階。同年10月から1957年10月までローマに留学し、教皇庁立ウルバノ大学大学院博士課程を卒業した。
楠本 憲吉(くすもと けんきち、1921年12月19日 - … 楠本 憲吉(くすもと けんきち、1921年12月19日 - 1988年12月17日)は、俳人、随筆家。大阪府生まれ。実家は料亭・なだ万。灘中学校 (旧制)の同級に遠藤周作がいる。慶應義塾大学法学部卒、さらに学士入学で仏文科卒。在学中、1945年より句作を始め「慶大俳句」を組織し、日野草城に師事。のち草城の「青玄」無鑑査同人となる。俳誌「野の会」を主宰、俳句作家連盟会長、現代俳句協会顧問、東横学園女子短期大学客員教授を歴任。一般向けの随筆も多く、女性論、家族論、手紙、食事、酒など話題が豊富で洒脱な語り口ゆえ、テレビにもしばしば出演した。
海野 一隆(うんの かずたか、1921年12月19日 - 2… 海野 一隆(うんの かずたか、1921年12月19日 - 2006年5月4日)は、日本の地理学者(東洋地理学史)。大阪大学名誉教授。 1921年、静岡県浜松市生まれ。第七高等学校造士館を経て、京都帝国大学文学部に進学。史学科地理学専攻で小牧実繁、室賀信夫に師事した。1945年に同大学文学部を卒業。卒業後は岐阜県の中学校教員となった。 1948年、大阪第二師範学校の教員となった。その後、大阪学芸大学講師、後に助教授昇格。1963年、大阪大学教養部教授となり、人文地理学講座を担当した。1985年に大阪大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、大阪清浄女子短期大学で教鞭をとり、1991年に退任した。
工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18… 工藤 巌(くどう いわお、1921年(大正10年)12月18日 - 1998年(平成10年)8月25日)は、日本の政治家。岩手県知事(1期)、衆議院議員(5期)、盛岡市長(3期)。 文教政策に精通。衆議院議員時代には文教委員長を務めたほか、知事在任中には岩手県立大学の総合大学としての設立を決めた。 盛岡中学校、第一高等学校、東京大学法学部卒業後、岩手県立盛岡高等学校に教師として赴任。その後岩手県庁に入庁。企画部長などを経て、1969年盛岡市長に立候補して当選。 3期目途中の1979年、政界を引退した野原正勝の後継者として旧岩手1区から衆議院議員選挙に立候補し初当選。以後5回連続当選。自由民主党の河本派に所属し、国土政務次官、文部政務次官、衆議院文教委員長、党人事局長、政務調査会副会長などを歴任。
山本 七平(やまもと しちへい、1921年(大正10年)12… 山本 七平(やまもと しちへい、1921年(大正10年)12月18日 - 1991年(平成3年)12月10日)は、山本書店店主。評論家として、主に戦後の保守系マスメディアで活動した。
木内 佳市(きうち かいち、1921年12月18日 - )は… 木内 佳市(きうち かいち、1921年12月18日 - )は、日本の会計学者。大阪大学名誉教授。 宮崎県生まれ。神戸商業大学卒。平井泰太郎門下。1959年「減価償却論」で、大阪大学より経済学博士の学位を取得。名古屋大学講師、大阪大学法経学部助教授、改組により大阪大学経済学部助教授、教授、1985年定年退官となり名誉教授、追手門学院大学教授を経て、1990年京都学園大学学長となった。
三戸 公(みと ただし、1921年12月17日 - 2022… 三戸 公(みと ただし、1921年12月17日 - 2022年10月18日)は、日本の経営学者。立教大学名誉教授、中京大学名誉教授。企業の経済学的研究の枠を超えた「人としての経営学」の確立と体系化を行うとともに、日本労務学会会長、経営哲学学会会長、経営学史学会会長等も歴任し、日本の経営学研究の発展に大きく貢献した。 山口県生まれ。1949年九州大学法文学部卒。在学中は馬場克三に師事。1955年熊本商科大学助教授、1956年同志社大学商学部助教授。 1961年立教大学経済学部助教授、1963年から1965年まで経営学科長を務める。1966年「個別資本論序説」で九州大学より経済学博士の学位を取得。1970年立教大学経済学部教授。
古性 直(ふるしょう ただし、1921年(大正10年)12月… 古性 直(ふるしょう ただし、1921年(大正10年)12月17日 - 2000年(平成12年)8月21日)は、日本の政治家。元東京都足立区長。 のちの東京都足立区出身。1941年(昭和16年)青山師範本科二部を卒業する。1967年(昭和42年)足立区議会議員に当選し3期務め、同議長を歴任した。1978年(昭和53年)足立区助役となり、1980年(昭和55年)より同区長に4選した。1997年、勲三等瑞宝章受章。叙正五位。
おおば比呂司(おおば ひろし、1921年12月17日 - 1… おおば比呂司(おおば ひろし、1921年12月17日 - 1988年8月18日)は、日本の漫画家、デザイナー。北海道札幌市出身。本名は、大場博司。 漫画集団に所属し、イラストレーションの手法を取り入れたユニークな一コマ漫画で知られた。デザイナーとしての評価も高く、商業デザインの分野でも活躍した漫画家の草分けでもあった。また、テレビタレントとしても活動した。 蕎麦屋を営む大場清男・サン夫妻の次男として生まれ、幼少期から漫画・イラストの才能を発揮。札幌市第二高等小学校(現・柏中学校)卒業後印刷会社や看板描き、草履店での丁稚奉公を経て、1942年12月・21歳の時に徴兵で陸軍航空隊に入隊し整備士となる。
松永 信夫(まつなが のぶお、1921年12月16日 - 2… 松永 信夫(まつなが のぶお、1921年12月16日 - 2007年9月25日)は静岡県志太郡出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフルバック。「ベルリンの奇跡」の立役者だった松永行は実兄。日本軽金属などに所属し、日本代表として1954 FIFAワールドカップ・予選など、国際Aマッチ4試合に出場した。 静岡県立志太中学校(現静岡県立藤枝東高等学校)、東京文理科大学(現:筑波大学)卒業。第二次世界大戦中の1943年に陸軍に徴兵されフィリピン・ミンダナオ島に配属された経験を持つ。 戦後、志太クラブや後藤缶詰でプレーを続け、インドで1951年アジア競技大会が開催された際、日本代表に選出されたが、前述の陸軍の経験もあってビザの発給が許可されなかったという。
森 直兄(もり なおえ、1921年〈大正10年〉12月16日… 森 直兄(もり なおえ、1921年〈大正10年〉12月16日 - 1987年〈昭和62年〉4月16日)は、昭和期の教育者、政治家。教職から東京都稲城町長に就任し、稲城町の市政施行に伴い初代の稲城市長となった。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 森一郎(後の町長)の息子として生まれる。市長になる前は調布市の小学校の教師をやっていた。1970年(昭和45年)には、稲城市立第五小学校(今は廃校)の初代校長に就任する。1971年(昭和46年)に町長選挙により、町長に就任する。その後、同年11月1日に市政執行により、稲城市の初代市長になる。 なお、市長在任中は『広報いなぎ』に「おもうこと」という文章を執筆した。
八木 昇(やぎ のぼる、1921年12月14日 - 2005… 八木 昇(やぎ のぼる、1921年12月14日 - 2005年4月26日)は、佐賀県出身の政治家、元衆議院議員。日本社会党所属。 1921年、佐賀郡富士町(現、佐賀市)で生まれる。福岡中学、早稲田大学を経て、1942年に九州配電(後の九州電力)に入社。1944年、歩兵第48連隊(久留米)入隊、フィリピン、モンテンルパ捕虜収容所より復員。 日本電気産業労働組合(電産)中央執行委員をはじめ、佐賀県総評初代議長、労働金庫初代理事長を務め、佐賀県労働運動や労働者福祉運動の礎を築いた。衆議院議員は1955年の第27回衆議院議員総選挙で初当選、以来計9期(25年9ヶ月)を務めた。 1992年4月の春の叙勲で勲一等に叙され、瑞宝章を受章する。
前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2… 前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2003年2月6日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 1921年、大阪府で生まれた。東京帝国大学文学部で学び、1944年に卒業。卒業後は兵役に就いた。 戦後は、関西大学予科講師となった。後に助教授昇格。1950年、京都大学教養部助教授に転じた。1967年に同教授昇格。1985年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は摂南大学教授として教鞭をとった。晩年は『フロイデ独和辞典』監修 (白水社 2003)ほか辞書編纂に関わった。 2003年2月6日、肺癌のため死去。 専門はドイツ文学で、ゲーテ、カフカ、トーマス・マンなどの多くの翻訳を行った。
越中 哲也(えっちゅう てつや、1921年12月13日 - … 越中 哲也(えっちゅう てつや、1921年12月13日 - 2021年9月25日)は、長崎市出身の郷土史家。長崎歴史文化協会では理事長を務めていた。長崎純心大学名誉教授。 長崎の民話「飴屋の幽霊」(毎年8月16日が御開帳日となる「産女の幽霊像」も光源寺で保管)の話の舞台になった光源寺の息子として生まれる。長崎県立長崎中学校、龍谷大学文学部仏教学科卒業後、徴兵され戦地へ。復員直後、焼け残った県立図書館に通っていたところ古賀十二郎、渡辺庫輔、片岡弥吉、林源吉、永島正一などの郷土史家に出会ったことが契機となり、自身も郷土史研究の道を歩むことになる。1955年(昭和30年)に長崎市職員となり、長崎市立博物館に学芸員として勤務、1974年(昭和49年)館長に就任。
穂積 重行(ほづみ しげゆき、1921年12月11日 - 2… 穂積 重行(ほづみ しげゆき、1921年12月11日 - 2014年11月3日)は、日本の西洋史学者。
岡田 宗治(おかだ むねはる、1921年 <大正10年> 1… 岡田 宗治(おかだ むねはる、1921年 <大正10年> 12月11日 - 2005年 <平成17年> 8月18日)は、日本の経営者。福島テレビ社長を務めた。位階は正五位。 北海道出身。1941年に麻布獣医専門学校を卒業し、後に福島県庁に入庁し、1976年には福島県副知事に就任。1979年には福島テレビ社長に就任。 1992年に勲三等瑞宝章を受章。 2005年8月18日、肺炎のために死去。83歳没。死没日付をもって正八位から正五位に進階した。
鳥山 成人(とりやま しげと、1921年12月11日- 20… 鳥山 成人(とりやま しげと、1921年12月11日- 2005年2月14日)は、日本の歴史学者。専門はロシア史、東欧史。北海道大学名誉教授。 1921年、北海道生まれ。1943年、東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。財団法人東亜研究所研究員、二十世紀研究所研究員、歴史科学研究所研究員を務める。 1948年に、北海道大学法文学部助教授就任。その後1953年に文学部助教授。1956年に法学部(スラブ研究施設)助教授、1963年、同教授。1969年文学部教授となり、1985年3月の定年退官まで勤務。 その後、中央大学文学部教授に就き、1992年退職。 近世ロシア史を専門としたが、より広く東欧・ビザンツ世界の歴史も日本に紹介した。
宮内 璋(みやうち あきら、1921年12月11日 - 20… 宮内 璋(みやうち あきら、1921年12月11日 - 2008年4月30日)は、日本の哲学者。南山大学名誉教授。専門はギリシア哲学。 東京出身。東京帝国大学文学部哲学科卒業。1953年南山大学に赴任。南山大学講師、同助教授を経て1968年同文学部教授。1990年より南山大学名誉教授。1996年、勲四等旭日小綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平ノ戸 千代蔵(ひらのと ちよぞう、1921年12月10日 … 平ノ戸 千代蔵(ひらのと ちよぞう、1921年12月10日 - 2009年1月2日[要出典])は、長崎県佐世保市東浜町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は磯本 千代一(いそもと ちよいち)。最高位は東前頭17枚目(1955年3月場所)。現役時代の体格は174cm、97kg。得意手は右四つ、寄り。 1940年に上京し、同じ佐世保市出身の肥州山の伝で、出羽海部屋へ入門。同年5月場所で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は本名と同じ「磯本」だったが、「磯ノ海」「大湊」を経て、1951年1月より故郷に程近い北松浦郡平戸町(現在の平戸市)と同郷の先輩でもある「平ノ戸三之助」に因んだ「平ノ戸」に改名。 三段目時代の1943年5月、応召され、1946年11月場所の直前まで復帰が叶わなかった。
佐藤 一(さとう はじめ、1921年12月10日 - 200… 佐藤 一(さとう はじめ、1921年12月10日 - 2009年6月17日)は、日本の労働評論家。松川事件の被告の一人。 栃木県日光市に生まれる。1936年今市高等小学校卒業、38年5月国際精機設計部に入り、W・R・ゴーハム技師長の指導を受ける。1941年東京芝浦電気・マツダ研究所に入る。 1943年6月海軍に召集され、通信学校で電探の教育を受けて青森、稚内、樺太に勤務。 1945年8月復員、東芝に復帰。鶴見工場設計部勤務となり、労働組合役員兼務。 1949年、松川事件の被疑者として逮捕され、第一審で死刑の判決を受ける。1963年9月12日、最高裁は検察側の再上告を棄却し、被告人20人の無罪が確定した。
島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 -… 島原 落穂(しまはら おちほ、女性、1921年12月9日 - 2013年3月31日)は、日本のロシア語翻訳家、ノンフィクション作家、歌人。 東京府北豊島郡巣鴨町大字巣鴨出身。父は慶應予科教授の島原逸三。1939年普連土女学校卒。1941年玉成保母養成所卒、森村幼稚園に勤務。1944年慶應義塾大学工業図書館勤務。1945年から1946年に母と父が死去。1961年慶應義塾大学附属外国語学校ロシア語科卒。1965年同校講師、1966年日ソ学院講師、東京ロシア語学院講師。 1946年から同人誌「創作」(若山牧水創刊)会員。 島原の遺稿をまとめた芹生一(本名・島原健三〈1928年 - 〉、成蹊大学名誉教授、工業化学)は弟。
坂本 一亀(さかもと かずき、1921年12月8日 - 20… 坂本 一亀(さかもと かずき、1921年12月8日 - 2002年9月28日)は、日本の編集者。坂本龍一の父。 福岡県甘木市(現:朝倉市)生まれ。愛称は「ワンカメさん」。 旧制福岡県立朝倉中学校を卒業後、上京。1943年に学徒出陣により、日本大学法文学部文学科(国文学専攻)を繰上卒業し、佐賀の電信第2連隊補充隊に入営。その後、満洲・東安の通信隊に配属される。1945年(昭和20年)4月、福岡県筑紫野の通信基地に転じ、敗戦を迎えた。3ヵ月後に復員し、帰郷して近所の鋳物工場でなどで働く。文学書に読み耽りながら『朝倉文学』という小さな同人誌をやっていたところ、甘木に療養に来ていた元河出書房社員の眼にとまったのがきっかけとなり、1947年1月同社に入社。
諫山 博(いさやま ひろし、1921年12月5日 - 200… 諫山 博(いさやま ひろし、1921年12月5日 - 2004年11月27日)は、日本の政治家、弁護士。参議院議員、衆議院議員をそれぞれ1期ずつ務めた。 福岡県浮羽郡浮羽町(現・うきは市)生まれ。九州大学法文学部哲学科を経て、1951年に弁護士開業。以後自由法曹団幹事や共産党福岡県委員会法規対策部長、福岡第一法律事務所長などを歴任する。 九州では戦後初の自由法曹団員として、三井三池争議の現地弁護団に加わった。 1972年の衆院選に福岡1区から立候補し初当選を果たすが、再選を期して1976年、1979年、そして1980年の各衆院選に立候補するも落選。 1986年の同年の参院選で比例区から立候補し初当選となる。
大田 満男(おおた みつお、1921年12月5日 - 202… 大田 満男(おおた みつお、1921年12月5日 - 2025年1月28日)は、日本の大蔵官僚。名古屋国税局長や造幣局長等を務めた。 長女は翻訳家の大田亜侑。 大蔵省出身。独学で英語を学び、フルブライト奨学金、ガリオア奨学金を獲得し、アメリカ・コロンビア大学大学院へ留学。造幣局創立100周年時の造幣局長。
郭 芝苑(かく しえん、Kuo Chih-Yuen, 192… 郭 芝苑(かく しえん、Kuo Chih-Yuen, 1921年12月5日 - 2013年4月12日)は、台湾の作曲家。 苗栗県苑裡鎮出身。1935年、東京の錦成中学に入学した。音楽教師からハーモニカを学び、卒業の年には東京の中学生ハーモニカコンクールで一等賞を獲得した。1941年、東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)に入学。ヴァイオリン専攻を希望したが、生まれつき左手の小指が内側に湾曲していたために断念し、ピアノの心得もなかったので、作曲と音楽理論を学んだ。1943年、卒業。 1946年、台湾に戻った。1950年、台湾省音楽コンクールで作曲部門第一位を獲得。1966年、作曲を学びなおすために東京芸術大学に入学。
うしお そうじ(牛尾 走児とも、1921年12月4日 - 2… うしお そうじ(牛尾 走児とも、1921年12月4日 - 2004年3月28日)は、日本の漫画家、アニメーター、特撮・映像作品プロデューサー、演出家である。映像製作会社「ピー・プロダクション」創業者。 本名は鷺巣 富雄(さぎす とみお)。別名:若林 藤吾、若林 不二吾(わかばやし ふじご)。 弟は、アニメ制作会社エイケンでプロデューサーを務めた鷺巣政安。長男は作曲家・現ピー・プロダクション社長の鷺巣詩郎。 1921年(大正10年)東京府東京市芝区(現・東京都港区)生まれ。実家は芝区の神明で、西洋家具の製造販売や、演劇関係の小道具を扱う「明光社」という大店だった。 1939年(昭和14年)、淀橋の工学院(現・工学院大学)を心臓脚気(脚気衝心)により中退。
数原 洋二(すはら ようじ、1921年12月3日 - 202… 数原 洋二(すはら ようじ、1921年12月3日 - 2020年1月11日)は、日本の実業家、工学博士。三菱鉛筆相談役。 数原三郎の次男(長男が夭折したため人名事典等では長男と表記されているものもある)として現在の東京都品川区(当時は東京府)に生まれる。旧制神奈川県立川崎中学校、旧制静岡高等学校理科甲類を経て、1944年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業、同年10月より同大学院にて工業化学の研究に従事し、1946年京大文部省特別研究生前期課程修了。1948年4月三菱鉛筆に入社、1958年2月常務となり、1960年2月社長に就任。1981年11月藍綬褒章を受章。1987年3月に社長の座を長男・数原英一郎に譲り会長に退き、1993年3月に名誉会長、その後相談役となる。
道仏 訓(どうぶつ さとし、1921年12月2日 - 200… 道仏 訓(どうぶつ さとし、1921年12月2日 - 2005年7月25日)は、昭和期のプロ野球選手・パシフィック・リーグ審判。広島県呉市出身。
山本 静雄(やまもと しずお、1921年12月1日 - 19… 山本 静雄(やまもと しずお、1921年12月1日 - 1959年4月27日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは二塁手。
西川 建三(にしかわ けんぞう、1921年12月1日 - 2… 西川 建三(にしかわ けんぞう、1921年12月1日 - 2014年4月20日)は、日本の経営者。大阪建物(現在のダイビル)社長、会長を務めた。 滋賀県出身。1945年11月に大阪商船に入社し、1946年に京都帝国大学法学部法律学科を卒業。1974年1月に大阪商船三井船舶取締役に就任し、1976年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1981年6月には大阪建物社長に就任。1986年6月に会長に就任し、1991年6月に相談役を経て、1998年6月には特別顧問に就任。 2014年4月20日肺炎のために死去。92歳没。
織田 正信(おりた まさのぶ、1921年〈大正10年〉12月… 織田 正信(おりた まさのぶ、1921年〈大正10年〉12月1日 - 1955年〈昭和30年〉9月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 香川県木田郡牟礼村(現高松市)出身。1946年東京文理科大学教育学科卒。卒業後は公正新聞主幹となる。 1947年の第23回衆議院議員総選挙において香川1区から諸派(救国青年連盟)で立候補して当選した。当選時は25歳4か月25日と衆議院議員では最年少となり、この記録は2000年の第42回衆議院議員総選挙で原陽子が25歳4か月15日で当選するまでの53年間、破られなかった。 1949年の第24回衆議院議員総選挙で落選。1952年の第25回衆議院議員総選挙では協同党公認で立候補したが落選した。
児玉 末男(兒玉 末男、こだま まつお、 1921年〈大正1… 児玉 末男(兒玉 末男、こだま まつお、 1921年〈大正10年〉12月1日 - 2005年〈平成17年〉2月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。 鹿児島県囎唹郡末吉村(現・曽於市)出身。1942年(昭和17年)、門司鉄道教習所卒。都城駅助役、国鉄労働組合宮崎県支部委員長などを経て、1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙に宮崎2区で日本社会党より立候補し当選、以後当選8回。 1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙で落選した。2005年(平成17年)2月20日、肺炎のため都城市の病院で死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
近山 晶(ちかやま あきら、1921年〈大正10年〉12月 … 近山 晶(ちかやま あきら、1921年〈大正10年〉12月 - 2007年〈平成19年〉9月24日)は、日本の宝石学者。「日本の宝石学の父」として評価されている。 近山晶宝石研究所所長、近山技術士事務所所長。山梨大学講師、山梨県立宝石美術専門学校講師などを務めた。全国宝石学協会を創立、他に日本技術士協会名誉会員、国際宝石学会議(IGC)名誉メンバーをはじめ、イギリス、カナダ、スリランカ、ブラジル、中国の宝石学協会の名誉会員なども務めた。 山梨県甲府市に生まれる。山梨大学工学部卒業。 1952年(昭和27年)、山梨県立研磨工業指導所の研究主査として硬脆材加工を指導する。 1966年(昭和41年)、英国宝石学協会 (Gemmological Association of Great Britain) の認定するディプロマ会員(FGA, Fellow of the Gemmological Association)の資格を日本人2人目として取得する。
上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 -… 上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 - 2011年5月21日)は、日本の農芸化学者。九州大学名誉教授。専門は発酵工学、醸造工学。 福岡市に生まれる。福岡県中学修猷館、広島高等工業学校を経て、1945年九州帝国大学農学部農芸化学科を卒業する。 1945年九州帝国大学副手、1947年九州大学助手、1959年助教授を経て、1967年教授に就任する。1958年農学博士の学位を得る。 1985年九州大学を退官し名誉教授となり、同年熊本工業大学教授に就任する。 1986年紫綬褒章、1992年勲三等旭日中綬章を受章。
片岡 孝(かたおか たかし、1921年(大正10年)11月3… 片岡 孝(かたおか たかし、1921年(大正10年)11月30日 - 1999年(平成11年)8月13日)は、大阪外国語大学の外国語学部(ロシア語科)名誉教授で、ロシア語学者。号は枕流(ちんりゅう)。 1720年(享保5年)、片岡氏は出石郡香住村(現 豊岡市香住)から出石城下に移り居住した。
薗村 泰彦(そのむら やすひこ、1921年11月30日 - … 薗村 泰彦(そのむら やすひこ、1921年11月30日 - 1994年5月22日)は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官、帝都高速度交通営団総裁を務めた。和歌山県和歌山市出身。 1944年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に運輸省に入省した。官房長、海運局長を経て、1975年から1978年までに海上保安庁長官を務めた。帝都高速度交通営団を経て、1983年から1986年までに総裁を務めた。 1994年には勲二等旭日重光章を受章した。 1994年5月22日心不全のために死去。72歳没。
中島 爾(なかじま みつる、1921年11月29日 - 20… 中島 爾(なかじま みつる、1921年11月29日 - 2004年9月1日 )は、日本の経営者。日本触媒社長を務めた。 京都府出身。1944年に京都帝国大学工学部を卒業し、1949年に日本触媒化学工業(のちの日本触媒)に入社。1967年7月に取締役に就任し、1973年8月に常務、1979年2月に専務を経て、1984年2月には副社長に就任し、1986年2月には社長に昇格。1990年2月には会長に就任。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2004年9月1日肺炎のために死去。82歳没。
茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月2… 茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月28日 - 2006年〈平成18年〉8月29日)は、日本の地質学者、鉱物学者、岩石学者、ヒスイ研究者。理学博士。元キタック最高技術顧問。新潟大学名誉教授、日本地質学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡横越村(現 新潟市江南区)出身。 1939年(昭和14年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟師範学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京高等師範学校を修了、1946年(昭和21年)9月に東京文理科大学地学科(地質鉱物学専攻)を卒業。 1946年(昭和21年)10月に新潟中学校教諭に就任、化学と地学と音楽を担当、1950年(昭和25年)3月に新潟大学理学部地質鉱物学教室助手に就任、1951年(昭和26年)4月に新潟大学理学部地質鉱物学教室講師に就任。
川崎 宏(かわさき ひろし、1921年11月28日 - 20… 川崎 宏(かわさき ひろし、1921年11月28日 - 2009年1月13日)は、漢文・中国文学、明治文学研究家。 愛媛県宇和島市出身(ただし生まれはアメリカ合衆国モンタナ州ディアロッジ)。宇和島中学(現愛媛県立宇和島東高等学校)、大東文化学院(現大東文化大学)卒業。元関東学院女子短期大学教授。 「明治村通信」の編集長を長くつとめた。 母方祖父母の住む吉田町の吉田尋常高等小学校に途中編入、母国語による学習をはじめ、のち宇和島の父母のもとに転じ宇和島市立第二尋常小学校を卒業、愛媛県立宇和島中学校在学、のち大東文化学院で漢学を学ぶ。 帝国海軍従軍後、東京にて「文芸新誌」編集人、中河与一編「現代フランス素描集」などの発行名義人に任じ、やがて新制度による中学校、高等学校発足後、宇和島市立城南中学校、愛媛県立吉田高等学校を含む県下の公立学校4校で教員勤務。
新井 益太郎(あらい ますたろう、1921年11月28日 -… 新井 益太郎(あらい ますたろう、1921年11月28日 - 2009年4月12日 )は、日本の会計学者。1985年から1990年まで日本簿記学会会長。第13期・第15期日本学術会議会員。成蹊学園名誉理事、成蹊大学名誉教授。